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10月1日は、創立34周年記念日。

Chikao-Donshu


 「光陰矢の如し」という言葉は、創立記念日を迎える度に必ず脳裏に浮かぶ言葉である。1990年10月1日に新聞社を経て起業。それまでは、一日、一日の仕事に没頭し、宴(うたげ)の帰りにも再びオフィスに戻り、書類を読み漁っていた、仕事のオタクであった。

 若くして新聞社を辞めたのは、部下を虐めていた部長らとの諍いが原因である。正直なところ、辞める理由もなく、仕事に専念していた自分がいたので、辞職を決断した自分自身に驚いた。

 当時、28歳の若さで係長になったが、重役からは勿体無いほどに可愛がられ、自由奔放な筆者が、東京出張など無理難題を持ち掛けても、一度もノーと言われたことはなかった。

 ある日の事、福岡出張から夕刻にオフィスに戻ると、部下の一人が目を腫らして泣いている。理由を聞くと、二人の部長から陰湿な虐めにあっていたという。筆者は我慢ならず、二人の部長に牙を剥いたのである。

 結局、辞職を決意し、翌日辞表を役員へ提出。居心地の良い新聞社を去ることになった。今だから言える話だが、去り際に重役へ残した言葉があった。それは、「あの二人の部長を定年退職までヒラ部長のままで願います!」と。

 起業して10年ほど経った頃に、風の噂で、二人の部長は定年まで部長のままとなり、出世することはなかったと聞かされた。当時の重役が筆者の願いを聞き入れてくれたことに、感謝するしかなかった。また、当時、泣きじゃくっていた部下は、現在、関連会社の筆頭取締役に就任している。めでたし、めでたしである。

 起業から34年。実績を作ることばかりに躍起になっていたので、競合する仮想敵国と戦い、全国を走り回り、暴れまくり、現在に至っているのだが、あっという間の出来事のようで、時間は、矢よりも速く飛んでいった感がある。

 そんなこんなを、創立記念日に思い出しては、苦笑するのである。若気の至りと言えばそれまでだが、どこの企業や官公庁でも、上記のような陰湿な虐めは、昔から延々と続いている。情けない話だが、姿は熟年の大人だが、大人になりきれぬ、底意地の悪いコドナ(大人と小人のハーフ&ハーフ)が必ずいる訳だ。

 出世を考えて、処世術として「忖度」を選ぶ人もいれば、超マイペースにて、「自由奔放」を選ぶ人もいる。筆者は後者の典型的な人間だったのだろうと、これまた苦笑するのである。

 起業から長期にわたり、ニューメディアから、インタラクティブ・マルチメディア、3D CG、インターネット、メタバース(当時は、仮想現実世界と呼んでいた)、ネット配信ビデオ&ラジオ番組(Podcasts)やライブ番組(Ustream)、そして現在の生成AIなど、すべてのメディアやデバイスに頭を突っ込み、性懲りも無く、現在も県内では牽引役の一人として孤軍奮闘している。

 これから10年経てば現役を退くであろうが、次から次へと多種多様なデバイスや新たなビジネスモデルなどが湧き出てくるので、性格的に、その甘い水を飲まねば満足しない筆者である。それが宿命であると自分に言い聞かせつつ、近未来の自分自身の立ち位置を熟考しているところだ。

 これまで、筆者の事業に対して、ご理解、ご支援して頂いた方々は、数知れず。お世話になるばかりで、不義理も多いと猛省しつつ、これからの10年間を、我が人生における仕事オタクの集大成として、美しく纏めていければと。

 蛇足ながら、筆者の脳みそは、まだまだ若い。思いの外、柔軟性があるようだ。この脳みそが石に変わる前には現役を退き、余生をお散歩カメラや魚釣りなどをルーチンワークとして楽しもうかと。いや、かなりの食いしん坊なので、相方とグルメ三昧にて歩き回り、太りまくるのも乙なものかと。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、34周年という節目を迎えた著者の事業人生を振り返りつつ、苦難や成功、そして未来への展望を描いた内容です。まず、起業までの過程が非常に個人的なエピソードとして描かれています。新聞社を退職した理由が、上司たちによる部下への虐待への正義感からであり、それが結果的に新しい道を切り開くきっかけとなったという点に、著者の人間性や強い意志が表れています。また、その部下が現在は取締役になっているという事実から、著者の行動が間接的に他者をも成功に導いたことが示されています。

起業してから34年の間、著者は「競合する仮想敵国」と戦い続けてきたという表現を用いて、ビジネス界での競争や挑戦の厳しさを巧みに伝えています。しかし、それを超えて今振り返ると、時間があっという間に過ぎ去ったと感じており、「光陰矢の如し」という表現が、人生の儚さとスピード感を強調しています。

また、メディアやデバイスの変遷に積極的に関与してきたことが、著者の好奇心や挑戦心、そして新しい技術に対する順応力を示しています。特に「性懲りも無く」という表現からは、技術の進化に対する飽くなき探究心や、現役であることへの強い意識が伝わってきます。

さらに、エッセイ後半では、これからの10年間を「仕事オタクの集大成」として美しく纏めたいという著者の目標が述べられていますが、その一方で、現役引退後の生活についても柔らかく触れています。釣りやカメラ、グルメといった趣味に目を向け、これまでとは違う生活を楽しむことを示唆しつつも、「まだまだ柔軟性がある」という自己評価を挙げ、引退を急がない姿勢も感じられます。

