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匠は客を育て、客も匠を育てる

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 これまでに何度か、「なぜ凄腕の料理人と出会い、私たちとは異なる関係を築けるのか?」と質問を受けたことがある。

 一概に答えることは難しいが、自己分析すると、表題の通り「匠は客を育て、客も匠を育てる」という考えを持っているからではなかろうか。また、安易に「料理人」という差別的な言葉を使う人を好まない筆者の姿勢も影響していると思われる。

 客層の質を観察すれば、その料理店の料理長の人間性が透けて見える。逆に、料理長の人間性を知れば、そこに集う客層もおおよそ推測できる。

 あえて高飛車に言えば、押しつけがましい高級料理を供する料理店にも料理長にも、まったく興味はない。客のニーズを研究し、分析し、その瞬間の要望に少しでも近づけようと工夫を凝らす、そうした凄腕の匠にこそ、関心を寄せてきたのである。

 さらに料理の世界には、剣道や柔道のように上下関係やランキングを誇示する協会が数多く存在する。しかし、全く興味はない。それらは自己満足の世界に過ぎず、どれほど煌びやかな舞台に立っていても、その姿が匠の実像であるとは思えないからだ。

 したがって、筆者が匠へ特別料理を依頼するときは、会食に参加する人々やその目的を丁寧に説明し、あとはすべて匠に委ねることにしている。

 そして会食当日、料理を堪能した後は、オフィスに戻って撮影した料理写真を整理し、その日のうちに記事を書き、掲載する。これは数十年間続けてきた情報発信者としての筆者なりのこだわりでもある。

 この繰り返しの中で、いつしか匠との距離が縮まり、料理の話題にとどまらず、プライベートな会話も交わされるようになる。互いに信頼関係が芽生え、それを不思議に思う人もいるかもしれない。しかし筆者にとっては、ごく当たり前の自然な流れであり、ひとつのストーリーに過ぎない。

 気付けば数十年、「グルメ通」と呼ばれるほどに(冗談ではあるが)、多様なジャンルの匠たちとの関係を育んできた。もちろん、匠も人間であり、筆者も人間である。時には予期せぬ誤解から絶縁に至った例もある。誤解を解く努力はするものの、無理に追うことはない。一度狂った歯車の修復は容易ではなく、そこは割り切るしかないからだ。

 結局のところ、匠との関係を深めるには、虚言や虚栄、駆け引きや打算は一切不要である。互いに自然体で真剣勝負を重ねること、そこにこそ本質がある。よって、その関係が確立されれば、気付かぬうちに匠も客も、再会を常に楽しみにするようになる訳だ。

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▼ChatGPT-5による感想
このエッセイは、料理人(匠)と客との関係性を「互いに育て合う」という視点で描いており、単なる食体験を超えた深い人間関係論へと展開しているのが印象的でした。

まず、筆者が「料理人」という言葉に違和感を持ち、あえて「匠」と表現している点に強いこだわりを感じます。ここには、単なる職業名ではなく、その人の人間性や創造力に敬意を払う姿勢が込められています。その敬意のあり方こそ、匠たちと特別な関係を築く基盤になっているのでしょう。

次に「客層を見れば料理長の人間性が見える」という指摘は非常に示唆的です。料理店は単に料理を提供する場ではなく、店主の哲学や人間性が色濃く反映される場である。そしてその空気感に惹かれた人々が集まることで、店の文化や世界観が形成される。この「鏡写し」の関係は、匠と客との相互作用を端的に示しており、筆者が長年観察と実践を重ねたからこそ語れる洞察だと感じました。

また、協会やランキングといった外的な権威づけに一切関心を持たず、現場で客に真摯に向き合う匠に惹かれる姿勢も鮮やかです。そこには「名声よりも実力」「形式よりも本質」を重んじる筆者の一貫した美学が見て取れます。

さらに、会食後にすぐ記事を書く習慣は、単なる食レポ以上に「匠との時間を記録し、共有し、次へと繋げる」行為であり、筆者自身も匠を育てる一翼を担っていることがよく伝わってきます。これは情報発信者としての責任感と、自らの存在意義への自覚が合わさった行為であり、匠にとっても大きな励みになっているのではないでしょうか。

最後の「虚言や虚栄、駆け引きや打算は不要」というまとめには、人間関係の本質が凝縮されています。互いが自然体で向き合うことでしか育まれない関係性。それは料理という枠を超えて、筆者が人生を通じて見出した普遍的な人間学にもつながっているように思いました。

