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受けた恩を忘れてはならない。

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 一番嫌いな言葉は何かと問われれば、「恩を仇で返す」という言葉を選ぶ。どんなに昔であろうが、最近であろうが、お世話になったことへの一番の恩返しは、その事実を記憶の箱に大切に保管しておくことである。

 特に、他者のことを思い、施しをされる方は、見返りを求めず、一所懸命に人助けをされる。そのような方の温かな心に対して、お世話になっているにも関わらず、記憶の箱から消してしまうようでは、「恩を仇で返す」と同じことであり、大変無礼な人に成り下がる。

 人は一人では生きていけない。周囲の方々の有形無形の支えがあってこそ、生きることができ、今がある。そのような支えを無視するような、利己主義の人間になっては、人として如何なものかと、常に考える筆者がいる。

 以下は、筆者の体験談である。以前、某専門学校の顧問となり、職員研修や広告戦略などを全て預かり、7年間ほどいろんなメディア関連企業と接点を持つことになった。

 それまでメディア関連とは縁のない学校だったので、先ずは、顔見せという目的にて、接待をすることにした。正直なところ、接待過多と思いつつ、協力して頂くところへは、可能な限りコミュニケーションを増やし、学校名の露出度を上げ、不特定多数の方々へ、その歴史と伝統、その魅力を伝えるために尽力したのであった。

 ところが、「金の切れ目が縁の切れ目」と言うように、筆者が顧問を辞めて、それまで良好な関係を維持してきたメディア関連企業のほとんどが疎遠となり、現在では僅か2社が、当時からの縁を大切にしてくれている。

 その頃、筆者なりに殆ど自腹を切って、協力各社の役員や若手担当者との縁を大切にしてきたけれども、顧問を退き13年が経つが、電話を掛けて、丁重に対応する人は少なく、コールバックもメールの返事もない状況である。正直なところ、当時の筆者の心が全く伝わっていなかったのである。

 当時、見返りを求めたような接待や接点を持ったつもりはないが、彼らの視点は、良好な対人関係よりもマネーフローを重視していたのだろうと、愕然とするばかりである。

 時が経ち、当時の役員たちで定年を迎えた人も多い。年賀状が来るのは僅か一人である。或る人物など、電話を掛けると煩わしそうな空気感が電話の声で伝わってくる。何と非礼な人物なのかと閉口してしまう。

 その非礼さは、筆者が感じ取るものであり、多分に、彼らからすれば仕事上の常態化したものが当たり前となっており、マネーフローが生じなければ、疎遠を選ぶ構図なのだろうと。

 筆者としては、当時、希薄な縁を楽しんでいたものではなく、将来的なコミュニケーションを想定してのことであった。しかし、その思いは藻屑と化してしまったというのが現実である。

 今は亡き父が、当時、筆者に苦言を呈したことがあった。それは、「彼らは只酒只飯が当たり前の世界に住んでいるので、過剰に接待や施しをする必要はない。」と。

 父は法曹界にいた人間で、人間関係については頗る厳格であったので、このエッセイを書き綴りながら、ズバリ的中していると、深く頷くばかり。

 よって、今思うことは、勿論、金で動く人間にはなりたくもなく、そのような人物とは濃密な関係を維持する必要もなく、心で動く人間に自分自身がなれればと、遅ればせながら自覚したのである。

 「恩を仇で返す」という言葉は、以上のような心無い現象も含んでのことであろうと、少々、虚無感だけが漂う今日この頃となっている。

▼DALL-Eが上のエッセイを読み描いた「恩を仇で返す」の人物像
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▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、恩に対する考察と経験を通して、人間関係や社会の複雑さを深く掘り下げています。以下に評価を述べます:

深い洞察力: 著者は恩に対する理解を深め、その言葉が持つ意味や背景について深く考察しています。彼らの経験を通して、恩を忘れることの意味や影響について深く追求しています。

パーソナルな経験の共有: 著者は自身の経験を率直に共有し、それを通じて読者に感情移入させます。このような個人的なエピソードの共有は、読者により深い共感を呼び起こす効果があります。

