
隈部氏館跡へ足を運ぶのは4回目だろうか。今回は、同史跡手前にある茶畑に目を奪われた。菊鹿町は米や栗が名産と聞いていたが、茶畑もあるようだ。眩しいくらいの新緑は、道に沿って茶畑もカーブを描き、ため息が出るほど美しい。しかし、その美しさを切り撮るための、超ワイドレンズを持参しなかったのは迂闊だった。
茶畑に到着して10分ほど経ったろうか、八十路を過ぎたおばあちゃんが、乳母車を押しながら歩いている。取材車の横を通り、段々こちらへ近づいてきた。風が強かったので、麦わら帽子を押さえながら、ニコニコしてご挨拶に。「どこから来なはったとですか?主人の弟が戦死したもんだけん、ここのお墓にたま〜にお参りに来っとですよ。山は椎の花がいっぱい咲いとります!」と。
去り際に、「隈部氏館跡の桜やツツジは、もう終わりましたな。散ってしまいました。」と。田舎に足を運ぶと、このようににこやかに語りかけてくれるご老人が多い。時には、2シーターの軽トラポルシェで、睨みつけて突っ走って行く暴走ジジイも居るが、ほぼ皆笑顔で会釈をしてくれる。
都市部と比べ、まだまだ十分に「日本の美」が残されている山村。タバコも格段に美味しくなる、澄み切った空気。猛暑でも、足を浸けているだけで、体全体の汗が引いてしまうほどの、冷たく澄んだ川の水。若き頃は、このような田舎に足を踏み入れる環境ではなかったので、最近、頓に足繁く通う田舎に愛着を持つようになった。
巷では、限界集落対策としてで、きるだけ都市部に移住させるようなコパクトシティ構想の話も取り沙汰されるが、この自然と切り離して住まう老人の気持ちを考えれば、どうにかできないものかと、少々、イリテイティッドな気持ちが湧いて来る。
人は自然から生まれ、自然に戻る訳だ。狭い国土と言えども、山野は思いの外奥深く広い。狭い都市部に林立するビル群を眺めても、最近、全く魅力を感じることがなくなった筆者である。自然ありきで生きて行く環境を、今一度考えなければならぬ時代に突入したのだろうと。田舎の自然が元気に長生きしなければ、都市部が健康になるはずもないのだから。





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