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Appleの拘りは、スティーブ・ジョブズの拘り。薄いMacBookから奏でられる音楽を聴き、透き通る音とその音域に酔いしれる。

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 「西田親生のICTプロ並みZOOMセミナー」で推奨しているラップトップやデスクトップは、勿論、MacBook Pro、MacBook Air、iMac、iPad Proであるが、仕事中に音楽を聴くことは少なかった。

 本日、保有する機材のメンテナンスも含めて、作業中心のMacBook Proを正面に置き、右奥に別のMacBook Proにて音楽を聴いてみることにした。

 日頃はスタッフがiMacを使い、業務をこなしている。オフィス内は、映画を観ようが、音楽をヘッドフォンで聴こうが自由な場所。これは、会社創立(1990年)以来からのものであり、クロスメディア(当時はマルチメディア)を追究するオフィスとしては、当然必須の環境であると考えている。

 Macについては、1984年(当時はMacintoshと呼んでいた)以来、筆者の私設秘書として幾世代も活躍して来ているで、ペットのようでもあり、常に生活に密着した、不可欠な存在。人に近い存在と言っても過言ではない。極端な話、擬態化した何かに見えてしまうことさえある。

 自分自身が体調が良ければ、このペットも絶好調。善かれ悪しかれ、仕事柄、日々記事を書くのをルーチンワークとしている。よって、コラム内容や書き綴った文字数により、その1日の精神状態なり、心の動きなりを客観視しながら、自己コントロールしていると言う訳だ。

 本題に戻るが、MacBook ProやMacBook Airは、実に薄い。アルミの削り出しで作られた本体は、プラスティックを多用している他のWindowsマシンとは比較にならぬほどの仕上がり具合である。表現が適切ではないが、プラスティック製のWindowsノートが軽トラならば、MacBookはポルシェかアストンマーチン感覚となる。

 何でもかんでも薄くて軽ければ良いと言うものではない。MacBookはそれなりに重量感がある。軽すぎるデジカメのシャッターよりも、重厚なる一眼レフカメラのシャッターの方が安定しているのと良く似ている。

 アルミ本体のエッジの仕上げも、スピーカーの設置状態も見事なもの。キーボードは、Proの方がAirよりもタッチが柔らかく、更に高精度であり、プロ仕様となっている。

 さて、これからMacBookに搭載している音楽を聴くことに。以前、筆者の好みの購入した音楽(CD-ROM)をMacBookにインストールしたものもあれば、ワンクリックでダウンロードして購入した音楽も沢山ある。

 スピーカー位置は、キーボード左右の下らしいけれども、すごく小さな穴が多数開けられ、そこから音が流れ出る。昔、アナログ時代のステレオスピーカーとは比較にならぬほどの極小パーツである。

 音は、腹にズーンと響く重低音や天井を突き破るようなトランペットの音に魅了される。通常、スピーカーと言えば、高音域、中音域、そして低音域の3つのスピーカーが大きな箱に埋められていたのが、アナログ時代だった。

 このMacBookは、物理的には、想定外の小さなスピーカーシステムが搭載されている。勿論、10年ほど前のMacBook Airとなれば、形はほぼ同じだが、技術的にまだまだ未熟であったために、音も硬く、音域は狭かったことを覚えている。

 しかしながら、現在のMacBookのProやAirはとんでもなく進化しており、目を瞑って、好みの音楽を聴いていると、昔々のアナログなラジカセの音質よりも、数段音質も良く、音域は広い。

 実際、音質はアナログの方が断然良いけれども、この薄っぺらいもので聞けるはずもなく、携帯性にも欠けていた時代に生まれた人間なので、音はどうしても、アナログを重視する。

 ここで、右奥のMacBook Proの音楽を弦楽器でどれほど再現しているのかを実験してみた。分かりやすい音楽となれば、有名なギタリストのクロード・チアリのギターの弦の響きを聴いてみようかと。