考えの変化の示唆: 著者は自身の経験を通じて、考え方や行動に対する認識の変化を示唆しています。これは成長や学びの過程を示し、読者にも自己反省を促します。

文章の流れと表現: エッセイの流れは明確であり、読みやすい表現で述べられています。また、著者の思考や感情が的確に表現されており、読者はその内容に容易に共感できるでしょう。

総合的に見て、このエッセイは恩と人間関係に関する重要なテーマを掘り下げ、個人的な経験を通じて深い洞察を提供しています。読者にとって、他者への感謝や人間関係の大切さについて再考させる素晴らしい作品と言えます。
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プロンプト・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/3/25 12:00 am

人間性が全てを物語る・・・

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 グルメは仕事柄、取材対象の一つの柱でもあった。特に、数年前に日本鉄板焼協会(全国から800人ほどのシェフが集まる社団法人)の特別顧問を受け、五つ星ホテルレストランや街場の有名レストランなど、多くのシェフたちとの出逢いがあった。筆者の経験談ではあるが、出逢ったシェフの中で、「この人物は凄い!」と思ったのは、極僅か。

 その極僅かな職人は、新潟県出身も居れば、長崎県、福岡県、熊本県の出身など、全国各地から都市部に出て、凄腕の料理長として頑張っている人物である。時には、父親が寿司店を経営しており、その背中を見て育ち、独立した職人も居た。

 彼らは、他の底辺層のシェフと比較するのは失礼な話だが、とにかく研究熱心で、学び方も遊び方も秀でている。常に礼節を弁え、人間学もしっかりと心得え、彼らなりの揺るがざる「職人としての哲学」を持っている。

 しかしながら、ここ数年間に出逢った料理人のほとんどは、正直なところ、世の中を知らない人物が多かった。つまり、「燕雀知らず天地の高さ」である。始末に負えないのは、礼節も弁えず、思考深度が浅く、ボキャブラリーに乏しく、ただ、お祭りごとには馬鹿騒ぎをする人物である。

 地方の政治屋の金魚の糞のように動く人物。稚拙な思考による馬鹿騒ぎ。大切な顧客を軽視し、身勝手な挙動を採るお馬鹿が居たのである。提言や注意を受けても、全く聞く耳などない。特に、組織で仕事をしたことのない料理人は、無礼者が多かった。ローカルスタンダードで塗りつぶされた、身の程知らずの人間があちこちに・・・。

 突出した凄腕職人が創り出す料理が不味いはずがない。ところが、前述底辺層の料理人の作る料理は、ワンコイン程度のB級料理で、大変お粗末なものばかりである。料理を舐めているのか、顧客を騙しているのか分からないが、チャーハンの具材を見ると、「ちょっと待て!」と、家庭のチャーハンがずっと旨いぞと、言いたくなるほどである。

 足軽の料理人はメディアの取材にすこぶる弱い。一瞬にして舞い上がり、自分自身が有名人になったかのように振る舞うのである。実に情けない。己の技量がどれほど低いのかも忘れ、話題性ばかりに気を取られてしまうのだろうか。言葉は悪いが、「質の悪いガキの集団」にしか見えないのだ。

 批判も評価もしたくはないものの、顧客を見下げる料理人は許されるものではない。そんな下劣で、勘違い、はき違いしている料理人の料理が食べれるはずもないからだ。心無い料理を食すよりも、コンビニのレトルトを食した方が、ずっと安堵感があると言うものだろうと。

 職人気質には頑固者が多いけれども、どんなに料理が凄くても、最終的な価値というものは、その職人の「人間性」にあることを頭に入れておく必要がある。

 話は変わるが、写真下はメガネの職人から創ってもらったメガネである。入念に顧客にフィットするか否かのシミュレーションをしており、出来上がったメガネ自体に、その職人の拘りと自信が見え隠れする。勿論、そこには前述の「職人としての哲学」があった。よって、この満足感と安心感は、お金に換え難いのだろうと・・・。


▼フランス製のメガネフレーム(メガネのOCHIAI/山鹿市)
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  • posted by Chikao Nishida at 2017/5/10 12:00 am

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