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記事に歓喜の声!

▼記事を読み喜ぶご婦人方(鹿央物産館 やすらぎ館)
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 年配のご婦人方が、すこぶる良い顔をして笑っているところに、久しぶりに遭遇した。写真上は、筆者が昨日書いた記事を手渡した時に、皆でキャッキャキャッキャと喜んでくれている瞬間である。こんなに喜んでいただくと、記事を書く側としても冥利に尽きる。

 最近では、近所の高齢の方からの挨拶も少なくなり、何が気に喰わないのか、常に仏頂面で素知らぬ顔で通り過ぎる人が多い。とても残念なことではあるが、向こう三軒両隣という昭和の良き時代の日本人の姿が、消滅してしまった感がある。

 高齢化社会となり、限界集落、孤独死、高額医療、終活、介護施設、誤操作による交通事故など、昭和の頃と比べ、思いの外、ネガティブ情報ばかりが飛び交い、完全下向き時代に陥っているのではなかろうか。誰かの言葉を借りれば、「下向き人生より、直向き人生だよ!」となる。

 限界集落を行政のトップに問えば、コンパクトシティ構想で切り返されるが、素直に頷けない。孤独死の人の横に痩せ細ったオウムが鳥籠に残されていたり、病院待合室が寄り合いの場となっていたり、介護施設が留置場化していたり、家を担保にする生命保険(死亡後に自宅を手放すシステム)が出てきたり、小学生の列に老人運転の車が突っ込み死者が出たりと、今の世は、ネガティブな事ばかりがメインニュースとなっている。

 大抵の人たちは、色んな事件事故を他人事として捉えており、自分には無関係であると決め込んでいる。パワハラ、セクハラ、スメハラと、これまた、息つく間もなく、過敏なリアクションばかりが目立ち、愉快なヒューマンコミュニケーションが取れない状況を自ら作り出してる人も多い。自分だけ良ければそれで良しとする身勝手な人生は、「民度」が恥ずかしいほど低い人の偏った生き方に過ぎない。

 今、どんなに自分が若いからと豪語して、高齢化社会には無関係だと勘違いして暴走する若者も多けれども、遅かれ早かれ、自分自身も高齢者になるのだから、このネガティブ要因が充満している現世で暮らすことになるのは必至。

 兎角、日本人は年齢や世代を気にするが余りに、視野狭窄な世界観で人生を終わる人が多い。海外では「あなたは、何歳?」なんて愚問が飛び交うことは一切ない。ところが、日本人は「何歳?」とすぐに他人の年齢を聞いたり、先輩後輩の序列を決めつけたがるが、側から見ていて、非常に情けなくなる。若ければ「夢がある!」と言い、高齢になると「後がない!」と言い、世代に開きがあると「接点が見出せない!」と言って去ってしまう。

 悔いのない人生は、皆の願いでもあろうが、今回の取材と通して感じたことは、「対話を楽しめる相手」の存在が重要な鍵を握っており、豊かな人生を担保してくれるのだろうと・・・。人は、年齢を気にするようになった瞬間に老けこんで行く。しかし、どんなに高齢になったとしても、素敵な笑顔を忘れず、常に己の夢実現に向けて挑戦する、素敵な人生を送りたいものである。


▼サンプル記事
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▼昨日撮影した御三人
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▼昨日のランチ(鹿央物産館 やすらぎ館)
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◎鹿央古代の森 鹿央物産館
 熊本県山鹿市鹿央町岩原2965/TEL 0968-36-3838
 物産館営業時間 10:00~17:00(直売所8:00~)
 ※定休日:月曜日(祝日の時は翌日)
 ※季節限定の料理は要予約(電話にてご予約ください)

▼鹿央古代の森 鹿央物産館公式WEBサイト
 http://kao-kodainomori.comLink

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2018/6/21 02:17 am

終焉を迎える心準備・・・

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 今月に入り、近しい友人の父親が、お二人も逝去された。度重なる不幸に、心を痛めてしまう。ご冥福を祈るばかりである。・・・自分の年齢が五十代ともなれば、致し方のないことなのかも知れないが、私も二年前に父親を亡くし、相当落ち込んだ事を想い出すばかりであった。

 その父親を亡くした一人の友人からのメッセージの中に、「西田さんの気持ちが、いくらか分かるような気がします。」との一節があった。短いフレーズであるが、家族を亡くした辛い気持ちは、何にも例えようもない。ただ、ひたすら、現実を直視して、踏ん張るしかない。

 また、人の死というものは、関わり合いが深くとも、浅くとも、すこぶる辛い。多分、それに直面した方々は、故人の生前との語らいの中で、笑顔ばかりを想い出すのではなかろうか。時間を巻き戻す事が可能であれば、少しでも戻してあげて、生前に話しておきたい事などを、沢山語り掛けるに違いない。

 写真は、以前、水前寺成趣園で撮影した家族連れのスナップ写真である。勿論、他人なので顔を暈してアップしているが、このような一つ一つの瞬間が、心に良き想い出として刻まれて行く。それが、歳月が経つにつれ、一人が居なくなり、そこに新しい生命が宿り一人が増えようが、また、一人がこの世を去って行く。

 幼い頃を思い起こせば、僅かな秒単位の想い出がランダムに浮かんでくる。それほど、想い出というものは瞬間的な紙芝居のようで、その記憶も次第次第に薄れて行き、自分自身が終焉に近づけば近づくほど、最近の記憶が飛んでしまい、数十年前の色濃く刻まれた記憶だけが、走馬灯のように見え隠れるするのだろうと・・・。

 これは私の体験であるけれども、父が急死する一ヶ月ほど前の言葉がとても印象的だった。「もう生き甲斐を感じなくなった。」と呟いていたのである。体調管理は万全の父であったが、たまに意味不明の言葉を吐いたりして、気力が弱まってきていたのだった。多分、自分の死期を予期していたのかも知れない。ただ、急に転げたり、突発的に意味不明の言葉を発し始めたら、赤信号だということを、その時に知った。

 個人的な話になり大変申し訳ないが、死期は、遅かれ早かれ、誰にも訪れるもの。そこでしっかりと踏ん張れる心を、予め準備しておく必要があると・・・。今更ながらに、父を亡くした瞬間の自分の浮き足立った事を、情けないが、想い出してしまうのである。


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  • posted by Chikao Nishida at 2015/7/12 10:16 am

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