
人は、一生懸命な時が最も光り輝く瞬間である。頑張っている時こそが、その人らしさが最も輝く瞬間である。優れていると褒められ、他者から認められる場所にいると、しばしば満足感に包まれがちだ。
それが、若くして起業してから数年間の筆者の心情であった。当時、青二才の筆者は、これが唯一の真実だと思い込んでいたが、今に至っては、それは大きな勘違いで、履き違えだったと思わざるを得ない。
このような環境に身を置いていると、自分の足元が見えづらくなるばかりか、自己中心的で手がつけられないものになってしまいがちとなる。ただただ、無意味な自己満足の世界に浸かっていたようの思えて仕方ない。
貪欲な性格は常に高みを目指し、手に入れられないものがあると日々ストレスを抱え込む。そのストレス解消のために、漠然とした癒やしに執着してしまう。この愚かな繰り返しが、この筆者がが凡なる凡人である理由の一因なのかも知れない。
仕事に追われながら、「肩に力を入れすぎてるが、それが何になる?」と自問自答していく中で、「社会貢献としてボランティアで地域活性化に力を注ぎ、誰が感謝してくれるのか?」、「これまでの実績は自分の人生においてどれほど意味があるのか?」など、多くの疑問が頭を過ぎるようになった。
先日、辣腕起業家の人がこう漏らしていた。「これまで頑張りすぎて動き回ってきたけれど、ここらで力を抜いて、ゆったりとした環境に浸りたい。それが一番なんだ!」と、頑張りすぎてきた人が口にした本音であった。
頑張ることは素晴らしいことだが、時には失敗から学ぶことや、心の奥底で苦笑いすることも、人間らしく奥ゆかしさを感じさせるものである。
力を抜くということは、実は「自然体」であることを意味する。自分の力を過信すれば、そのリバウンドは予想以上に大きいものとなる。よって、自己過大評価は単なる妄想に過ぎず、何の意味もなさない。
今も尚、凡人の域を脱することはできていないが、我が人生の歪みに気づき、少しでも「自然体」で人間らしい人生を受け入れることが重要であると、遅ればせながら考えるようになった。
何より怠慢な人生は避けるべきだが、肩の力を抜いて過ごす、少なくとも質素でありながらも楽しい人生、微笑ましい人生を送れるような、非凡なる凡人であればと・・・。
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