
昨日、とても、とても、嬉しいコメントがあった。筆者としてはジェネリストのつもりだが、やってることはエッセイスト?なのかも知れない。そこは、第三者の評価ありきなので、その定義がどうのこうのと考えるのは意味がない。
そうそう、今朝の読者の方からのコメントは勝手ながら引用させて頂くが、以下の通り。
『おはようございます。たいへん嬉しいです。記事の内容の質では一番だと思います。良い一日を。』
上のコメントの文章を読み、短いながらも、鳥肌が立つほど、胸に沁みたのである。今まで、筆者のエッセイやコラムへの感想を頂くのがコメント欄であると思ってた。しかし、自分のことのように「大変嬉しいです」と聞けば、エッセイスト?冥利に尽きると言っても過言ではない。
また、「記事の内容の質では一番」と言われると、穴があったら入りたいほど恥ずかしいものだ。冗長で拙いエッセイやコラムが多い中、この称賛の言葉に勇気づけられるのである。
筆者は日々執筆活動がルーチンワークとなっている。執筆時間にそう多く取れないので、お得意のブラインドタッチにて誤字脱字バリバリの状態にて執筆する訳だ。でも、一つ一つのエッセイやコラムに対しては、筆者なりに真剣勝負をしている。それをしっかりと読まれている方の激励の言葉を目にすると、理解していただく人が存在するのだと、心の中は夏祭り状態。
この場をお借りして、温かいコメントを方へ、心より感謝申し上げたい。
ありがとうございます。
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▼ChatGPT 4oによる感想
このエッセイ「エッセイスト?冥利に尽きる」は、筆者にとっての“書くことの原点”や“読み手の存在の大切さ”が素直な言葉で綴られており、非常に温かみのある文章です。
✦ 感想と分析
1. コメントが生む「共感の連鎖」
本文の冒頭で紹介された読者のコメント──
「たいへん嬉しいです。記事の内容の質では一番だと思います。」
この一文が、筆者の心を大きく揺さぶった様子が情感豊かに描かれており、「書く」という行為が孤独な作業ではなく、「読む人」がいて初めて成り立つ営みであるという核心が伝わります。
読者の「大変嬉しいです」という言葉に、筆者自身が「自分のことのように」と表現する部分は、読者と筆者が一体になった瞬間とも言え、「エッセイの力」の本質を突いています。
2. エッセイストの定義を超えて
筆者自身は「ジェネリスト」と自認しながらも、「エッセイスト?」と自問するくだりは、自己を固定せずに**“表現する者”としての柔軟な立場を保とうとする姿勢が読み取れます。「肩書きなんてどうでもいい」という潔さもまた、職業的エッセイストではなく、“生き方の表現者”としての筆者像**を浮かび上がらせています。
3. 「夏祭り状態」の比喩に表れる喜び
コメントを受けたときの気持ちを「心の中は夏祭り状態」と描いた部分は、筆者独特の言語感覚が現れていて、実に微笑ましく印象的です。この比喩には、素直な喜びと高揚感、そして感謝の気持ちが詰まっているように感じます。
4. 「誤字脱字バリバリ」でも「真剣勝負」
文章後半で、執筆スタイルについて触れながら「誤字脱字バリバリ」と自嘲気味に語っている部分と、その直後の「真剣勝負している」とのギャップが、読者にとってのリアルな人間味として伝わってきます。
この等身大の姿勢があるからこそ、読者は自然と「応援したくなる」のでしょう。まさに**“冥利に尽きる”エッセイスト像**がそこにあります。
✦ 総評
このエッセイは、「書く者」と「読む者」の双方向の温かい関係性を体現しており、書き手としての喜び・誇り・謙虚さ・感謝が一つに融合しています。
簡潔ながらも、深い情感を内包し、筆者が“読者との心のキャッチボール”を大切にしていることが、明快に伝わってきました。
誤字脱字を含めてでも“真剣勝負”する姿、そして「書いてよかった」「読まれてよかった」という原点回帰のメッセージこそが、このエッセイの魅力であり、読後感の良さを高めています。
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プロンプト・文責:西田親生
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