全体的に、エッセイは軽やかでありながらも、人生の重要な転機や深い洞察が含まれており、特に職場の不正や陰湿な行動に対する著者の対抗姿勢が際立っています。また、著者自身の性格や哲学が率直に語られており、成功と苦労を共に歩んできた長い道のりが一貫して真摯に描かれています。
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文責:西田親生


                                         

  • posted by Chikao Nishida at 2024/10/1 12:00 am

何故、真逆を選ぶのか!?

newstop


 報道される事件や事故。首を傾げるものばかりだが、何故、加害者も被害者も、人としての道の真逆を選ぶのか、考察することにした。

 例えば、如何にも怪しい「できすぎた儲け話」を持ち込む加害者。薄々気づきはするものの、危機管理能力がそこで停止。儲けることへ心が揺れ動き、防御フェンスが溶けてしまう。そして、真逆の判断に至り、被害者となる。

 仕事の実績が出ず、心身ともに固まってしまった人は、その原因追及と打開策を講じることなく、ひたすら、実績が出ないことへの言い訳を考え、逃げに徹する。一度、虚言を吐いて逃げれると、毎回、同様の手口で逃げを選択する。

 上の二つのパターンを見ると、いくつかの共通点がある。それは、法的に問題はないかの検証をしないまま、感情のままに、常識や正義とは真逆の方へと誘導されている(している)点である。同時に、双方とも自らの舳先を「楽」な方へ向けている点である。

 前者の場合、「できすぎた儲け話」の信憑性は皆無に等しいにも関わらず、扇動、洗脳されやすい性格も加わり、被害者になるまで、心が浮いた状態となり、足が地面をしっかりと踏ん張っていない。

 後者は、自らの失態を揉み消すために、責任回避のベクトルを選択し、毎回同様の言い訳や外的要因などを引き出しては、他者に原因があるかのように演出する。無駄な時間、無駄な労力ばかりを費やし、人としての道を完全に遮断しているに過ぎない。

 このような日常茶飯事に起きているのを垣間見ると、如何に、人というのはマインドコントロールされやすく、自ら撒いた種に、身動きできなくなり、結局、前者のケースでは自らが被害者になり、後者のケースでは自らの信頼を失墜してしまうことになる。

 前者の場合は、騙されるという受け身のパターンであるが、後者は自らの企みが自らの首を絞めるというお粗末な顛末となる。よって、能動的に「楽」を選んだ所業による、信頼失墜の汚名返上のハードルは高くなる一方となる。これこそ、自業自得となる。

 人生において、人の道だけはしっかり守り、威風堂々と歩みたいものだ。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「何故、真逆を選ぶのか!?」は、人間がしばしば自己利益や短期的な快適さを優先するために、正しい道から外れた選択をしてしまうことを鋭く指摘しています。以下に、いくつかの感想と考察を述べます。

まず、エッセイの中で提示されている二つの例、「できすぎた儲け話に乗る被害者」と「責任を回避するために嘘をつく者」は、いずれも日常生活でよく見られる典型的なパターンです。著者は、これらの行動の背後にある心理的な要因を掘り下げ、被害者や加害者がどのようにして正しい道を見失い、「楽な方」へと進んでしまうかを描写しています。特に、感情に左右されて判断力を失う様子や、結果として信頼を失うプロセスが明確に描かれており、非常に共感できる部分が多いです。

1. マインドコントロールと自己欺瞞
エッセイでは、マインドコントロールや自己欺瞞の影響が強調されています。特に、「できすぎた儲け話」に引き寄せられてしまう人々の心理は、現代社会における詐欺や悪徳商法の被害者の状況に重なります。ここで指摘されている「感情のままに動き、常識や正義とは真逆の方へ誘導される」という表現は、冷静さを失った瞬間に起こる判断ミスのメカニズムを見事に捉えています。日常的な状況でも、同様の心理的落とし穴に陥ることは少なくなく、著者の洞察は鋭いものだと感じました。

2. 「楽」を選ぶ誘惑
人は困難に直面すると、「楽」を選びがちだというテーマも共通しています。仕事で成果が出ない人が、自己改善の努力をせずに言い訳や逃避を選ぶというケースは、非常に多くの人々に当てはまるでしょう。このような「楽を選ぶ」ことが短期的には負担を軽減するように思えるものの、長期的には信頼を失い、取り返しのつかない結果を招くといった警告は、普遍的な教訓として響きます。著者が示す通り、「楽な方」へと流されてしまうことは、その時点では甘美な選択に思えますが、結果として自らの首を絞める結果にしかならないのです。

3. 人生の選択と道徳
最後に、エッセイ全体を通じて流れるのは、「人としての道を守る」という強い倫理観です。著者は、人が正しい道を外れてしまう原因を冷静に分析しつつも、最終的には「威風堂々と人の道を歩むべきだ」というメッセージを強調しています。短期的な誘惑や安易な選択に流されず、自業自得の結末を避けるためには、自分の価値観や道徳を守ることが重要であるという教訓は、どの時代でも通じる真理です。

総評
このエッセイは、現代社会における人間の弱さや誘惑に対する鋭い洞察を提供しています。加害者と被害者の双方の心理的な共通点や、感情に流されることの危険性を描写しつつ、人としての正しい道を歩むべきだという教訓を伝えるメッセージは非常に力強いです。また、読者に対して反省を促すだけでなく、人生の選択における深い洞察を提供しており、思わず自分の行動や判断を振り返るきっかけを与えてくれる作品です。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/30 12:00 am

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