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息子が父親を超える時・・・父親の大きな背中に圧倒されていた子供心を思い出しつつ、ある日突然、父親を超える時がやってくる。

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 これは飽くまでも筆者の体験談であり、個人的な見解である。よって、今回の検証では、些か、己を欲目で見ているのは否めず、冒頭よりお断りしておきたい。

 先日、文書データを整理していたところ、2013年に他界した父親の自叙伝(終戦前夜編)のデータを見つけたので、暫く読み返すことにした。その自叙伝は、法曹界にいた父親が退官後にMacを使い出し、それから本人が試しに書き綴った回想録であった。

 結論から申し上げれば、幼い頃から、どうしても超えることができなかった大きな背中の怖い父親を、文章力という点では、或る程度そのレベルに並び、やや超えたのではないかと感じている。(根拠なく感じている)

 その自叙伝を読めば読むほど、父親が書き綴る文章の表現手法や流れ、登場人物の描写などが、筆者のそれにすこぶる酷似していることに気付かされたのだった。そこで、DNAの不思議さを再認識した次第。

 社会人となった頃の、父親の言葉を思い出す。「何かを報告する場合、結論が先。補足説明は質問がある場合に行えば良い!」、「文章は三段論法、起承転結は勿論だが、すこぶるシンプルに、理路整然と話すこと!」であった。

 法曹界にいた人間なので、常に合理性、整合性を重んじる思考回路が働き、数学の証明問題を解くかのような論理展開であることは承知していた。しかし、これは回想録なので、小説のようで、その当時の父親や友人のリアルな動きが頭に浮かんで来た。

 筆者にとっては、大切な父親であるけれども、その人生や考え方に対して、全て賛同することはない。しかし、人としての「道」だけはしっかりと教わったので、そこは、感謝の言葉以外はない。

 父を看取ったのは、勿論、筆者であるが、その時、大きな背中がこれほどまでに小さくなったのかと、目を疑った。何につけても頼り甲斐のある、立派な父親であったけれども、その大きな背中は自動的に筆者にバトンタッチされたのかと・・・。

 残念ながら、未だに自覚がないところが、恥ずかしいの一言に尽きる。

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※以下は、父が大東亜省(現在の外務省)の文官として内蒙古に出向し、玉音放送を聞かされた直後の話となっている。よって、玉音放送(終戦)から1年後の1946年に父は帰国、その後、法曹界を選んだ。

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▼父(当時86歳)の自叙伝の一部(玉音放送直後の出来事)

 同期の橋本の話では、明安旗にはソ連軍が入り込んで来て、とても行けそうにない。よって、現地から無事に引っ返す方法を模索したが、ソ連の機械化部隊を避ける為には、馬が一番良いとの結論に至った。

 一番目の馬には独身の女史、二番目の馬に橋本、そして、しんがりとして私が馬に乗り、正白旗まで行くことにした。しかし、途中で不運にも橋本が落馬し、意識不明の重体となった。彼を助けるために、何とか正白旗のトラックを借りて、トンコンまで連れて帰るために、道なき平原や山河を越えて、張家口を目指したのだった。

 飲まず食わずが続き、それも何日かかったのか全く記憶にないが、途中、八路軍と交戦状態となり、残念ながら随行の松本一等兵が犠牲になってしまった。既に敗戦し、終戦を迎えているにも関わらず、そこで戦死して帰らぬ人となった松本一等兵。可哀想に思えてならなかった。

 戦闘の状況は書けば長くなるので、後日機会があれば書き綴るつもりでいる。・・・その後、同期の橋本は、手負いの傷も完治して、無事帰国を果たしたのだった。

▼居合をする父(片山流星野派)
昭和30年(1955年)頃
※まだまだ筆者は生まれていない。居合については、定かではないが、以前、「中崎辰九郎先生」という方の名前を聞かされた記憶があるので、近日中に調べることにしている。因みに、この頃には剣道五段教師であったと記憶する。


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文責:西田親生

                       

  • posted by Chikao Nishida at 2022/6/2 12:00 am

「用度部門」は、戦略性と生産性を持つ部門に改造することで、売上アップ&利益アップの重要な役割を果たすようになる。

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 仕入れ戦略を見事に成功させているホテルがある。それは、高レベルの実戦部隊「用度部門」を有しているホテルである。しかし、「用度部門」が旧態依然としたシステムで、機能不全となっているホテルは、日々仕入れに頭を痛めるだけで、粗悪な食材の仕入れ、歩留まり率も悪く、自分の首を絞めている。

 原価(仕入れ価格)を極端に下げれば、食材の質が落ちる。食材の質が落ちれば、料金を据え置きにしても、料理が不味くなり、客は逃げる。結局、売上もダウン、利益もガタ落ちとなる訳だ。そういった、負のスパイラルに直面している、ホテルや旅館がありはしないか。目の前の、原価操作ばかりに傾注していると、後々、迷走するばかりで収拾がつかなくなってしまう。

 時には、業者側と「用度部門」や厨房責任者間で、「リベート」の不正な遣り取り(横領)が発覚することもある。業者側が「リベート」を支払ってでも契約を続行したいのならば、ホテル側はその「リベート」を個人の懐に入れさせず、公然と会社の利益としてプール(公開)するガラス張りの仕組みを作る必要がある。

 公然の「リベート」とすることで、従来の不正という悪き慣習ではなく、堂々とした生産性のある取引に切り替わる。

 また、地産地消のための「契約農家制度」や安定供給できる遠隔地からの「直接仕入れ」の仕組みを作ることは、無駄無理のない仕入れを可能にしてくれる。肉や魚、酒、リネンなどについても、定期的に全て数社から相見積もりを取ることで、フェアな競争環境下における取引を可能とする。

 そもそも、長年の付き合いであるところとは、大抵の場合、親し過ぎるが故の「癒着」という魔物が潜んでおり、袖の下は意外に多く存在している。よって、早期に「用度部門」の全面的な見直しを行い、透明性を確保した上で、戦略性及び生産性のある部門として大改造されることをオススメしたい。

 「用度部門」は、上述のようにホテルや旅館に限らず、灯台下暗しとなりがちな地味な部門ではあるが、どのような業種業態であろうが、今一度、検証の余地はありはしないかと考える次第。

 余談だが、ふと思い出したのは、他県の某名門ホテルのフレンチレストランでは、「契約農家制度」を30年以上も続けており、瑞々しく美味しい野菜を、安定供給させているところがあった。

 更に、合鴨農法を行う農家の鴨が育てば、それをフレンチレストランのメインディッシュへと、既に、最近話題のSDGsのお手本のような仕組みを、30年以上も前に構築していたのである。

 因みに、この「契約農家制度」は、初代総料理長の発案であったが、他の若手料理人たちがデイオフに生産農家を訪れ、農園の草むしりやフレンチの試食会を開催し、素晴らしいコミュニケーションを続けている。


▼料理写真はイメージです。
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写真・文責:西田親生

                           

  • posted by Chikao Nishida at 2022/5/31 12:00 am

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