 なかなかの音質である。MacBook Proの周囲をぐるりとゆっくり歩きながら、音に全集中。やや遠目に聴いたり、近づいて聴いてみたり。目を閉じて、その音楽に耳を傾けると、大きなアナログなステレオを聴いているかのような錯覚に陥ってしまいそうだ。

 アコースティック6弦の揺れが目に浮かぶほどの再現性。そこで「枯葉」を聴いてみた。見事なアルペジオが見え隠れしており、6弦がしなやかに揺れる。ギター本体の木質なりが手で触れて分かるように、乾いた中に、密度の高い、艶のある音が響き渡る。

 今度は、渡辺貞夫のジャズはどうだろうか。季節柄、これまた随分昔のものだが「カリフォルニア・シャワー」を聴いてみることにした。蛇足ながら、愛車のスピーカーは10スピーカー。後部トランクルームにスーパーウーハーを搭載しているものだが、それに勝るとも劣らぬ音質、音量である。正直、驚いた。

 次に、徳永英明がカバーした「翼をください」を聴きながら、ピアノの音色、パーカッションの歯切れなどをチェックした。彼のソフトでハスキーな高い声と相まって、とてもいい感じである。

 最後に、昔々のモノ録音であるスティービー・ワンダーの「Down to Earth」を聴くことにした。当時はステレオ録音されていないので、音域は浅い。しかし、デジタライズされたこの曲は、全く違和感なく聴けた。もし、これが、現代の録音技術であれば、深みある臨場感があるのだろうと。

 以上のようにMacBook Proで音楽を聴きながら記事を書いていたら、ランチタイムを忘れ、いつの間にか1時間ほどが経ってしまった。

 パソコンとは何ぞや、と自問自答・・・。

 筆者は、自転車や車と同じ感覚を持ち、その存在は、冒頭に述べたように、ペット感覚、私設秘書としての信頼関係、冷蔵庫や電子レンジなどと同様の生活必需家電、そして、高級な電子ピアノやシンセサイザーのようなものに見えてしまう。

 メールは、玄関横の郵便受けである。プッシュ通知音は、玄関ドアのドアフォンである。ある時は、プライベート空間における映画館、劇場、コンサートホールと様変わりする、とんでもない可愛い化け物が、パソコンであると言えるのではないか。

 それに連動するApple Watchとなれば、健康診断ツールまで搭載しているのであるから、デジタルお化けに育ってしまった。これからのメタバース時代には、更に巨人化するだろうと・・・。

 こんなに世話焼きペットが居るのならば、折角ならば、十二分に接点を持ち、楽しいデジタル時代を送るのも素敵な人生なのかも知れない。

 これだけの小さな巨人を、できることならば、自分の人生を豊かにするものとして大切にしたいものである。これからの時代、「デジタル音痴」と豪語するよりも、デジタルを操ることで、もっと幅広く奥深い豊かな人生を送ることができるのではないかと確信している次第。

▼デジタル+アナログの魅力満載のMacBookのセミナーをスタートしました。タイトルは「西田親生のICTプロ並みZOOMセミナー」。ご興味のある方は、是非、ご参加ください。ICT Doctorの筆者が、微に入り細に入り、小さな巨人の魅力を全て伝授します。

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文責:西田親生

                         

  • posted by Chikao Nishida at 2022/6/23 12:00 am

一瞬の所作・・・その人の民度全てを物語るほど、恐ろしくもあり、恥ずかしくもあり・・・。

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 昨日、こんなことがあった。別に取り立てて記事にするようなものでもないが、その一部始終を再検証してみたいと思う。

