
薔薇の花々を愛でると言っても、気の遠くなるほどの手入れが行き届き、初めて美しい薔薇園として美しさを放つ。
久しぶりに足を運んだフードパル熊本だったが、汗だくとなり、一所懸命花々の世話をしている方々の姿があった。時には通り過ぎる中で、「今が一番良い頃ですよ。どうか、よか写真ば沢山撮ってください!」と言ってくれる人もいた。
若き頃の筆者の頭には、「女性が花々の美しさを語るのは分かるが、男性が・・・」と、少々、照れもあるのか、勝手に自分の興味の範囲を狭め、壁を作っていたのは否めない。範囲を定めるために、見えない壁を作っており、自ずから自然に対する感性を低いものにしていたのだろうと。
近頃、取材のアクティビティの中で、野鳥や景色のほか、四季折々の花々を撮影することが多くなっている。勿論、その撮影に最適なレンズやカメラを選び、試行錯誤しながら、その時期の「旬」を切り撮って行く訳だが、その都度、小さな発見があり、毎回充実した取材ができていると自負する次第。
ただ、スマホを使って「取材」と語る、軽薄な人間もなきにしもあらず。ブライベートBlogをもって「記事」と豪語する素人もなきにしもあらず。しかしながら、瞬間的に切り撮るというのは、そう簡単なことではない。特に撮影においては、被写体がどんな構図と角度で、何を記録してくれと囁いてくれるまで、待つことから始まるのだ。
蛇足だが、最近頓に思うことは、邪悪な心(やけに神仏を語る偽善者に多い)を持つ人間が花を愛でるような言葉を発すると、全てに整合性のなさに気づく。美辞麗句を多用したり、神々しい言葉を執拗に遣っているところが、実に片腹痛い。世の中の人々の心を清める寺社も花々も、大変迷惑をしているのではないかと・・・。
花々は、自然体で心優しい人たちに愛でて貰いたいと思っているに違いないのだから。




▼取材風景 photo by Assistant Photographer

◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995)
http://www.dandl.co.jp/

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