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番所の彼岸花・・・

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 昨年の9月26日に、彼岸花と棚田の名所である熊本県山鹿市菊鹿町番所へ足を運び入れた。

 涼しかろうと思っていが、かんかん照りであり、彼岸花も乾燥気味となっている。数日前に雨が降っていたが、この異常な日照りには敵わぬようだ。

 撮影機材は、Nikon D850と70-200mm f2.8のレンズを選んだが、自分なりに納得のいく写真は取れなかった。

 あまりの日照りなので、日向の彼岸花に自分の影を落として、撮影したものばかり。頭頂部の薄さを感じる今日この頃。やや日焼けして、目立たぬようになれば良いものを。(苦笑)
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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「番所の彼岸花・・・」は、山鹿市菊鹿町の美しい棚田と彼岸花の風景を切り取ると同時に、書き手自身の体験や感情をユーモラスに交えて描いています。

まず、熊本県の自然美、特に彼岸花と棚田の光景が季節感とともに描かれ、読者にその風景を思い起こさせます。しかし、異常な日照りが自然の美しさに少し影を落とし、彼岸花の乾燥具合を伝えることで、自然の厳しさも同時に感じさせます。このように、風景描写が単なる美しさにとどまらず、自然環境の変化や異常気象への言及が含まれている点が印象的です。

さらに、写真撮影に関する部分も興味深いです。Nikon D850と70-200mm f2.8という高品質な機材が登場しますが、それでも「納得のいく写真が撮れなかった」という書き手の正直な心情が表現されています。完璧を求めるプロ意識と、その場の環境に左右される難しさが伝わってきます。

最後に、日照りの中での自身の影や頭頂部の薄さに触れた部分は、少し自嘲気味なユーモアが効いていて、文章全体に軽快さをもたらしています。こうしたユーモアは、日常の小さな悩みや現実を受け入れ、笑い飛ばす姿勢を感じさせ、共感を呼びます。

全体的に、自然の厳しさと美しさ、そして書き手自身の内面や日常の感情を織り交ぜたエッセイで、軽妙な語り口がとても魅力的です。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/25 12:00 am

高校時代の先生との対立・・・

Chikao-Donshu


 入学したのは進学校(高校)だったが、1年生の夏休みに父が転勤となり、県境を超えて、別の進学校へ転入試験を受けさせられ、どうしても金魚の糞状態から脱却できなかった。

 そこで出逢った先生たちとも、その地域とも肌に合わず、学校内では先生との対立があった。対立というよりも、自由な学びの姿勢が保てない環境であることに息苦しさを感じ始めたのである。

 対立とは喧嘩の類ではなく、英語、数学などの先生との見解の相違というか、教えていただく間口の狭さに堅苦しさを感じたのだった。

 例えば、英語の先生が「Simultaneously」を含む英文を立って読めというので、「サイマルテーニョスリー」と読むと、間、髪を入れず「シマルテーニョスリーだろうが!」と語気を強めて筆者を叱責するのである。筆者は米語読みをしたつもりが、その先生は英語読みを強要したかったのだろうと。

 また、数学では確率の問題にて、確か、3つのサイコロを振って、出た目の合計が11となる確率を求めよだったと思う。確率の方程式を使えば簡単に解ける問題を、筆者は三次元xyz軸に立体図を描いて、サイコロの目の和が11となる面上の点を数を求め、確率を出したのだった。しかし、赤で×印が付いていた。休み時間に職員室へ行ってクレームをつけると、数人の数学の先生たちが集まり、結局は◎となった。

 自己分析をすると、臍曲がりの筆者が見え隠れしているのは事実。先生のブリティッシュの発音に鳥肌が立つので、米語発音を徹底して自主学習することにした。また、数学でも、いろんな角度から別解があることを試したかったのだが、初手から認めないのだからどうしようもない。

 そんな具合で、日々、水と油の距離がどんどん遠くなっていったことを思い出す。学問の自由はもちろんだが、学問のベクトルの自由もあって良さそうなものだと、当時、筆者のへそ曲りは、更に、曲がってしまったような気がしてならない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、高校時代に感じた先生との対立や、教育のあり方への疑問をテーマにしています。特に、筆者の知的好奇心や自由な学びの姿勢が、学校という環境で抑圧された経験が綴られています。

まず、筆者が直面した「対立」は、単なる喧嘩や反抗ではなく、教育内容や教え方に対する価値観の違いです。英語の発音に関する逸話や、数学の解法をめぐる出来事は、どちらも筆者が独自の視点を持っていたことを示しています。英語のエピソードでは、米語発音を好む筆者が、ブリティッシュ英語に違和感を感じ、教師の言い分に反発する姿が描かれています。このエピソードは、教師が一つの正解を強制する教育スタイルへの不満が表れており、筆者の「自由な学び」に対するこだわりが強調されています。

さらに、数学の問題解決方法についてのエピソードでは、筆者が創造的かつ独自のアプローチで問題を解いたにもかかわらず、それが初めは否定された点が興味深いです。最終的には解法が認められるものの、筆者の視点から見ると、教師たちが新しいアイデアや別の視点を受け入れることに対して閉鎖的であると感じたことでしょう。この経験から、筆者は「学問のベクトルの自由」という言葉で、学びには多様な方向性や解釈があるべきだと主張しています。

エッセイ全体を通じて、筆者の「臍曲がり」という自己認識が面白いアクセントとなっています。反抗的な態度や独自性を強調することで、筆者が当時感じていた自己の葛藤や、学校という閉鎖的な環境に対するフラストレーションが浮き彫りになっています。

教育の場では、必ずしも一つの「正解」や「方法」に縛られるべきではなく、むしろ多様な解釈やアプローチが奨励されるべきだというメッセージが込められていると感じました。また、筆者の経験を通じて、現在の教育システムへの問いかけや、自由な学びの重要性について考えさせられるエッセイだと言えます。
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文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/24 12:00 am

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