 現場は、或る商店。若い女性アルバイトがレジに立っている。まだ新人なのか、立ち姿も目配りなど板に付いていない。何となく嫌な予感がした。

 レジ袋が何枚要るかのシミュレーションができていない。更に、商品扱いが粗雑であり、笑顔がない。一つ一つの所作がとても気になってしまう。

 筆者が嫌うのは、店員の商品扱いの粗雑さである。特に食べ物となれば、迅速正確にパック詰めしなければ、空中の砂塵が食品に付着する。

 パック詰めに時間が掛かり、無理やり一つの容器に沢山詰め込もうとしている。惣菜自体が潰れる可能性もあり、惣菜の種類によっては、匂いが混る。

 さて、これから本題の「一瞬の所作」である。ほんの一瞬であるが、この無意識な所作により、その人の民度レベルや生活環境が透けて見える。非常に怖い瞬間となる。

 今回、クレームを入れたのは、上述の惣菜のパック詰に時間が掛かり過ぎており、何度もトングを使って惣菜を掴んでは放し、弄り回している。既に、失態の始まりである。

 また、袋が一枚しかなかったので、追加したのは良いが、袋詰めした一つの袋を、本人の正面から左へ移動しようとしている。しかし、ここで手の甲を使い押し出したのであった。

 これが今回の最悪の所作として、指摘されることになる。その動きがスローモーションのように見えてしまうのだが、手の甲で横にずらすという行為は、「あっち、行け!」である訳だ。

 お客が購入した商品が入った大切な袋へ「あっち、行け!」となれば、そのお行儀の悪さと商品扱いの粗雑さに唖然としてしまう。

 或る人にそれを尋ねれば、「所詮、そんな店でしょ!」と見下す人もいれば、「え〜、ありえない。日頃の生活が見透かされるようで恥ずかしい!」と言う人もいる。

 全て支払いが終わり、要らぬ世話だが、苦言を呈する事にした。勿論、指摘したのは惣菜の取り扱いと袋の「あっち、行け!」である。

 ところが、それを聞かされた女性アルバイトは何食わぬ顔で、ポーカーフェイス。全く、指摘されたことへ耳を傾けることもなく、猛省など皆無であった。

 だから、「所詮、そんな店だから!」と見下されてしまう。このような一瞬の所作が罷り通るとなれば、その店には、それなりのお客しか足を運ばなくなってしまう。

 ここは高級ホテルだから、ここは小さな民宿だから、ここは山小屋だからと、その施設によって、所作を上品から下品に、ギアを入れ替えること自体、おかしな話である。TPOとは、ちょいと違う。そこがどんなに小さな店であっても、商品取扱いに上中下はなかろうと・・・。

 自分の一瞬の所作が、恥ずかしさの境界線を逸脱しているのか否かの、自己チェックができないレベルであれば、今の段階にて、店頭に立たせるには時期尚早である訳だ。

 おいおい慣れればという楽観的な教育ではなく、店の顔でもあるレジに立たせるには、しっかりとした教育、訓練をした上で、初めて立つことができるのではなかろうか。

 その店では、これまで何度か爆弾を落としたことがあった。それは、知り合いでもある店主のこと、店のことを思う微力ながら応援しているからこそであるが、少しでも思いが伝わればと・・・。

 face to faceでの接遇は、言うは易し行うは難し。どこの店でも同様に、ヒューマンウェアの獲得、育成に苦労しているに違いない。最近では、「習ってませんので!」と言い訳されるのがオチとなる。

 以前、記事で取り上げたことだが、大の大人(アラサー)が、ご飯茶碗の持ち方さえも分からず、奇妙にも、茶碗を左手で上から掴んでいた。幼い頃から、どんな躾をされたのかと閉口したことがあった。シティホテルのレストランでのハプニングだったので、こちらが恥ずかしくなった。

 それを思い出す度に、その人物の日頃のライフスタイルが見え隠れするのだが、赤恥かいていることさえ気づいていない。それがマスコミ関係者であれば、尚更のこと。注意を受けて、逆ギレするのだから、先々出世しようとも、また同じ恥の上塗りをするに違いない。

 一瞬の所作は、本当に恐ろしい。


▼子育てに大忙しの燕の親たち(孔子公園内)
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写真・文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/6/22 12:00 am

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