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NHK(再放送)を観て・・・村おこし、町おこしの難しさ

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<NHKドキュメンタリーについて>

 早朝に町おこしのNHK(再放送)を観ながら、イラっとしてしまった。寂れた町を訪れた有名デザイナーがその町に魅せられて、その町おこしを決意し、町の人たちとの紆余曲折なる接点を描くものであった。実に素晴らしい、ドキュメンタリーである。

 イラっと来たのは、最初の説明会。数人の高齢者が「俺たちが築いた町を、何を今更、ハゲタカのように来て。俺は反対だ!」と非礼なる言葉を発した瞬間に、三十五年前に筆者が手掛けた、長崎県五島列島(上五島)の「トライアスロン in 奈良尾」を思い出したのだった。

 その町に魅せられて足を運んで、もっと盛り上げようというプレゼンテーションであるにも関わらず、過去の栄光を今も引きずる高齢者たち。「俺たちが創った町をとやかく言うな!」と。しかし、昔は昔。今は寂れに寂れ、開いている店がほとんどない状態となっている。

 昔はバブリーな時代もあり、胡座をかいていても、観光客はゾロゾロとその町に集まった。当時、ニュースでも聞いたことのある町だ。現在は寂れるばかりで、その今を直視せず、昔のお伽話に酔いしれているのだから、更にイラっとしたのである。

 そのデザイナーは自ら描く町のイメージを、粛々と進めて行くのだが、初手から対峙の関係にて接する人たちは、視野が広いとは言えず、このままでは町の存亡に関わるほど、若い人が居なくなるのは必至。

 そうなれば、体が弱り動かなくなった高齢者たちは、年金暮らしの延長線として施設暮らしを選ぶに違いない。今直ぐにでも、この町にカンフル剤を打ち込まぬ限り、ゴーストタウンになってしまう可能性が高い。

 一つでも灯りがついた店が増えるように町の様子を伺うデザイナー。そのドキュメンタリーを観ているだけで、胸が痛くも熱くもなってしまう。筆者であれば、最初の説明会の罵詈雑言にキレまくり、さっさと撤退したかも知れない。

<「トライアスロン in 奈良尾」開催に向けて>

 筆者が手掛けた長崎県の上五島でも同じことがあった。「トライアスロン in 奈良尾」の企画の段階から1年3ヶ月を経て、ようやく第一回大会に漕ぎ着けそうになった矢先のことである。(それまで脳内が何回爆発したろうか)

 当時、新聞社に勤務していたが、他県の島の町おこしなので、1年3ヶ月の間に、その島に7回上陸し、交渉に交渉を重ねて、自分の尻を叩いて頑張った。

 それも、全て自費で熊本市から旧奈良尾町に出向き、コース設定をはじめ、町長、総務課長、体育協会長、観光協会長と膝を突き合わせて、町おこしプロジェクトに傾注していた。

 そして、警察、消防、海上保安庁などの許可を得て、ようやく、翌年6月に第1回大会が決まった。

<某協会長の爆弾発言に激昂>

 ところが、最後の説明会にて、某協会長が「やっぱり、もし、事故があったらいかんので、この大会の計画は止めませんか!私は反対です!」と、唐突に言い出したのである。

 一瞬にして火がついた筆者は、長机を両手の掌が痛いほどバンと叩き、その協会長へ詰め寄った。「協会長、あなたは何を言っているのか、理解に苦しむ。この1年3ヶ月の皆の苦労を台無しにするのか!」と。

 筆者がその協会長のところへ近づいて行くと、横から、後ろから十数人が取り囲み、筆者を制止した。

 筆者へ、或る一人が「長崎トライアスロンの私たちに任せて下さいませんか。今の協会長の発言は撤回して貰いたい。何度も熊本からこの島に来られては、一所懸命コースの安全性を確認したり、交渉をしてくれた方に失礼じゃないですか!」と、大勢の人たちが協会長に更に詰め寄った。

 暫くして、その協会長は発言を撤回し、深謝し、翌日のコースの最終安全チェックを行うことを約束し、最後の会議が終了した。

<公用車が勢揃い>

 翌日、早朝から筆者が宿泊していた旅館の玄関先が騒がしい。何だろうと玄関に出ると、先頭にはパトカー、そして町長専用車、町役場車両、更に、体育協会車両や観光協会車両ずらりと待機していた。

 旧奈良尾町の若い担当者が、「30分後に出発しますので、よろしくお願いします!」と玄関にいる筆者に声を掛けてくれた。全身に鳥肌が立つほど嬉しくもあり、町中の人たちの熱意が旅館の玄関にまで飛び込んできたのである。

