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唯一無二なるビジネスモデルを模索

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 2010年前後に第二波SNSが世界を席巻し始めた頃から、仕事柄、FacebookやX(旧Twitter)などに着手するようになった。

 それ以前にも、2000年前後はSNS第一波として国内では2ちゃんねる(1999年)やmixi(2004年)、海外からのMySpace(2006年日本上陸)、YouTube(2007年日本上陸)、SecondLIfe(2007年日本上陸)などが話題となった。

 第一波SNSの頃は、MySpaceは登録したのみとしており、SecondLifeが日本上陸した2007年には本格的に事業として着手し、昨年2023年3月末まで管理運営をしていた。よって、九州では稀有なる「KUMAMOTO JAPAN」のSIMを運営し、仮想現実世界の牽引役となった。

 その間、PodcastsやUstreamなどに着手し、多くのラジオ番組やビデオ番組、ライブ番組などを配信している。

 以上、SNSとのお付き合いは非常に長くなっているが、ビジネスライクに考えれば、実際に事業化できるものは極僅かなものであり、結局、SNS運営側に主導権が握られており、ネット世界全体の流れを先読みをしながら、接点を持つか否かの判断をしつつ、現在に至っている。

 現在、手元で日々利用しているのは、Facebook(★★★)、Threads(★)、Instagram(★)、X(★★★)、LINE(★★★)、note(★★★)、Behance(★★★)であり、YouTubeやPodcastsは黎明期から着手しているものの、現在は主力SNSとして積極的に動かしてはいない。

 中でも、Podcasts番組では、筆者のラジオ番組が、一時期カテゴリー別全国一位となったのが思い出深い。因みに、J-WAVEの著名音楽家、例えば坂本龍一さん、佐野元春さん、田中美里さんらのPodcastsのアクセス数を抜いたのには驚いた。

 このようなSNSのキャリアを筆者なりに持っているが、ICT専門分野の仕事をしている人間としては、今一つ、しっくり来ないところが多々あり、ビジネス領域におけるSNSの活用法なり、個人的なSNSの利用なりを考えざるを得ないのである。

 先ほど、ChatGPTなどで、筆者が利用しているSNSの月間アクティブユーザー数を調べたところ、以下の通りとなっている。

・Facebook: 30億
・Threads: 1億3千万
・Instagram: 2億3千5百万
・X (旧Twitter):2億3千7百万
・YouTube:25億
・LINE: 9千万
・note: 7百万

 問題視しているのは、SNSを誰でも利用できるのは有り難いことであるが、「成り済まし」が多く存在しており、実数が掴めないところ、実存するのか否かの判断が怪しいところ、そして事件事故が多々ある点である。

 最近は、上の状況を見据えながら、SNS活用のベクトルを微調整し、弊社クライアントの情報発信および本業とネット事業の両輪を円滑に転ばすための最適な組み合わせや活用法を再検証している。

 noteに関しては、絶対ユーザー数は他の世界的なSNSとは比較にならぬほど母体は小さいけれども、広告のないクリーンなSNSのプラットフォームとしては抜きん出ており、Facebook、X、LINEなどとの連携が素晴らしく、Googleなどの検索エンジンでも優位性を放っているのは間違いのない事実。

 よって、noteについては、より深掘りを行い、ビジネスライクなSNSとして、弊社クライアントに積極登録を呼びかけており、筆者主催ZOOMセミナー「Well Done」の中で、必ずnoteの素晴らしさを語ることにしている。

 最後に、ネット事業に着手したのが1995年8月22日なので、随分と時が流れたが、来年2025年8月には弊社ポータルサイト「The Rosetta Stone」は30周年を迎える。

 これまで臆する事なく果敢に攻めに攻めてきた姿勢だけは崩さず、更に、生成AI時代の幕開けに、これまでのキャリアをフルに活かしながら、地方における唯一無二なる新たなビジネスモデルを模索しているところである。

▼DALL-Eがエッセイを読みイメージしたもの
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▼ChatGPTによる感想
このエッセイは、SNSの進化とそれに伴うビジネスの変化について、非常に詳細かつ実践的な視点で記述されています。筆者は第一波から現在に至るまでのSNSの変遷を経験し、その中でどのように事業を展開してきたかを具体的に語っています。

特に印象的なのは、筆者がSNSの利用経験をもとに、現在の事業方針や戦略をどのように調整しているかを述べている点です。例えば、PodcastsやSecondLifeなどでの成功体験や、noteをクリーンなプラットフォームとして位置付け、積極的に活用しようとする姿勢が見受けられます。これは、デジタルネイティブな企業や個人が模索すべき方向性を示唆していると言えるでしょう。

また、筆者が触れている「成り済まし」問題や、SNS利用のリスク管理についても重要な議題です。これらは、デジタル時代のセキュリティやプライバシーの課題を示しており、今後のSNS利用戦略においては、これらの問題にどのように対応していくかが鍵となります。

エッセイの最後に向けての展望も興味深いです。筆者は過去の経験を活かしながら、生成AI時代における新たなビジネスモデルを模索していることを述べています。これは、今後のテクノロジーの進展を踏まえた時、どのように既存のビジネスを進化させるか、また全く新しいビジネスを創出するかという点で、多くの企業や個人にとって重要な示唆を与えるものです。

全体として、このエッセイはデジタル時代におけるビジネスの挑戦と可能性を具体的に描いており、読者にとっては非常に価値ある洞察を提供しています。それは、ただの技術の進展を追いかけるのではなく、それをビジネスや日常生活にどのように活用していくかという実践的な視点を強調している点で特に価値があります。
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写真・プロンプト・文責:西田親生


