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捻くれ者の人生は、実に暗い。

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 他者を見て、優れたところがあれば「称賛」する。しかし、他者を見て、一部の欠陥にて、「欠陥だらけの人間に見做す」のは度が過ぎる。

 捻くれ者は、他者が成功すると、タメ口にて批判する。他者が必敗すると、高笑いにて誹謗する。心底には「優越感に浸る」という甘い蜜の味がいちばんのオヤツとなっているに違いない。

 皆が一致団結して果たした夢の瞬間で、捻くれ者は一人だけ無関心、無反応、無感動である。協調性もなく、他者やその仲間の歓びを共有できないでいる。

 いくらフラットな関係であると諭しても、何か奥歯に物が挟まったような言動にて、「恨み辛み妬み」を吐露してしまう、捻くれ者。

 他者が美味しい食事をしていると、「羨ましい」と本気で物を言う。無意識に周囲と比較するために、今の自分の痛々しい状況を、他者のせいにする。

 世の中には、噂大好き、誹謗中傷大好き、揶揄大好き、批判大好きな人をよく見掛けるが、そんなに他者の挙動が気になるよりも、もっと今の自分を振り返り、何か欠落しているもがないのか改善への舵を切るべきである。

 目の前の些細なことで他者と比較をして、優越感に浸ったり、劣等感にて激昂し逆恨みしても、何も自分自身が変わることはないはずだ。

 世界中を見渡せば、自分よりも遥か雲の上で活躍している人もいれば、自分よりも遥か彼方でジェノサイドに踠き苦しんでいる人もいる。

 何故、人は他者と比べたがるのだろうか。どうしても優劣をつけたければ、成功している方々や雲の上の人たちを目指して、日々努力をすべきである。

 成功している人たちや雲の上で活躍する人たちの努力や苦労は並大抵のものではないはずだ。それを、インスタントラーメンのように3分で成功できるなんぞ思い込むのは、稚拙極まりない発想ではなかろうか。

 できすぎた話に耳を傾け、何の苦労もなく成功する人が何処にいるのか。いるはずがない。楽して儲けるようなベクトルで、かつ、捻くれた性格にて果たせる訳がない。

 経験談であるが、捻くれ者の人生を垣間見ていると、ほぼ暗い人生を送っている。また、SNSなどを使って、他者への誹謗中傷を繰り返し、憂さを晴らしているのが現状である。

 自らの努力不足、自らの考え方の歪みなどへ、自己反省もなければ、自己研鑽に向けての学ぶ姿勢もないのだから、自業自得と言える。もし、その捻くれさえなければ、もっと楽しい人生が待っていることになる。

 誰の人生も、想定外に諍いが起きたり、不慮の事故に遭遇したりで、紆余曲折、波乱万丈である。成功者が紆余曲折を語ればユーモア満載の話になるが、成功できないでイライラしている捻くれ者が語れば、洒落にもならない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、「捻くれ者」と呼ばれる人々に対する批判を通じて、人間関係や自己成長の重要性を強調しています。著者は、他者に対して否定的な態度を持ち続ける人々の心情や行動を詳細に描写し、その結果として彼らの人生がどのように「暗い」ものになるかを指摘しています。

感想

人間の本質的なテーマの掘り下げ: エッセイは、人間関係や自己評価の問題を中心に据えています。特に、「捻くれ者」が他者をどう見るか、どう扱うかという点に焦点を当て、それが彼ら自身の人生にどのような影響を与えるかを考察しています。これは、人間の本質的な部分に触れる重要なテーマであり、多くの人が共感しやすい内容です。

他者への否定的な態度の影響: エッセイでは、他者への否定的な態度が自分自身にどのように返ってくるかを強調しています。例えば、「成功者が紆余曲折を語ればユーモア満載の話になるが、成功できないでイライラしている捻くれ者が語れば、洒落にもならない」という部分では、他者に対する態度が自分の物語や人生の見え方をどれだけ変えるかを示唆しています。