 村おこし、町おこしは、そう簡単にできるものではない。毎日毎日、何らかの壁が立ちはだかり、それを越えたかと思えば、大きな落とし穴もある。大勢の人たちを説得するのが、これほどまでに大変なことなのかと、その時初めて実感したのである。

<「接遇」への意識高揚>

 田舎の方々を小馬鹿にする訳ではないが、旧奈良尾町は魅力的な土地柄だったが、見えざるローカルスタンダードというものがあり、島外から来た筆者に対しては「余所者」として、なかなか胸筋を開いてくれなかった。

 電話の応対も、名刺交換も知らない小さな町の住人たち。よって、大会開催までに「接遇セミナー」を町の体育館で開催することにした。その指導者として選んだのは、熊本市内にある現在のANAクラウンプラザホテル熊本ニュースカイのインフォメーションレディ2名(コンシェルジュ役)をお借りして、旧奈良尾町に乗り込んだのである。

 一人は元ミス熊本、もう一人もミス○○。170cmほどの二人が、ライトグリーンのスーツにハットを被り、奈良尾町の体育館壇上に足を運べば、どよめきと歓声が聞こえた。

 そこで、旅館や民宿、そして土産店などから来られている島民の方々へ、先ずは、電話の応対から指導を行い、更には、名刺交換や島内案内の仕方など、一つ一つ手を取り足を取り指導して行った。

 「まあ、別嬪さんばかりで、うちの息子の嫁に来てくれんだろうか?」、「うちの旅館の若女将になるなら、お客は増えるばい!」とか何とか、セミナーどころの騒ぎではない。

 会場は、最初はシーンとして「余所者が来た」と思っていた人たちがほとんどだった。しかし、指導が始まると、目を丸々として「こぎゃんお辞儀ばせなんとたい!」、「電話の応対は難しか!」など、ワイワイガヤガヤとなり、2時間に及ぶセミナーが無事終了したのである。

<町のドンと美女二人>

 女性のパワーが素晴らしいと思ったのは、体育館では初めて会う人たちばかりなのに、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の二人を見て、すぐに和気藹々となっている。筆者など、和気藹々となるのに1年3ヶ月も掛かったのが嘘のような・・・。

 村おこし、町おこしのスタート時点では、先ずは、人と人との接点がすこぶる重要である。よって、「接遇セミナー」を企画して、熊本から指導者を運んできたのは、思いの外、町の方々へは高得点であった。

 その日の夜は、11期町議会議員の経歴を持つ、町のドンとの会食の予定となっている。これまた、美女二人に囲まれたご老体(当時90歳)は、満面の笑みにて、何度も座椅子から滑って座卓の中に入り込んでしまう。

 それを美女二人がご老体の両腕を引っ張り、座椅子に戻すの繰り返しを三度ほど行ったような。最初の滑りは本当だったようだが、後の滑りは態とらしい仕草に見えて仕方なかった。

 現在、当時出逢った高齢者の方々は皆他界されているが、このように当時を思い出しながら筆を走らせると、当時の町の重鎮たちの笑顔が脳内を駆け巡る。

<「トライアスロン in 奈良尾」の今>

 それから、筆者が企画した「トライアスロン in 奈良尾」は、旧奈良尾町が統合合併されるまで町主催で23回まで開催され、その後は、トライアスリートである個人が継承し、今も尚続いていると言う。有難いことである。

 最後に、NHKの再放送のドキュメンタリーの通り、村おこしや町おこしは産みの苦しみを分かち合い共有することで、そのプロジェクトは成功裡に必ず動く。私利私欲やプライドを捨て、過去に後ろ髪を引かれることなく、時流を見極めて、情熱を注ぐことが肝要となる。

▼NHK+でご覧ください。
https://www.nhk.jp/p/ts/P71P7Q379L/episode/te/P88M5PX7M4/Link
▼積善之余慶
https://note.com/chikaonishida/m/mb2e94b9e860bLink
▼トライアスロンin五島列島
https://www.kamigoto-triathlon.comLink
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写真・文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2023/8/13 12:00 am

「地域揺り起こし」には覚悟してかかれ!