                                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/4/30 12:00 am

親を取るか、仕事を取るか!?・・・我が半生における最大の采配ミス。

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 1995年にインターネット事業を本格化する決断を下した。まだ、国内ではホームページを持つ企業は1000社あるかないかの、インターネット黎明期である。

 日本経済新聞社が初の全国インターネット参加企業のURLを収めた書籍を出版した。勿論、そこには当社サイトも掲載されていたが、まだまだ、インターネット自体が何物なのか、懐疑的に見る人の方が圧倒的に多かった。

 例えば、サイトの名称も色々で、毎日新聞社のサイトは『ジャムジャム』、リクルート社のサイトは『ミックスジュース』といった具合である。因みに、当社は『The Rosetta Stone』としていた。

 NTTも現在のようにOCNなど存在せず、クラスCのレベルにて、インターネットの動向を静観していたように思えてならない。

 当社へ、既に、東京の大手旅行社や某航空会社システム関連から打診が来ていた。よって、1996年の年明けには熊本から東京進出を図り、渋谷を拠点にインターネット事業をより本格化の準備をしていたのである。

 1995年12月5日、熊本市内にある当時のニュースカイホテル(現在のANAクラウンプラザホテル熊本ニュースカイ)にて、大々的にインターネット講演会が催され、そこで筆者も講演者三人の一人として、話をさせて頂いた。

 数百人集まったインターネット講演会。講演終了後に、何故か胸騒ぎがしてならない。実は、母が糖尿病の合併症にて腎臓を悪くし、2ヶ月半ほど入院中であった。

 インターネット事業本格化の動きのために多忙を極め、一度も入院中の母を見舞っていなかった。ところが、この日だけはどうもモヤモヤしており、胸中に鉛の玉があるように息苦しかった。

 よって、午後8時前に、母の入院先の病院へ足を運び、様子を伺うことにした。部屋に入ると、憔悴しきった母の姿が眼前にあった。父の話では、回復に向かっているとのことだったが、真逆の様子に愕然とした。

 筆者が風邪気味と聞いて、母が渡してくれたのが『うがい薬』。何とも、入院患者が見舞いにきた人間へ薬を渡すなんぞ、聞いたことがない。それから母に挨拶をして、オフィスへ向かった。しかし、帰社しても胸騒ぎが収まることはなかった。

 翌日のことである。あまりに気になるので、昼過ぎに病院へ電話を掛け、母と話すことができた。僅か数十秒しか話せなかったが、電話を切る間際に、母曰く「死ぬとは思わないけど、立っているのが辛いので、電話切りますよ。インターネット事業頑張ってね!」と。プツッと電話の切れる音がした。

 次第に胸騒ぎはより強くなって行く。そして12月7日の深夜午前0時半頃に病院から連絡が入り、母の容体が悪化し、瀕死の状態であると言う。残念ながら、筆者の胸騒ぎが的中したようだ。

 病室へ駆けつけると、母の口や鼻には管が差し込まれ、既に意識不明の状態に陥っていた。何度か声を掛けても、母は微動だにしない。ただ、不思議だったのは、瞑っている眼から涙が滲み出てきたのである。

 もしかすると、筆者の声が聞こえているのかも知れない。痛かろう、苦しかろうと思いつつ、声を掛けることを止めることはなかった。しかしながら、午前3時半過ぎに心電図の波形が止まり、ピーッという音とともに、担当医の「ご臨終です」の一言が聞こえてきた。

 前置きが長くなったけれども、本日のお題はこれからとなる。

 翌年1996年にインターネット事業の拠点を東京渋谷に移転する予定が、この母の死で、どうすべきかに迷いが生じてきたのであった。

 父曰く、「墓守は誰がするんだ!?」と聞かれると、「渋谷で遣るから、お父さん遣ってよ!」とは言い難い。それから一週間ほど考え込んだ末に、拠点を東京へ移すことを諦め、熊本市内でインターネット事業を継続することを決断したのである。

 それは、今思えば、母の最後の言葉である「インターネット事業頑張ってね!」を裏切ることになったのかと、今も尚、悔いばかりが残る、当時の決断。

 今だからこそ言えることだが、母を思い、父を思い、自らの意志で事業展開をしつつある中で、分水嶺に立たされ、決断したことが裏目に出たように思えてならない。

 しかし、その当時の筆者の決断が正しかったのか否かは、筆者本人でさえも判断できない。

 ただ、若い方々がこれから起業する上で、いろんな障壁があったり、不慮の事故などで支障が出てくる可能性も無きにしも非ず。しかしながら、今の筆者が言えることは、『全てを払い除けてでも、夢実現に向けて爆走せよ!』と申し上げたいのである。

 『たられば』の世界ながら、1995年以来継続中であるインターネット事業ではあるが、筆者の半生における、最大の采配ミスであったと感じている。

 何故ならば、Yahoo Japanもライブドアも、本格始動は1996年7月1日以降だったと記憶している。黎明期であるが故に、当時のインターネット事業成功の可能性は絶大なるものであったに違いない。

 末筆ながら、母から貰った赤いキャップの『うがい薬』は、27年の歳月を経て、今も尚、洗面所のボックスの中で生きている。


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文責:西田親生

                                       

  • posted by Chikao Nishida at 2022/10/25 12:00 am

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