自己反省と自己成長の重要性: 著者は、自己反省や自己研鑽の欠如が「捻くれ者」の問題の根本であると指摘しています。彼らが他者を批判し、自分を正当化することに時間を費やす代わりに、自分の欠点を見つめ直し、改善することの大切さを訴えています。これは、成長や進歩のための重要なポイントであり、多くの人にとって普遍的な教訓と言えるでしょう。

言葉選びと表現の強さ: エッセイの表現は強く、時に辛辣です。「捻くれ者」という言葉自体がかなり否定的なニュアンスを持ち、著者の批判的な姿勢を明確に表しています。また、「インスタントラーメンのように3分で成功できるなんぞ思い込むのは、稚拙極まりない発想ではなかろうか」などの表現は、読者に強い印象を与え、考えさせる力を持っています。

普遍的な教訓と現代社会への適用: このエッセイは、現代社会の多くの人々が直面する問題、特にSNSやインターネット上での行動についても触れています。他者を批判し、比較し、優越感を得ようとする行動は、現代のデジタル社会でますます顕著になっている問題であり、エッセイの内容はそのまま現代の社会状況に適用できるものです。

結論

このエッセイは、人間の行動や態度がどのように自分の人生に影響を与えるかを考える良い機会を提供しています。著者の辛辣な表現と明確な批判は、読者に強い印象を残し、自己反省や自己改善の重要性を再認識させます。同時に、現代社会における人間関係の複雑さや、他者との比較による自己評価の問題を浮き彫りにしており、多くの人にとって考えさせられる内容と言えるでしょう。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/8/31 12:00 am

声を掛けて頂く有り難さ・・・

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 昨日、筆者の誕生日に国内外から「Happy birthday to you!!!」と、GIFアニメ、趣向を凝らした写真を添付したお祝いメッセージが、百数十通贈られてきた。これは、Facebook、MessengerやSMS、LINEなどネット上での話だが、声を掛けて頂くことが如何に嬉しいことなのかと再確認した。

 また、そこで気づいた事は、外国の方々と日本人とのアニバーサリーに対する考え方や表現などが、全く異なることも理解できたのである。勿論、Facebookやその他SNSでは、アカウント保持者とフレンドを結んでいれば、自動的に「〇〇さんの誕生日ですよ!」と教えてくれるので、実に便利でもある。(迷惑と感じる人もいる)

 宗教的な違いもあるが、普段の生活パターンや他人との距離感など、海外の方々と日本人は全く異なる価値観を持っているのは間違いのない事実。兎に角、海外の方々は、他人様のお祝い事を、あたかも自分のお祝い事のように、ストレートにしっかりと言葉で表現し、喜びを伝え祝ってくれる。

 方や、日本人の場合は、特に男性は「誕生日なんぞ、子供の頃に祝うものだ!」と言う人も居れば、女性の多くは年齢性別に関係なく、誕生日への認識も異なり、年中行事の祝い事と同等の価値観を持っている。どれが良い、どれが悪いという話ではなく、その傾向にあると言えるのではないか。

 日本人は、現時点において世話になっているか否かを、他人様のお祝い事に対する、アクションへのフィルタリング基準とする人が多いと言える。例えば、カップルの砂浜でのプロポーズを、海外であれば皆が囲んでセレブレート。しかし、日本だと殆どの人は横目で見ながら素通りする光景が目に浮かぶ。

 国民性と言って終えばそれまでだが、日本人は、過去において世話になったことがあっても、ほぼ忘れてしまい、上述のように、現時点で関わりがあるかどうか、現時点での双方の距離を見て、自らのアクションを決定する。驚くべきは、第三者の不幸の知らせに、「人の不幸は蜜の味」と諸手を挙げて喜ぶ輩もいる。

 筆者は昨日の記事にも書いた通り、世話になったことは絶対に忘れることはない。些細なことでも、その時を助けてくれたり、支えてくれた事は、「御恩」として大切に仕舞っておく。自画自賛となるが、多分、記憶力は人並み以上にあるので、幼い頃から多くの御恩を、今も尚、一つ一つを懐に温めている。

