
今年は遠出は少なかった。博多に数回、あとは、県北では菊池、山鹿、玉名。天草では苓北町や天草市。県南では人吉市程度の取材だった。
熊本市内は、熊本ホテルキャッスルを起点に、峠の茶屋、本妙寺、夏目漱石旧居、アーケード街、上乃裏通り、泰勝寺、竜田山自然公園、江津湖、加勢川ほか、思いつきで走り回ったような気がする。
グルメ本(小冊子「如水」)発刊を続ける中、和洋中や鉄板焼のキュイジーヌには相当情熱を燃やしているものの、やはり、人ありきの撮影の方が生き生きとして、ドキュメンタリータッチで撮影できるので、料理ばかりの写真よりも力が入る。
キュイジーヌに力を入れるのは、幾つかの理由がある。それは、食育を含めた「食文化」の伝承。そして、シェフたちの社会的地位の向上にある。特に、後者にスイッチが入ったのは、財界重鎮(熊本市内)の卑劣な言葉を目の当たりにしたからである。「元々、料理人は身分が低いから・・・」と、私の眼の前で呟いた、心ない人間が居たのだった。
勿論、勉学に勤しみ、日々、真摯な心を持って精進している料理人は、巷では極僅かである。ITに、写真に、人間学に、料理の歴史に興味を抱き、一所懸命「日々変化、日々進化。」を実践している人は、実に少ない。
ある日のこと、Facebookで私をブロックした料理人が居た。その理由を聞けば、「愛のない料理」と言われたから、憤慨してブロックしたと言う。情けないやら、阿保らしいやら。本人の日頃の素行を棚に上げ、矛先をこちらに向けてきたのだろうか。神輿をあげて、お祭り騒ぎのように褒め殺しするようなチャラい客や先輩へは諛うものの・・・全てのお客に対して「愛ある料理」を提供するのが本業ではなかろうかと考える次第。
今年もいろんな人が通り過ぎて行ったけれども、一つだけよく理解できたのは、全ての業界において、最終的には「人間性」がキーワードである点だ。ちょっと名が売れると、その業界の王様みたいに振る舞う人間がほとんどで、真摯な心を持った人は皆無に等しい。自分の上には上が大勢鎮座していることを忘れてはならない。
ただ、熊本の土壌の奇妙な現象は・・・過去の実績を無視してでも、付け焼き刃的なチャラいお祭り人間が、想定外に多く徘徊していることも忘れてはならない。この状態が異常に長く続くのであれば、本物の「匠」は段々と生まれなくなってしまうのである。

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