ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

オフィシャルとプライベートの距離感

coffee-1


 年末の仕事をしながら、Amazonプライムにて「FBI:特別捜査班」のエピソード1から19までを観ていた。

 そのシナリオは演出ありきであろうかと思われるが、オフィシャルなところに、想定外にプライベートなものが入り込んでいる。

 日本では、オフィシャルとプライベートの境界線を明確にして、プライベートに介在することは禁じ手としているが、米国ではそうでもなさそうだ。

 組織内での恋愛があったり、個人の家庭問題やトラウマなどが見え隠れするシナリオが、少々わざとらしく、作品としては面白みを欠くエピソードが多々あった。

 結局、事件発生、初動段階での打ち合わせ、捜査、そして逮捕と、同じ流れである。そこにプライベートな事件に政界財界が絡んでいたり、または、背景にマフィアの存在があったりと。

 それと比較すれば、アガサ・クリスティー作の「名探偵ポワロ」の方が何度観ても飽きないのである。勿論、吹き替え版は絶対に見ない。それは、字幕版の作品の方が数段楽しめるからだ。

 FBIについて話を戻せば、プライベートな人間模様を強調するがあまりに、人間臭さを演出したいのは分かるが、それが余りに表に出過ぎると、FBIの捜査に悪影響を及ぼすのであれば、論外となる。

 特に、捜査現場でのFBI捜査官の犯人に対する言動が、余りにも違和感がかり、無駄な演出が多々あるところにストレスを感じてしまう。特に、目配せの瞬間に違和感があるところは、見ていて面白みが激減する。

 これは、米国人と筆者個人の考え方、受け止め方の違いによるものだが、所詮、ドラマはドラマ。このようなFBIに関するものであれば、ドキュメンタリータッチの作品の方が迫力もあり、見入ってしまうのではなかろうか。

▼ChatGPT-4oによる感想

エッセイ「オフィシャルとプライベートの距離感」に関する詳細な感想を述べます。

まず、エッセイはアメリカンドラマ「FBI:特別捜査班」と比較する形で、オフィシャルとプライベートの境界についての考察を行っています。日本とアメリカの文化的な違いに焦点を当てながら、それぞれの文化がドラマにどのように影響を与えるかを探求している点が興味深いです。

このエッセイでは、ドラマの中で見られる職場内恋愛や個人の家庭問題などの私生活がプロフェッショナルな環境にどう溶け込んでいるかが指摘されており、これが自然体から遠ざかり、視聴者にとって違和感を与える場合があると述べられています。この点で、筆者は「名探偵ポワロ」のような古典的なミステリー作品の再視聴に耐えうる魅力を評価しており、言語表現の選択(字幕版の支持)もその理由の一部として挙げています。

また、FBI捜査官の人間味を強調しすぎることがドラマの質に悪影響を及ぼすことへの懸念も示されています。筆者によれば、余計な演出や登場人物の不自然な行動がストーリーの進行にストレスを感じさせる主因となっているようです。

エッセイは、文化的な視点と個人の好みを巧みに組み合わせて、エンターテイメントとしての価値とその受容の仕方について考察しており、読者にとっても自らの視聴経験を反映させる良い機会を提供しています。最後に、ドキュメンタリータッチの作品の方が迫力があり、より魅力的であるという意見は、リアリティを重視する視点からのものであり、この点がドラマに求めるリアリズムとフィクションのバランスについての一般的な議論を呼び起こすでしょう。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/12/27 07:55 am

自分の言動が他者にどう映るか???

D5M_6567


 自分の言動が他者にどう映るかを考えてみた。自分では良かれと思い選択した行動も、適時適切であるか自問自答すると、時に誤解を招くことがあり、真意が伝わらないことも多いことに気付く。

 従って、自分の言動は、見る側、聴く側の姿勢にも左右される。初手から色眼鏡で見る人は、どれほど誠意を尽くした言動であっても懐疑的に解釈されがちである。自分自身をよく知る人であれば、一言で多くを理解してもらえることもある。

 周囲の人々が全て善人であったとしても、受け止め方は人それぞれである。しかし、自分の言動については、常に客観的に検証する癖をつけるべきである。思いつきで良かれと行動したことが、実は適切でなく、問題を引き起こすこともあり得る。

 特に、仕事関係では、自らの信念に基づいて誠意をもって対応すれば、その言動は通常、正当として理解されることが多い。しかし、昨日と今日で異なる見解を平然と述べたり、優等生ぶると、徐々に聞く耳を持たれなくなる。

 人々は、自己肯定することの方が自己否定するよりも圧倒的に多いはずだ。筆者が意味するのは、心の鏡である。邪気があれば、心の鏡は曇り、相手に対して真実が伝わりにくくなる。仕事上の対人関係では、一点の曇りもなく対応することが最善であると考える次第。

 貴方は、自分を守るために真実を歪めて伝えたり、心無い言動により問題を引き起こし、その後始末に苦労していないだろうか?不誠実で邪気が表に出る人間関係は、最終的には自身の破滅を招く。それが世の中であり、愚かな人々の実態でもある。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは自己認識とコミュニケーションの複雑さに焦点を当てています。特に、自分の言動が他者にどのように影響を与え、どのように受け取られるかについての洞察が提供されています。

エッセイは、個々の行動がどのように誤解されやすいか、そしてそれが意図したものとは異なる反応を引き起こす可能性があることを示しています。これは、人間の相互作用における解釈の主観性を強調し、他人の視点から自分自身を見ることの重要性を説いています。

特に注目すべきは、個人が自らの信念に基づいて誠実に行動した場合でも、その行動が必ずしも正しく受け入れられるとは限らないという点です。これは、対人関係においては、クリアなコミュニケーションと透明性が求められることを示唆しています。

エッセイはまた、自己肯定の重要性と、邪気や偏見が持つネガティブな影響についても触れています。自己の言動に責任を持ち、その後の影響を慎重に考慮することの重要性を訴えています。

このテキストは、自己反省と周囲との関係性における誠実さを重んじることの大切さを強調しており、読者に対して自己認識を深め、より良い対人関係を築くための思考を促しています。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/12/26 12:00 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp