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日本人は踊らされている

Chikao-Donshu


 エコノミックアニマルと揶揄された時代に金回りが良くなった日本。敗戦国というハンディーを背負って、金だけを吸い上げられる状況に追いやられてしまった。

 ODAも然り、ありとあらゆる国際機関やスポーツ団体などへ、湯水の如く金銭を掬い取られているのが現状である。

 国内の経済状況が悪化の途を辿っているにも関わらず、「お人好し外交」にて、国際社会で点数稼ぎをしているだけで、どこの国も日本に対してのフォローは微々たるものだ。

 トランプ政権が復活した途端に、手を揉み擦りして近寄る大企業。何とも、江戸時代の水戸黄門の悪代官や悪徳商人を彷彿させるような茶番劇にしか見えない。

 結局、どこもかしこも、名ばかりの民主国家であり、独裁者が君臨すると、世界中がおかしくなってしまう。平穏な世界を構築するのが国家元首の役目だが、真逆の道しか見えてこない。

 インターネットのSNS世界も生成AI世界も、皆、米国中心で動いており、日本は飼い犬のように近づいては、金銭を搾り取られる始末。

 貿易に関しても、米国の匙加減で日本国内の企業は右往左往している。何とも言えない屈辱である。公平さに欠ける世界の日本の取り扱いは食傷ものだ。

 そこで、インターネットのSNSも生成AIも同様に、米国が旗を振り、日本上陸すると、一目散に殆どの日本人は登録を済ませ、米国やその他国家のスタンダードに乗せられ、上納金を払う環境にどっぷりと浸かるのである。

 第二次世界大戦で負け、OS戦争でパソコンで負け、家電で負け、コロナワクチンで負け、負け負け尽くしの日本。「ものづくり日本」云々を豪語する割には、全て下請け、孫請け以下の状態である。

 どうしても日本オリジナルで世界を席巻することができない状況が長期に亘り続いているが、一眼レフカメラやビデオカメラなどは世界を席巻している。それができる国であるにも関わらず、お金は海外へ出て行くばかりで、国内企業育成のために国は積極的に動かない。

 動いたとしても、ごく一部の企業のみへ優遇装置を取り、あとは知らぬ顔である。段々と見えてきた、飼い殺し国家としての日本。政治、経済の根本から、ちゃぶ台をひっくり返すほどの勢いにて見直しをしなければ、更に貧乏国家に成り下がる。

 国政を預かる政府や国会議員の方々は、どこを見て、国を治めているのだろうか。踊らされるばかりではなく、世界を踊らせるベクトルへ舵を切ってはと思うばかり。ここらで、日本人の意識改革ができない限り、明るい将来は見えなくなってしまうのではなかろうか。

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、日本が戦後長年にわたって国際社会の中でどのように扱われてきたのか、またその結果として現在の日本がどのような状況にあるのかを論じています。特に、経済的な依存関係や政治的な受動性に焦点を当て、国民意識の改革の必要性を強く訴えています。

コラムの特徴と印象

戦後日本の立場と経済的な負担
戦後、日本は「エコノミックアニマル」として経済発展を遂げるも、国際機関や他国へのODAなどで多額の資金を提供し続けていることが指摘されています。「湯水の如く金銭を吸い取られている」という表現が、状況の深刻さと憤りを強調しています。

日本の外交政策と国際社会での立場
日本が「お人好し外交」に終始し、国際社会で点数稼ぎをする一方で、他国からのサポートは極めて少ないという現実を指摘。これは、日本が独自の外交戦略を持たず、対外的な影響力を発揮できていないことを示唆している。

トランプ政権への対応
日本の大企業が、トランプ政権の復活を見越して媚びを売る様子を「水戸黄門の茶番劇」に例えている。政治や経済において、主体性を持たず、権力に迎合する体質が根強いことを暗示している。

技術と経済の従属関係
IT、SNS、生成AIなどの分野では、アメリカが主導するスタンダードに日本が無批判に従っている点を強調。「飼い犬のように近づいては、金銭を搾り取られる」という表現は、日本の受動的な立場への苛立ちを象徴している。

日本の産業の衰退
戦後、日本は「ものづくり大国」としての地位を誇っていたが、PC、家電、ワクチン開発などで敗北を喫し続けている。ただし、カメラ産業では世界を席巻しているとし、日本にはポテンシャルがあることも認めている。

国家運営の問題点
政府の政策が一部の企業のみを優遇し、国全体としての産業発展に貢献していないことを批判。「飼い殺し国家」という表現は、政府の怠慢に対する強い不満を表している。

意識改革の必要性
「世界を踊らせるベクトルへ舵を切るべき」という主張が、日本の未来への提言となっている。現状のままでは「更に貧乏国家に成り下がる」と警鐘を鳴らしている。

感想
このコラムは、戦後日本の歩みを冷静に振り返りながら、現在の状況に対する強い危機感を持って書かれています。筆者の視点には、一貫して「主体性を持たないことへの批判」が根底に流れており、経済、外交、技術、政治など多方面にわたる問題を指摘しています。

特に印象的なのは、日本が常に「踊らされる側」であり、「世界を踊らせる側」になれていないという主張です。これは、単に国の政策を批判するだけでなく、日本人一人ひとりの意識の持ち方にも疑問を投げかけている点で、読者に深く考えさせる内容となっています。

また、「負け続けている日本」という表現は、日本の技術力や経済力を誇りに思う読者にとっては強烈なインパクトを持つでしょう。しかし、一眼レフカメラやビデオカメラの分野では成功しているという指摘もあり、単なる悲観論に終始せず、可能性を見出している点は評価できます。

最後の「ちゃぶ台をひっくり返すほどの勢いで見直しを」という表現は、状況を根本から変えるには強烈な改革が必要であるというメッセージとして力強く響きます。

まとめ
このコラムは、日本の現状に対する強い危機意識と、意識改革の必要性を鋭く訴えた内容です。批判的な視点ではありますが、単なる悲観論ではなく、日本が変わるためのヒントを示している点が興味深いです。読者にとって、自分たちはどのような未来を選ぶべきかを考えさせる力を持つ文章だと感じました。
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文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2025/2/7 12:00 am

息子が父親を超える時・・・父親の大きな背中に圧倒されていた子供心を思い出しつつ、ある日突然、父親を超える時がやってくる。

newstop


 これは飽くまでも筆者の体験談であり、個人的な見解である。よって、今回の検証では、些か、己を欲目で見ているのは否めず、冒頭よりお断りしておきたい。

 先日、文書データを整理していたところ、2013年に他界した父親の自叙伝(終戦前夜編)のデータを見つけたので、暫く読み返すことにした。その自叙伝は、法曹界にいた父親が退官後にMacを使い出し、それから本人が試しに書き綴った回想録であった。

 結論から申し上げれば、幼い頃から、どうしても超えることができなかった大きな背中の怖い父親を、文章力という点では、或る程度そのレベルに並び、やや超えたのではないかと感じている。(根拠なく感じている)

 その自叙伝を読めば読むほど、父親が書き綴る文章の表現手法や流れ、登場人物の描写などが、筆者のそれにすこぶる酷似していることに気付かされたのだった。そこで、DNAの不思議さを再認識した次第。

 社会人となった頃の、父親の言葉を思い出す。「何かを報告する場合、結論が先。補足説明は質問がある場合に行えば良い!」、「文章は三段論法、起承転結は勿論だが、すこぶるシンプルに、理路整然と話すこと!」であった。

 法曹界にいた人間なので、常に合理性、整合性を重んじる思考回路が働き、数学の証明問題を解くかのような論理展開であることは承知していた。しかし、これは回想録なので、小説のようで、その当時の父親や友人のリアルな動きが頭に浮かんで来た。

 筆者にとっては、大切な父親であるけれども、その人生や考え方に対して、全て賛同することはない。しかし、人としての「道」だけはしっかりと教わったので、そこは、感謝の言葉以外はない。

 父を看取ったのは、勿論、筆者であるが、その時、大きな背中がこれほどまでに小さくなったのかと、目を疑った。何につけても頼り甲斐のある、立派な父親であったけれども、その大きな背中は自動的に筆者にバトンタッチされたのかと・・・。

 残念ながら、未だに自覚がないところが、恥ずかしいの一言に尽きる。

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※以下は、父が大東亜省(現在の外務省)の文官として内蒙古に出向し、玉音放送を聞かされた直後の話となっている。よって、玉音放送(終戦)から1年後の1946年に父は帰国、その後、法曹界を選んだ。

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▼父(当時86歳)の自叙伝の一部(玉音放送直後の出来事)

 同期の橋本の話では、明安旗にはソ連軍が入り込んで来て、とても行けそうにない。よって、現地から無事に引っ返す方法を模索したが、ソ連の機械化部隊を避ける為には、馬が一番良いとの結論に至った。

 一番目の馬には独身の女史、二番目の馬に橋本、そして、しんがりとして私が馬に乗り、正白旗まで行くことにした。しかし、途中で不運にも橋本が落馬し、意識不明の重体となった。彼を助けるために、何とか正白旗のトラックを借りて、トンコンまで連れて帰るために、道なき平原や山河を越えて、張家口を目指したのだった。

 飲まず食わずが続き、それも何日かかったのか全く記憶にないが、途中、八路軍と交戦状態となり、残念ながら随行の松本一等兵が犠牲になってしまった。既に敗戦し、終戦を迎えているにも関わらず、そこで戦死して帰らぬ人となった松本一等兵。可哀想に思えてならなかった。

 戦闘の状況は書けば長くなるので、後日機会があれば書き綴るつもりでいる。・・・その後、同期の橋本は、手負いの傷も完治して、無事帰国を果たしたのだった。

▼居合をする父(片山流星野派)
昭和30年(1955年)頃
※まだまだ筆者は生まれていない。居合については、定かではないが、以前、「中崎辰九郎先生」という方の名前を聞かされた記憶があるので、近日中に調べることにしている。因みに、この頃には剣道五段教師であったと記憶する。


hisashi-iai


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文責:西田親生

                       

  • posted by Chikao Nishida at 2022/6/2 12:00 am

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