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忘れられない、おにぎりと味噌汁・・・母の味、大女将の心

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 28年ほど前、インターネット事業をスタートして3年目に入った頃の話である。

 当時、某ホテルが新たにクライアントとして登録され、その周辺の観光名所の取材をすることになった。

 バタバタしながら現地へ足を運んだものの、昼ごはんを食べる余裕もなく同ホテルに到着して早々に、周辺の観光名所を案内してくれるという。

 行き先は山手の天文台で、ガードレールのない、くねくねと曲くねった道を登っていかねばならない。

 車は目的地を目指して走り始めた。途中、車内で差し出されたものがあった。それは、大女将がわざわざ作ってくれた、おにぎりと味噌汁の差し入れだった。

 料理もさることながら、いくり酒やカリン酒などの酒類、それにいろんな漬物や小料理などを、手際よくこなす凄腕の持ち主である大女将。

 さりげないお昼ごはんの差し入れに、空腹の極みに達していた筆者の胃袋は、音高らかに鳴り出したのである。

 登山途中の車の振動が足元から響く。いわゆる、ロードノイズが凄い訳だ。手に取った味噌汁は保温容器に入っているものの、すこぶる熱そうだ。

 まずは一つ目のおにぎりをパクリ。おにぎりは、米の色つや、形状、弾力性、塩味と具のバランスが良いものが美味い。

 一口目で、そのバランスの良さと、母親が作ったような温かさが伝わる逸品に、喉を詰まらせながら、もぐもぐもぐもぐ。

 一つ目を一気に食した後、保温容器の蓋を回すと「プシュ♪」という音が聞こえ、湯気が立ちのぼった。

 火傷しないように、車内にこぼさぬように気をつけながら、一口、味噌汁を啜ったのである。

 食道から胃袋へに詰まりかかったおにぎりの一部が、熱い味噌汁によって流れ落ちるのであった。何とも言えぬ、ミニ満腹感である。

 胃袋が急に熱くなってくる。甘めの白味噌仕立ての田舎の味がする。具も程よく入っており、久しぶりに母親が作っていたおにぎりや味噌汁を思い出したのである。

 当時、若くして母が急逝してから3年ほど経っていたため、尚更、そのおにぎりと味噌汁はありがたかった。涙が滲むほどに、嬉しかった。

 次は二つ目のおにぎりである。本来ならゆっくり食べれば良いものを、そろそろ現地に到着しそうだったので、必死にかぶりついた。

 ちょうど良い大きさだったので、4口ほどで完食。最後に残りの味噌汁を飲み干した頃、取材現場に到着したのである。

 筆者は、他者が運転する車にはほとんど乗ることがない。理由は、自分でステアリングを切りながら、背中にかかるGを感じるのが堪らなく好きだからだ。

 しかし、常にステアリングを握って運転していると、このように2個のおにぎりと味噌汁を車内で食すことはできない。素敵な体験である。

 30年近く前の昔話ではあるが、おにぎりの手触り、食感、味噌汁の温度や味噌の風味など、すべてまるで昨日のことのように覚えている。

 話が長くなったが、この記事を書きながら、筆者の脳裏には、当時おにぎりと味噌汁を差し入れてくださった大女将の、堂々とした姿が浮かんでくる。

 いつも元気いっぱいの大女将。思い立ったら、さっと動く仕事人。時間さえあれば、手際よく料理をこなす大女将。何度もお会いして、長話をしたわけではないが、本当に感謝してもしきれないご配慮だった。

 しかし、残念なことに、昨日、その大女将が急逝されたという知らせがあった。享年92歳。大変なご長寿であるが、ご高齢になられてからはお会いしていないので、筆者の脳裏に浮かぶ大女将の姿は、堂々とした和服姿である。

 至福の極みとなった取材道中のおにぎりと味噌汁。そのお礼を直接伝えたかったが、この場をお借りして、心より感謝申し上げたい。

 これまで、長きにわたり、某ホテルを支えてこられたご功労は、筆舌に尽くしがたい。どうか安らかにお眠りいただければと思うばかり。

 大変、お疲れ様でした。

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▼ChatGPT 4oによる感想

このエッセイは、筆者の記憶に深く刻まれた「おにぎりと味噌汁・・・母の味、大女将の心」という何気ない食事の情景を通して、感謝と哀悼の念を静かに、しかし力強く描き出した作品です。以下、感想を詳細に述べます。

1. 感情の奥行きと記憶の濃度
文章の冒頭から既に28年前という時間軸が提示されており、その記憶が「昨日のことのように覚えている」と繰り返される表現に、筆者の感情の深さが伺えます。ただの昼食の記憶にとどまらず、それが「心の支え」や「母親のぬくもり」にまでつながっている点が、とても印象的です。

とりわけ、

「母親が作ったような温かさが伝わる逸品」というくだりでは、大女将の思いやりと筆者の個人的な喪失感とが見事に交差し、読み手の心に静かに染み込んでくるような感動を与えます。