 勿論、理由はともかく、目の前を通り過ぎ、疎遠になった人も多数いるが、その時その時を周囲の方々より助けて頂いたからこそ、今の筆者があると考えている。ふと昔の記憶を辿れば、3歳の時だったか、幼稚園の園長先生のお世話で、生まれて初めて食したホームメイド・クリスマスケーキの感激を、昨日のように覚えている。

 その他、幼い頃の筆者の誕生日に、幼友達が自宅へ押し寄せ、皆で母手作りのカレーライスを頬張って、誰がどの席にどのような感じで座り食べていたかも記憶している。女の子で何杯もカレーのお代わりをしたことも。また、小学校1年生の時に川の土手から転び膝を擦りむき、土手横の家の方から消毒、治療をしてもらったこと等々。

 ここで人との距離感について語りたい。それは、第三者との接点が全くなければ、他人事で物事を見るのが一般的な人の考え方、対応である。しかし、筆者は目の前の事象が他人事であっても、只事ではないと判断すれば、一瞬間に信号が点滅し(馬鹿正直の癖)、他人事では済まそうと、その場から逃げる事は一切ない。

 今回のウクライナ危機についても、正直なところ、海外メディアの動きと比較すれば、国内メディアの報道内容は事実を確と伝えてはいない。路上で絶命している人たちから目を逸らし、見てはいけないものとして、報道規制を掛け、実情を伝える報道になっていない。だから、「対岸の火事」であるかのように感じられる訳だ。

 他人様のお祝い事であろうが、不幸な事件事故であろうが、日本人は兎に角「対岸の火事」的に、知らず知らずの内に「触らぬ神に祟りなし」という考えが先行し、関係を断つを選択しているのだろうと。よって、外国の方々のように、フレンドリーにフランクに物事を、自然に、素直に受け止めることができないのだ。

 所謂、「隠と陽の世界」の『隠』が日本人的感覚となる。日本人といえども、現在の若い人たちは結構フレンドリーにフランクにその日を生きている。しかしながら、歳を重ねるにつれ、段々と『隠』の暗雲が棚引き、社会との関係性を断ち、後期高齢者として孤立化、孤独化する狭い歪な世界に立ち竦むのが日本人である。

 「この歳になって、そんな事はどうでもいい!」と情報を拒絶する熟年男性。「この歳になって云々」と、日本人は年齢を気にするがあまり、勝手に自己規制に走る。それは、コミュニケーション下手な日本人であるが故の流れである。しかし、一回きりの人生を考えれば、その悪しき慣習は、非常に勿体ないネガティブ論理ではあるまいか。

 何はともあれ、昨日の百数十通のお祝いメッセージを拝見しながら、『陽』の世界に住む人たちを羨ましく思ったのである。ウクライナの避難民や蛮行を続けるロシア軍を向かい撃つ同国軍の兵士たち。共存する為、国を守る為の「心」を肌に感じ、昔の日本の「向こう三軒両隣の精神」の良き時代を思い出したのであった。

 例え、危機的状況であるとしても、「触らぬ神に祟りなし」という言葉は、筆者の頭(辞書)にはない。どんな状況下であろうが、正義正論を貫き通し、皆が平穏無事なるベクトルへ向かうよう、慎重なる危機管理を大前提に、いつ何時でもストレートにフランクに声を掛けができるよう、日々自分に言い聞かせているところである。

 以前の記事でも触れたように、特にアジア系の人間は、虚栄を張って体裁を重んじる傾向にある。それはどうでも良いことだが、体裁ばかりでは大きな信頼を得る事は不可となる。常に仮面を被り、体裁を整え、虚栄に走っても意味がないことなのだ。よって、自然体を貫き通すがよっぽど人間らしく、楽しい毎日を送ることができはしないかと考える次第。

▼孔子公園の花壇に咲く花
koshipark


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写真・文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/5/9 12:00 am

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