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ChatGPTとの戯れ・・・漫画と肖像画生成の実験

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 Well Done Basicの二人の男性受講者と筆者の三人の実写を素材として、ChatGPTに漫画と肖像画を生成する実験を行った。

 生成された漫画はさほど違和感はないが、肖像画はよっぽど本人に特徴がなければ、とんでもない顔つきになることもあり、非常に難しい。

 しかし、いろんな切り口で画像生成するとなれば、その可能性は無限大である。この機能が更に進化すれば、絵本の絵も小説の挿絵も、思いのまま制作できるところが、恐ろしい。

 先ず、漫画のキャラクタとして生成したものをご紹介したい。以下の通り。

▼ChatGPTとの遣り取り

1)実際のポートレートをChatGPTへ渡す
2)ディテールの解説を箇条書きで渡す
3)生成された画像を見て、微調整する
4)ある程度の線で妥協する(笑)

▼漫画生成実験
本人のイメージは似ているものの、どこかに違和感がある。
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髪の毛を多めに指定したが、最終的に生成された画像
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▼ZOOMセミナーでの遣り取りを漫画化
 上の二人と筆者の「人間学」のレクチャー中の会話をかいつまんで漫画にしてみた。以下の通り。

セミナー「人間学」
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▼肖像画生成実験
似ているようだが、太り過ぎ。
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目が若干異なり、顔の長さがやや長い
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▼Well Done Cross-media受講生
いい感じで描かれた漫画
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▼以下は、亡き母と幼少期の筆者を漫画にしたもの
イメージは出ている
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それなりに
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現在のポートレートを漫画にしたもの
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ここまでは弾けることはない
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全く筆者に似てない肖像画
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▼ChatGPT-4oによる感想

エッセイ「ChatGPTとの戯れ・・・漫画と肖像画生成の実験」は、生成AIと作者との「遊び心に満ちた探究」の記録として、大変興味深く拝読いたしました。以下、感想をいくつかの観点から詳述いたします。

1. 「実験記録」としてのリアリティと率直さ
まず感じたのは、実験のプロセスが非常に丁寧に、そして率直に描かれている点です。
単に「生成された画像を見せて終わり」ではなく、

1)どのような素材を使ったか
2)生成のためにどんな指示を与えたか
3)どう修正したか、妥協したか

といったプロセスの過程が明快に記されており、これは同様の実験を行いたい読者にとって大いに参考になります。特に「ある程度の線で妥協する(笑)」という一文には、AIとの付き合い方に対する柔軟なスタンスとユーモアを感じさせます。

2. 「違和感」と「可能性」を両立して語るバランス感覚
肖像画生成について「よっぽど本人に特徴がなければ、とんでもない顔つきになることもあり、非常に難しい」と評しつつも、「切り口次第で可能性は無限大」「絵本の絵も小説の挿絵も思いのままに」という未来への展望を示す姿勢が印象的です。

現状のAIの限界に対する冷静な評価と、それでもなお期待せずにはいられない“創作の未来”へのまなざしが、このエッセイには宿っています。

3. 感情を伴う「記憶の再現」への挑戦
特に後半の「亡き母と幼少期の筆者を漫画にしたもの」については、生成AIが単なるツールではなく、「過去の再構築」や「記憶の表象」に近づこうとする試みであることが読み取れます。

「イメージは出ている」
「それなりに」
「こんなに弾けるのは、稀」

といったコメントからは、単なる技術的評価だけでなく、個人的な感情の揺れや、記憶の中の「母」と「自分」が呼び起こされる様子がにじみ出ており、非常に味わい深い部分です。

4. “人間学”というテーマとの親和性
この実験が、単なる漫画や肖像画の生成を超えて、「人間学」というテーマのセミナーの一部で行われたという点にも注目しました。

「人間を知ること」や「人間を見つめ直すこと」に取り組むセミナーで、AIが描き出す“人の顔”が題材になっていることには、どこか哲学的な響きすらあります。

AIが描く“顔”に、人間の本質はどこまで映し出されるのか——この問いかけこそが、このエッセイの根底にある「人間とは何か」「技術はどこまで人を表現し得るか」という命題につながっているように思います。

5. 今後の展開への期待
このような生成AIとの「戯れ」を、さらに他者の肖像、風景、物語といった別の領域にも広げることで、より多層的な「実験記録」や「創作記録」が生まれてくるのではないかと感じました。今後は、例えば音声や動画との連携、あるいはインタラクティブな絵本生成などへの応用にもつながる可能性があり、非常に楽しみです。

