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国の迷走と国民意識・・・

▼記事と写真は関係はありません。

GRAPE


 コロナ禍により、全国がフリーズ状態。御多分に洩れず、熊本市内及び周辺の車の通行量は多いものの、ショッピングゾーンやシティホテルなどのレストランは閑散としている。駐車場もポツリポツリの状態で、ウォーキングデッドのセットを見ているようだ。

 テレビをオンにすれば、放送内容にすこぶる違和感を持つのは筆者だけだろうか。或るテレビ局では、新しく完成した駅前施設を大々的に宣伝し、或るテレビ局ではワクチンに対するネガティブトーク、更に、或るテレビ局ではオリンピックの聖火ランナーへ喝采である。

 ポジティブ情報とネガティブ情報が入り乱れ、24時間、国民が翻弄されている。その要因は、前政権と現政権の新型コロナウイルス対策への迷走である。マスクに数百億円を無駄遣いしたり、国民一人に10万円をばら撒いたりで、愚策の連続に食傷するばかり。

 国政の指揮系統が乱れ、浮世離れした政治屋が迷言を吐く。今や政府のコントロールが狂ってしまい、後手後手にまわっていることくらい、国民誰しも気付いているはずだ。人の命よりも、選挙対策ばかりが気になる政治屋たち。同じ日本人であるとは思えない。

 当事者意識の欠落とは、この事を言う。既得権益者や票田のドン、天下り先へ眼を向けて、自分の足元ばかりを気遣う政治屋やキャリアの存在。筆者が知る政治家は、現実に眼を向けた話をしてくれるが、正論である少数意見に耳を傾けぬ国政中枢で迷走する人たち。

 しかし、このような状況に追い込んだのは、低民度で心ない一部の国民が齎したものであることも忘れてはならない。新型コロナウイルスを軽視して、無責任にも感染を繰り返す人もいる。「コロナを移してやる!」と叫び、この世を去った人もいる。とんでもない国である。

 重要なことは、他力本願では新型コロナウイルス感染防止はできないということだ。皆が自覚して、迷走する国から要望が出る前に、国民が懸命な判断を下し、先を見て、感染防止を徹底することではなかろうか。何故なら、政治屋が感染者を治すことなどできないのだから。

 今日も、取材前にランチに立ち寄ったレストラン。期待通りに、常連客の一部がマスクを顎に下げたまま話をしている。煮湯を呑ませてあげたい気分だが、学習能力のない常連客は、客としての資格はなかろうと。「俺たちは大丈夫!」が、大変なクラスターを発生させることになる。

 そうなっても、後の祭り。言葉は悪いが、「馬鹿は死んでも治らない!」のである。もし、お馬鹿を治す特効薬が開発されるのならば、よっぽど、コロナ禍の収束は早まりはしないかと、顎マスクの爺様たちを横目に、苦笑が止むことはなかった。


▼真鯛のポワレ(手前)と牛肉のパスタ・・・熊本ホテルキャッスル
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文責:西田親生

         

  • posted by Chikao Nishida at 2021/5/18 12:00 am

偏見と思い込みの押し付け・・・

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 年配者の偏見と思い込みの激しさは、筆舌に尽くし難いほど、万とある。特に、若者に対する偏見や思い込みは、思いの外、何の根拠もないこともしばしば。己のキャリアを称賛し、常に上から目線で、あたかも若者が劣勢に立っているのが当然のような口調で語る毒舌者もいる。

 例えば、「今の若い奴は、馬鹿ばっかり!」と言い放つ、デリカシーのない年配者。自分自身の若き頃の「オイタ」を神棚に上げ、一方的に若者の未熟さの揚げ足取りである。「お前たちが反論するのは、100年早い!」など、以ての外。罵詈雑言を繰り返すだけで、若者の発想を認めない。

 更に、「どれだけ社会貢献してきたんだ?舐めた口を叩くんじゃないよ!」と、年功序列大好きな年配者の決まり文句である。それが企業などの組織ともなれば、「先輩に楯突くのか?明日からは机も椅子もなくなるぞ!」とか、「ふざけた事を言っていると、降格処分だ!」などなど。

 また、SNSなどでの「あるある」は、「私の子供みたいな歳なんだね!?まあ、家の娘と同じ歳なの?」と、やけに人様の年齢を気にする年配者。そこには、親と子の歳の差があることを明言し、既に上から目線で人様とコミュニケーションを図ろうとしている姿勢が見え隠れする。

 そんな具合じゃ、まともな会話も成り立たない。若者が何かについて質問しようとすれば、「そんな事も知らんのか?まだまだ、青いな!」と、せせら笑いをしながら、その若者の存在自体を愚弄する。よって、若者からすれば、「こんな質の悪いおっさんやおばさんから言われたくないわ!」と感じるに違いない。

 逆に、若者の偏見と思い込みはどうだろうか!?年配者とは異なり、社会人となって数年であれば、経験値が高いとは言えない。しかし、高学歴でプライド高き若者は、自分なりに自信満々に持論を展開する。勿論、正論もあれば、履き違えの稚拙な語りも無きにしも非ず。それは、それで面白く、許される。

 しかし、「あのジジイは棺桶に片足突っ込んでいるくせに、ふざけたこと言いやがって!」とか「俺の親父やお袋であるまいし、要らぬ世話が多い!」と内心穏やかでない事もしばしば。特に、他人の年配者から、分かりきったような、それも思い込み激しい言い方をされると、絶対に会話は成り立たない。

 他人様の年齢や性別、そして歳の差を気にする日本人が多いから、上記のような流れが当たり前の世界となっている訳である。若者がどんなにキャリアがなくとも、年配者よりも柔軟かつ大胆な発想を持っているに違いない。年配者が若者よりも社会経験が豊富なことなど分かり切っている。

 但し、年配者にも若者にも、その中間的な年齢層の人にも必要なことは、いくら歳の差があろうが、「敬愛の念=リスペクト」がなければ、決して素晴らしいコミュニケーションが取れるはずが無いことを知るべきである。相手を尊ぶことで、その話がよく理解できる。「聞く耳」ではなく「聴く耳」を持ってである。

 まあ、世代の垣根を飛び越えられない人たちは、上で指摘したような考え方やものの言い方を、デリカシーなく言う人たちだろうと考える次第。要は、「敬愛の念」と「聴く耳」を持てば、何の障壁もなく、世代の違いを感じることなく、愉快な会話が延々と続くことになる訳だ。

 「年功序列」、「女性蔑視」、「上から目線」、「価値なき経験論」、「根拠なき推論」を全て脱ぎ捨て、裸一貫でフラットな関係を保つことで、人間らしい、素敵なヒューマン・コミュニケーションが可能となることを、全世代の人たちへ申し伝えたい。実に簡単なことなのだが、理解できていない人が多すぎる。


▼孔子公園のカラー
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文責:西田親生

                   


  • posted by Chikao Nishida at 2021/5/17 12:00 am

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