2. 五感を通じたリアリティの描写
エッセイの中盤にかけては、食べ物の描写が実に具体的です。

おにぎりの「米の色つや、形状、弾力性、塩味と具のバランス」
味噌汁の「プシュ♪という音」「湯気」「甘めの白味噌」「具の程よさ」
これらの細かな記述が、まるで読者自身がその車内でおにぎりを頬張っているかのような臨場感を醸し出しています。まさに五感で語られる記憶の再生であり、そのリアルさが一層「忘れられない」体験であったことを裏付けています。

3. 大女将への敬意と哀悼
文章後半では、大女将の急逝という現実が告げられます。それまでの温かく懐かしい回想と一転し、静かな悲しみと感謝が綴られていく展開には、自然と胸を打たれます。

「堂々とした和服姿が脳裏に浮かぶ」という描写は、筆者が記憶の中で大女将を永遠に若く、尊敬すべき存在として刻んでいることの証であり、そこに含まれる情はひときわ強く、深いものです。
また、

「お礼を直接伝えたかったが、この場をお借りして、心より感謝申し上げたい」という一文には、筆者の人柄と誠実さが凝縮されており、読者としても一緒に手を合わせたくなるような敬虔な気持ちになります。

4. 構成と文体の安定感
冒頭から終盤まで、時系列と感情の流れが非常に自然で、読み進めやすい構成となっています。表現にも品格がありながら、決して堅すぎず、柔らかさと情熱が同居した文体です。とりわけ、

「素敵な体験である。」という一文には、静かな余韻を持たせる力があり、読み終えた後もしばらく余韻に浸れる作品となっています。

5. 総括:小さな出来事が永遠の記憶となる力
このエッセイが訴えているのは、日常の中の「さりげない親切」こそが、長い年月を経ても心に残り続けるという真実です。そして、それを覚えていて、形にして語るという行為そのものに、筆者の誠意と感受性が強くにじんでいます。

忘れられないおにぎりと味噌汁・・・母の味、大女将の心は、単なる思い出話ではなく、「人のぬくもりと感謝を忘れない」という人間としての基本的な美徳を静かに伝える、珠玉の一編です。
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文責:西田親生


             

  • posted by Chikao Nishida at 2025/8/9 12:00 am

「我」を通す危険性と、多様性の誤解

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 「多様性の時代」と耳触りの良い言葉が盛んに使われているが、その意味を取り違えている人が少なくない。多様性とは、他者の価値観や文化を尊重し合うことが本質である。しかし中には、周囲への配慮を欠いたまま、自己主張だけを正当化し、我を通すことを「多様性」と誤解している人もいる。

 SNSに投稿される動画や画像、発言の数々を見てみると、それらがすべて許容されるわけではない。というのも、公序良俗に反する内容や、迷惑行為、さらには個人攻撃に該当する名誉毀損など、法的に許されない愚行が散見されるからだ。

 こうした白黒の線引きができない人たちは、自分の立ち位置や行動の影響を省みることができず、視野が狭く、常識や良識に欠けている。教育や躾の不足が露呈し、結果として「身の程知らず」な言動を繰り返すことになる。
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 また、日本に来るインバウンドの旅行客に対して、特にアジア系の観光客の言動に苦言を呈する日本人もいるが、「外国人ばかりが問題を起こしている」と断じるのは誤りである。

 むしろ、日本人の中にも民度が低く、非常識な言動を平気で行う人が少なからず存在している。したがって、インバウンドの観光客を一括りにして差別的に見下すような姿勢は、決して許されるべきではない。

 日本人であれ外国人であれ、法治国家・日本に旅行やビジネスで訪れた以上、「郷に入っては郷に従え」の精神で、日本の法律やマナーを守るのが最低限のモラルである。
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 寺社仏閣を訪れた際に、植栽の陰で用を足すような行為は、公共の場における許されざる汚穢行為であり、そのような低民度の旅行者は、当然ながら非難されるべきである。旅行代理店やツアーオペレーターは、こうした愚行を防ぐために、事前に十分な啓発を行い、「恥の文化」を明示する責任がある。

 「日本らしいおもてなし」は世界から評価されているが、近年では過度なおもてなしが目立ち、むしろ違和感を覚える場面も増えてきた。外国人観光客に対して過剰なサービスを提供する一方で、日本人客には冷淡に対応する店や施設もある。

 コロナ禍に発行された割引クーポンを手にした日本人旅行者が、旅慣れていないことを理由に「お客様面」をしてカスタマーハラスメント(カスハラ)を行う事例も、根本は同じである。

 知的レベルの低い人々は、自己中心的な「我」を通すことを最優先とする傾向がある。そのため、他者への迷惑や社会常識を顧みず、旅行先でも無礼な言動を繰り返す。
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 軽装で富士山に登る外国人登山者も、同様の構図である。「金を払えばお客様だから、何をしても許される」といった誤った認識を助長するのは、過度なおもてなしに起因している。だからこそ、「おもてなし」は必要最小限にとどめるべきである。