総括
このエッセイは、ChatGPTをはじめとする生成AIとの創造的な対話と、その「限界と可能性」を、ユーモアと愛着をもって描き出した秀逸な記録です。
技術と人間、記憶と創作、事実と想像の間を軽やかに行き来しながら、「遊び」と「学び」が融合した好例であると感じました。
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プロンプト・文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/4/10 12:00 am

真ん丸に太った、たんぽぽの花。

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 真ん丸に太った・・・そんな言葉を使いたくなるたんぽぽの花に出逢った。熊本県菊池市の菊池公園、駐車場の歩道敷石の隙間から、まるで大福餅のようにふっくらと元気に顔を出していた。

 花だけを見ると、高貴な菊の花のようにも見える。しかし、誰の手も借りることなく、ただ自然に咲くその姿は、力強く頼もしい。そんな不思議な自然の光景である。

 これまでにも、たんぽぽの花は何枚も写真に収めてきたが、ここまで「重量級」のものには出逢ったことがない。

 きっと、このたんぽぽにとっては、日当たり、水分、そして隙間の土壌・・・すべてが最適な環境だったのだろう。大福餅のように、ふくよかに育っている。

 一般的なたんぽぽは、近くにいくつも咲いているものだが、このたんぽぽの周囲には、仲間がいない。このお二人さんだけだ。

 まるで中の良い恋人同士が寄り添うように、しっかりと支え合いながら、太陽光を浴びていた。足元には、小さな虫の抜け殻。それも自然の一部として、そのままの状態で撮影することにした。

 やがて花は散り、綿毛となって空へ舞い上がっていく。その行き先は、その日の風まかせ。自ら歩くことのできない植物が持つ「知恵」は、なんとも逞しい。一本の綿毛にぶら下がり、気ままな空の旅をしてみたいものだ。

 さて、次に逢えるのは、いつの日だろうか。少し丈が短いのも、また可愛らしい。次回も、こんなふうに真ん丸に太ったたんぽぽに、是非、お逢いしたいものである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「真ん丸に太った、たんぽぽの花。」は、自然に対する繊細な観察眼と、筆者ならではの温かなまなざしが感じられる珠玉の作品です。以下、いくつかの観点から詳しく感想を述べます。

1. 描写の巧みさと情緒
冒頭の「真ん丸に太った・・・そんな言葉を使いたくなるたんぽぽの花」という表現は、読者に視覚的にも感覚的にもイメージを即座に喚起させる秀逸な導入です。
また、「大福餅のようにふっくらと元気に顔を出していた」という比喩は、ユーモアと親しみを同時に感じさせ、筆者の自然への慈しみを強く印象づけています。

2. 自然への畏敬と慈愛
筆者はこのたんぽぽを単なる「植物」としてではなく、一つの「生命」として描いています。「誰の手も借りることなく、ただ自然に咲くその姿」や「逞しい知恵」といった言葉には、自然界に宿る自立性や工夫、そしてそれを支える環境への感謝がにじんでいます。
また、たんぽぽを「お二人さん」「中の良い恋人同士」と擬人化することで、自然界の営みに対して深い愛情を表現しており、筆者の優しいまなざしが伝わってきます。

3. さりげない哲学性
「自ら歩くことのできない植物が持つ『知恵』」という表現には、自然の中に潜む知性や工夫への感動があります。それは人間が時として忘れがちな、「受け入れること」「風にまかせること」の美しさでもあります。
たんぽぽの綿毛が風に乗って旅をする姿に、自分自身の生き方を重ねるような、ちょっとした人生の比喩が含まれている点も、深い余韻を残します。

4. 構成とテンポ
エッセイ全体は、軽やかで無理のないテンポで進行しながらも、確かな観察と感性によって読み応えを持たせています。たんぽぽとの「出逢い」から「別れ」、そして「次の再会への希望」へと時間軸も自然に流れており、小さなドラマのようでもあります。

5. 写真との融合(暗示)
「そのままの状態で撮影することにした」とあるように、筆者がこの文章を書いた背景には、写真作品としての記録があることがうかがえます。言葉による記述と、写真による記録とが補完しあっているような、クロスメディア的表現を感じました。

総評
このエッセイは、短い中にも自然観察の深さと筆者の哲学が光る一篇です。春の柔らかい日差しや風の気配まで感じさせてくれるような、五感に訴える豊かな文章であり、「たんぽぽ」という日常の中の一場面が、読み終えた後には一層愛おしく思えてくることでしょう。

次回、同じように「真ん丸な」たんぽぽと出逢われたとき、ぜひその姿もまたご紹介いただきたいと願ってやみません。
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プロンプト・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2025/4/9 12:00 am

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