全体として、このエッセイは「料理」という具体的な場面を通じながら、匠と客、ひいては人と人との関係の在り方を語る含蓄深い内容でした。筆者の姿勢は「食文化を介した人間学」として非常にユニークで、読む者に「自分は果たして匠を育て、また育てられる客であるか」を問いかけてくるように感じます。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2025/9/25 12:00 am

命の砂時計

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 人はこの世に生を受けた瞬間、誰もが知らぬ間に「命の砂時計」を手渡される。透明なガラスの向こうで、きらめく極小の砂粒がひとつ、またひとつと落ちてゆく。

 幼き日、若き日には、その存在に気づくことすらない。無限に広がる時の大地を駆け抜けるように、がむしゃらに前へ前へと進み続ける。時間は尽きぬものと信じ、空を仰ぎながら我が道を行く。強引にマイウェイとして。

 だがある日、不意に砂時計は揺らぎ、異変を告げる。不慮の事故や病、あるいは予期せぬ事件に巻き込まれ、薄きガラスに亀裂が走り、ときに粉々に砕け散ることもある。幸運にも修復の機会を得た者は、その瞬間、はじめて「命の砂時計」と向き合う。だがやがて再び、その存在を忘れ、心の奥にしまい込むのである。

 日本人は年齢を節目とし、還暦をもって一区切りと考えがちである。親や祖父母に異変が生じると、否応なく己の砂時計を取り出し、その残り時間を凝視せざるを得なくなる。

 思い返せば、幼少から青年にかけて砂の上部は溢れるほどに満ちていた。気づけば、ほとんどが下へと落ち尽くし、残るはわずか。若き日にその存在を気づいた人でさえ、年を重ねるごとに砂の落ちる速さが増しているように感じる。そこで初めて、人は「余生」という言葉の重さを知るのだろう。

 近ごろ「人生百年」と声高に唱える者たちがいる。しかしながら、百年を健やかに生き抜く人は、ほんのひと握りに過ぎない。砂の量は等しくとも、落ちる口の細さや、ガラスの強靭さが人それぞれに異なるからである。

 家族や友の砂時計が割れて時を止めても、人はなお生前の姿を忘れられぬ。砂が尽きてもなお、記憶のなかに彼らは息づき、笑い声や眼差しは消えることなく胸の奥で輝き続ける。

 その思いにふと立ち止まるとき、人は「生の刹那」を強く感じずにはいられない。一粒の砂が落ちるその音を聴き逃すまいと、一日一日を愛おしみ、生き切らねばならないと気づくのである。

 ただ漫然と立ち尽くす人生と、世のため人のために躍動する人生。人それぞれであるが、その差は、砂時計の一粒が落ちる瞬間にこそ宿るに違いない。同じ一粒であっても、その重さ、その輝きは、人によって全く質を異にするものになる。

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▼ChatGPT-5による感想

このエッセイは、「命の砂時計」という比喩を通して、人生の有限性と生き方の重みを見事に描き出しています。

まず印象的なのは、冒頭で「人は生まれた瞬間に命の砂時計を手渡される」とする導入です。ここで生命の始まりを「見えざる砂時計」として可視化することで、読者は直ちに「時間の有限性」というテーマに引き込まれます。砂粒がきらめきながら落ちていく描写は、美しさと同時に不可逆性を感じさせ、儚さを鮮烈に印象づけています。

中盤では、人生の段階ごとの「砂時計の意識」が対比的に示されています。幼少期や若さゆえの無限感覚、事故や病による突発的な砂時計の「揺らぎ」、そして親や祖父母の変化を通じて自らの余命を意識せざるを得なくなる転換。この流れは非常に自然で、人生の普遍的な体験を論理的かつ感覚的に読者に重ね合わせています。

さらに、「人生100年」という現代的な言葉を批評的に取り上げ、砂の落ち方やガラスの強靭さという比喩に置き換える部分は、随想に社会的な視点を加えています。ここにより、単なる感傷を超えて、現代人が陥りがちな「長寿幻想」への鋭い指摘が表れています。

終盤の「一粒の砂の重み」のくだりは、全体の結論にふさわしい響きを持っています。砂そのものは誰にとっても同じ大きさだが、それをどう意味づけるかは生き方次第である――という思想は、哲学的でありながら読者の心に直に届きます。

全体を通じて、構成は明快で、論理展開と文学的な表現が調和しています。「砂時計」というひとつのイメージを軸に、人生の序盤から終盤、社会的視点から個人の記憶までを一貫して描いているため、読後感にまとまりがあり、余韻が長く残る作品です。

要するに、このエッセイは「有限の時間をどう生きるか」という普遍的な問いを、誰もが思い描けるイメージを用いて提示しており、哲学的深みと文学的美しさを兼ね備えた随想に仕上がっています。
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文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/9/24 12:00 am

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