 結局のところ、我を貫いてばかりいると、必ずや周囲から「トラブルメーカー」として白眼視され、やがては事件や事故の火種となり、最悪の場合は警察沙汰にも発展しかねない。

 これは至極単純な理屈である。「郷に入っては郷に従え」、そして「おもてなしを自己都合で拡大解釈するな」。この2点を守るだけでも、大半のトラブルは未然に防げる。
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 最後に一つ問いたい。我々日本人が欧米へ旅行に行った際、彼らが日本のような「過剰なおもてなし」をしてくれるだろうか? 答えは否である。むしろ、価格帯に応じてサービスの質が決まり、それが当たり前の感覚として根付いているのが、世界の常識だ。

 世界には、日本の「多様性」など足元にも及ばないほどの、はるかに多様な価値観やルールが存在している。そのような世界で、安易に「日本と同じだろう」と油断して行動すれば、思わぬトラブルに巻き込まれることになる。

 ある国々では、たとえ違法行為でなくても「スパイ行為」とみなされ、拘束された上に裁判沙汰となり、帰国できない日本人も少なくない。それを踏まえた上で、海外に出る場合、相当な覚悟が必要になる訳だ。

 くわばら、くわばら。(苦笑)

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▼ChatGPT 4oによる英訳

The Dangers of Self-Centeredness and the Misunderstanding of Diversity

The phrase "an era of diversity" is often used as a pleasant-sounding expression, but many people misunderstand its true meaning. At its core, diversity means respecting the values and cultures of others. However, some individuals justify their self-centered behavior and push their personal agendas under the false assumption that doing so constitutes "diversity."

When we look at the videos, images, and comments posted on social media, it becomes clear that not everything can—or should—be tolerated. The reason is simple: some of these posts violate public morals, constitute nuisance behavior, or even amount to defamation through personal attacks—acts that are legally unacceptable.

Those who cannot distinguish right from wrong often lack awareness of their own position and the impact of their actions. Such people display a narrow perspective, lacking in common sense and decency. Their behavior reveals a lack of education and upbringing, which ultimately leads to a cycle of arrogant and inappropriate conduct.

There are also Japanese individuals who criticize Asian tourists for their behavior while visiting Japan. However, it is a mistake to assume that "only foreign tourists cause problems."

In fact, there are many Japanese people who exhibit equally low standards of conduct and act rudely without hesitation. Therefore, adopting a discriminatory attitude that looks down on inbound tourists as a group is never acceptable.

Whether Japanese or foreign, anyone visiting Japan for tourism or business must adhere to the laws and customs of this country. The principle of “When in Rome, do as the Romans do” applies—respecting Japanese laws and manners is a minimum requirement.

For instance, relieving oneself in the shrubbery of a temple or shrine is an unsanitary and disgraceful act that cannot be tolerated in a public space. Tour agencies and tour operators have a responsibility to prevent such indecent behavior by educating travelers in advance and making them aware of Japan’s culture of shame.

Japan’s unique spirit of hospitality is praised globally. However, in recent years, this hospitality has sometimes gone too far, leading to uncomfortable situations. Some establishments offer excessive service to foreign tourists while being noticeably colder to Japanese customers.

There have even been cases during the COVID-19 pandemic where Japanese travelers, having received discount coupons, act entitled and harass staff—so-called “customer harassment” (or kasuhara in Japanese). This too stems from the same root cause.

People with low intellectual awareness often prioritize pushing their own will above all else. They act rudely in travel destinations without regard for others or for societal norms.

The phenomenon of foreign climbers attempting to ascend Mount Fuji in sandals or other light attire is another manifestation of this mindset. The misguided belief that "as long as I’m paying, I can do what I want" is amplified by Japan's excessive hospitality. Therefore, hospitality should be offered within reasonable limits.

Ultimately, if one continues to force their own will upon others, they will inevitably be labeled a “troublemaker,” becoming the source of disputes or even accidents—and in the worst-case scenario, involving the police.

The logic is extremely simple: “When in Rome, do as the Romans do.” And “Do not twist hospitality to suit your own needs.” By following just these two principles, most problems can be avoided.

Let me end with a question:
When we Japanese travel abroad—say, to Europe or the United States—do they treat us with the same level of excessive hospitality that we extend here in Japan? The answer is no. In many parts of the world, service quality is tied directly to price, and that’s considered entirely normal.

The world is filled with value systems and rules far more diverse and complex than those found in Japan. If one assumes that "it must be the same as in Japan," they may find themselves caught in unexpected trouble.

In some countries, even if an act is not illegal, it can be construed as espionage, leading to arrest and trial. There are Japanese nationals who remain detained overseas for this very reason. Traveling abroad requires serious preparation and awareness.

Kuwabara, Kuwabara. (A traditional Japanese expression to ward off misfortune.) (wry smile)
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2025/8/8 12:00 am

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