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「禁断の十字パイ」に続く、「武士の十字パイ」

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 着想の起点は、宇土城主であり、キリシタン大名でもあった小西行長と天草とのつながりだ。行長は実際に天草へ渡り、宣教師やキリシタンの武将たちとも交流を重ねている。その歴史に想を得て、「武士の十字パイ」を発想した。

 読みは、「もののふのじゅうじパイ」。武士の力強さに、信仰を胸に生きる人間の静かな内面を重ねた名である。

 昨年開発した「禁断の十字パイ」は、洋風かつ女性的な世界観から生まれた。Apple(イギリス)、Baklava(トルコ)、Cerise Crown(アメリカ)。それぞれの頭文字を取り、ABC三姉妹と名づけた。

 その三姉妹に続くのが、和の趣と男性的な力強さを備えた、DEF三兄弟である。

 Dは、大納言(Dainagon)。ほっくりとした豆の甘みに、クリームチーズのコクとほのかな酸味を合わせる。

 Eは、恵比寿かぼちゃ(Ebisu)。かぼちゃの豊かな甘みをバターで練り上げ、こってりと濃厚な味わいを目指す。

 Fは、いちじく(Fig)。ドライいちじくを濃厚に煮詰め、クリームチーズとともに包む。凝縮した果実の甘みと、ぷちぷちとした食感を楽しむ一品にしたい。

 凛々しい姿に、頬が緩む味わい。このDEF三兄弟には、そんな魅力を持たせたいと考えている。

 もっとも、構想がそのまま、おいしさになるわけではない。フィリングの甘さや水分、パイ生地との釣り合い、焼き上げたときの香り。一つひとつを確かめ、調整して初めて、思い描いた味に近づいていく。

 製造を担う「洋菓子匠 維新之蔵」では、クリスマスケーキの準備も進んでいる。その合間を縫っての試作となるため、昨年と同じ速度での開発は難しそうだ。

 ならば、その時間も味づくりに生かしたい。試作を重ねるたびに、構想を見直し、三兄弟それぞれの個性を磨いていく。

 物語に心を引かれて手に取り、ひと口食べて納得し、もう一度食べたくなる。そこまで届いてこそ、商品に名前と物語を与える意味がある。

 「禁断」の三姉妹から、「武士」の三兄弟へ。

 まだ試作前だというのに、焼き上がりを待つような心持ちでいる。いやはや、商品開発とブランディングは、面白くてたまらない。

▼武士の十字パイ<三兄弟>(開発開始)
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▼禁断の十字パイ<三姉妹>(開発販売中)
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▼ChatGPTによる感想

読後に残るのは、「このパイを食べてみたい」という期待と、その完成を待つ楽しさです。歴史から名前が生まれ、名前から味の構想へ進み、最後には作り手の心持ちに触れる。読者が開発の過程に自然と参加できる文章になっています。

特に印象的なのは、**「凛々しい姿に、頬が緩む味わい」**という一文です。「武士」という言葉の硬さを、お菓子の親しみやすさへと結びつけています。商品の姿と、それを食べる人の表情が同時に浮かぶ、この企画の魅力をよく捉えた表現です。

三つのフィリングも、味だけでなく食感で描き分けられています。大納言の「ほっくり」、かぼちゃの「こってり」、いちじくの「ぷちぷち」。読者は説明を読みながら、自分ならどれを選ぶかと考えられる。ABCからDEFへ続く仕掛けも、三姉妹を知る人には続編の楽しみを、初めて知る人にはシリーズ全体への興味を生みます。

また、**「構想がそのまま、おいしさになるわけではない」**と書いたことが、文章に説得力を与えています。試作の必要性や製造元の事情を率直に示しているため、華やかな名前を支える地道な仕事が見える。「もう一度食べたくなる」ことを到達点に置いた姿勢にも、商品開発への誠実さを感じます。

一つ気になったのは、Appleなどに添えた国名です。それぞれが「発祥国」「味の着想元」「商品上のイメージ」のどれを示すのか、本文だけでは判断しにくいところがあります。意図をひと言添えると、読者が迷わず世界観を受け取れるでしょう。

結びの「焼き上がりを待つような心持ち」には、企画者自身の楽しみがにじんでいます。完成品のお披露目前から、読者と期待を共有する開発エッセイとして、魅力のある文章です。
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文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2026/9/5 12:00 am

煮え切らない人ほど、「やりたいと思っています」を繰り返す

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 会話をどれほど重ねても、結論にたどり着かない人がいる。話は毎回堂々巡りで、いつまで経っても締めくくられない。

 決まって口にするのは、こんな言葉だ。

 「やりたいと思っています」
 「やる方向で考えていました」
 「やらなければならないと思っていました」

 しかし、そこには肝心なものがない。

 「いつまでに」
 「何を」
 「どのような手順で」
 「どこまでやり遂げるのか」

 行動に必要な具体性が、すっぽりと抜け落ちているのである。

 その言葉を信じて待ってみる。ところが、数カ月が過ぎても、数年が過ぎても、何も変わらない。忘れた頃に、また同じ言葉が飛んでくる。

 「やるつもりです」と。

 本人はおそらく、頭の中で約束を思い描き、それを言葉にした時点で、一歩前へ進んだような気持ちになっているのだろう。しかし、意思を表明することと、実際に行動することは、まったく別物である。

 「思います」
 「思っていました」
 「つもりです」

 これらの言葉は便利だ。決意のように聞こえながら、期限も責任も曖昧にできる。だからこそ、行動しない人ほど多用する。

 そもそも行動とは何か。その入り口から説明し、何度軌道修正を促しても、いつまで経っても行動の「こ」の字すら見えてこない。毎回繰り返される奇妙な会話に戸惑うが、「それが性分なのだ」と言ってしまえば、それまでである。

 実に煮え切らない話だ。

 ゴルフ練習場を思い浮かべてほしい。ティーにはボールが自動的にセットされている。打席に立ち、スタンスを確かめ、ワッグルまで済ませている。

 それでも、

 「打ってみようと思います」
 「まっすぐ打とうと思っていました」
 「今から打つつもりです」

 と言うだけで、クラブを振らない。

 スイングしないのだから、ボールに当たるはずがない。ましてや、飛距離も方向も、フォームの良し悪しも分からない。失敗さえできないのである。

 行動しない人が失うのは、成果だけではない。経験も、反省も、改善の機会も失っている。

 なぜ言葉は発するのに、心と体が連動しないのか。

 一つには、長い間、受け身で仕事をしてきたことが考えられる。指示を待つことが常態化すると、自らの意思で判断し、最初の一歩を踏み出す感覚が鈍っていく。誰かに言われなければ動けず、誰かが背中を押してくれるのを待ち続ける。

 その姿は、巣の中で親ツバメの帰りを待つ雛に似ている。親鳥が戻ってくれば、大きく口を開け、餌が運ばれてくるのを待つ。

 幼鳥であれば、それでいい。しかし、プロフェッショナルを目指す社会人が、いつまでも餌を運んでもらう側にとどまっていてはならない。

 自分で考え、自分で決め、自分で動く。その結果を引き受け、修正しながら次へ進む。それが仕事であり、成長である。

 行動がなければ、実績も生まれない。実績がなければ、自信も育たない。そして自信がないから、さらに行動できなくなる。こうして人は、「思っています」と「つもりです」の間を、いつまでも往復することになる。

 怖いのは、本人がその停滞に気づいていないことだ。

 原因を、育った環境や過去の職場だけに求めても仕方がない。どのような経緯があったにせよ、今の自分を動かせるのは、今の自分しかいない。

 「やりたいと思っています」と口にした瞬間、問うべきことがある。

 「では、いつやるのか」
 「最初に何をするのか」
 「今日中にできる一歩は何か」

 意思は、言葉にしただけでは現実を一ミリも動かさない。

 クラブを振らなければ、ボールは飛ばない。巣から出なければ、自分の翼で飛べる日は来ない。

 「やりたい」と繰り返す人と、「やった」と報告する人。その差を生むのは、才能ではない。

 言葉の直後に、最初の一歩を置けるかどうかである。

※ヘッダー画像は、ChatGPTが記事を読み生成したもの

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▼ChatGPTによる感想

 非常に耳の痛い、しかし本質を突いた文章である。特に印象に残ったのは、「意思を表明すること」と「行動すること」を明確に切り分けている点だ。「やりたい」「やるつもりだ」と口にすると、本人はわずかに前進したような満足感を得る。だが、期限も手順も最初の一歩も示されていなければ、現実は何一つ変わっていない。この自己欺瞞を、文章は容赦なく突いている。

 ゴルフ練習場の比喩も秀逸である。スタンスを確認し、ワッグルまで済ませながら、肝心のクラブを振らない。これほど滑稽で分かりやすい「行動しない人」の姿はない。さらに、「失敗さえできないのである」という一文には重みがある。行動しなければ失敗を避けられるように見えるが、実際には、経験も反省も改善も得られない。つまり、失敗しないのではなく、成長する資格そのものを自ら手放しているのである。

 また、「行動がないから実績が生まれず、実績がないから自信が育たず、自信がないからさらに行動できない」という悪循環の指摘にも説得力がある。煮え切らない態度は、単なる性格の問題ではない。放置すれば、自分の可能性を少しずつ削り取っていく習慣になる。その意味で、本稿は他人への苦言であると同時に、読者自身に向けられた警告でもある。

 一方で、行動できない人の背景には、受け身の習慣だけでなく、失敗への恐怖、過度な完璧主義、自信の欠如など、さまざまな事情があるだろう。したがって、すべてを本人の甘えや他者依存だけで説明することはできない。しかし、どのような事情があるにせよ、最後に現実を動かすのは本人の行動でしかないという本稿の主張は揺るがない。

 最も強く心に残るのは、結びの「言葉の直後に、最初の一歩を置けるか」という問いである。大きな決意や立派な宣言は必要ない。電話を一本かける、資料を一枚作る、期限を決める。その小さな一歩によって、「やりたい」は初めて「やっている」に変わる。

 本稿を読んで他人の顔だけが浮かぶなら、まだ読み方が浅いのかもしれない。自分自身もまた、「思っています」「つもりです」という言葉を、行動しないための隠れみのにしてはいないか。そう読者に振り返らせるところに、この文章の鋭さと価値がある。
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文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2026/9/3 08:17 am

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