◎記事と写真は関係ありません

JOSUI


 新聞社を経て起業(ディー・アンド・エルリサーチ株式会社創立)して、今年の10月1日で26年になる。マルチメディア事業を事始めに、本格的CGシミュレーション動画制作、インターネット事業と、次から次に変わる最先端技術に気後れすることなく、常に「攻め」の姿勢、猪突猛進であった四半世紀。今回、あるプロジェクトの話の流れで、弊社(筆者個人も含めて)の自治体関連事業実績を提出することになり、記憶にあるものをランダムに書き出した次第。以下の通り、

1)人吉・球磨地方におけるアウトドアスポーツ可能性リサーチ(新聞社時代)

▼熊本県の依頼で同地方の実験的なリサーチを敢行(1月、2月)
・市房山縦走(8時間ほどかけて連山を縦走/心見の橋通過・・・)
・雄滝や女滝の沢登り(凍りついた滝の上流を目指す)
・川辺川カヌー下り(雪が舞い散る中で上流域にて敢行)
・マウンテンバイク試走(白髪岳赤松林沿い)
・水上村へ商社ニチメンを紹介し、市房ダムへカヌーを導入。

2)長崎県旧奈良尾町(現 新上五島町)トライアスロン大会企画運営(1988〜2008)

 熊日時代、同町の観光協会より町おこしの相談があり、当時、熊本市内交通センターホテルにて会議。長崎新聞社事業部が人員不足という理由で、わざわざ熊本の筆者に直接相談がった。よって、熊日と同町が共催という形で企画を提案。コース設定、安全管理などを固め、九州管区警察、長崎県警、海上保安庁、消防などの承諾を得て、1年3ヶ月(上五島へ7回足を運ぶ)歳月を経て、「トライアスロン in 奈良尾」として開催に至る。2年後に熊日を早期退職したので、同大会は当社が引き継ぎ、5回大会を終えて、ローヤリティ、著作権など全てを同町へ委譲。市町村合併まで、熱心な現地歯科医師たちアスリートにより大会は20回続く。全国雑誌に「礼儀正しい大会」で紹介され、オーストラリアなど海外アスリートも参加した。

3)旧 久木野村コンサルティング(1996年〜1998年)

・職員IT研修会及びオフコン導入のコンサルティング
・熊本県内自治体(当時11市83町村)第一号の久木野村公式WEBサイトを構築運営。
・村内IT化プロジェクトを企画し、当社企画案を村長が霞ヶ関へ持ち込む。2週間後に6000万円の補助金(村側は500万負担の好条件)が決定されたものの、村議会(反対派7名、村長派5名)にて否決。残念ながら、全国初の村あげてのIT化(国内IT村第一号)は熊本県久木野村ではなく、富山県山田村が日の目を見ることに。結局、好条件であった補助金は、某町の風力発電へと流れた。

4)熊本市公式WEBサイト構築運営(1997年〜2002年)

 ・約5年間、熊本市公式サイトを運営。当時は、毎月段ボール箱に大量の書類が送られ、それを当社スタッフが全てパソコンに打ち込み処理。市庁舎にはWEBカメラなど最新システムを採用、熊本城ライブ映像をネット上で流す。

5)熊本市新屋敷大井手周辺公園化構想CG化

 ・高級住宅街である新屋敷の大井手(加藤清正の治水事業の一つ)の公園化構想を、当社がCGでシミュレーション、バードフライ動画を制作、熊本市へ提供。

6)装飾古墳 チブサン古墳シミュレーション動画寄贈

 ・同時期のNHKの欽明天皇陵CGシミュレーションに対抗して、1992年にチブサン古墳をCG動画化。山鹿市(当時の中原淳市長)及び山鹿市立博物館へ寄贈。現地で毎日放映。当時、マスコミの取材が殺到し、テレビや新聞にて大々的に紹介された。

7)熊本県九州新幹線誘致キャンペーン

・九州新幹線キャンペーンCM制作。全てCGにて、15秒、30秒のコマーシャルを、当時2ヶ月間で、県内民放4局にて600本を放映。併行して、東京高輪プリンスホテルにてマスコミを招待したビッグキャンペーンを敢行。因みに、同契約は熊本県と当社との随意契約。その後、熊本県マルディメディア研究会委員(知事部局)として参加。

8)旧 鹿本町公式サイト構築運営

9)波野村(阿蘇)公式サイト構築運営

10)瀬戸石ダムと魚道公式サイト<国土交通省>(2001年〜2006年)

・電源開発株式会社の委託にて、鮎の遡上などのリアルなCGシミュレーション動画を搭載した公式サイトを構築運営。

11)山鹿鹿本広域広報誌

・月刊山鹿鹿本広域広報誌「てん」を企画発刊

12)山鹿鹿本県民文化祭報告書冊子(山鹿市)

・山鹿鹿本県民文化祭報告書の冊子発刊
・NHK衛星放送全国放送「山鹿鹿本県民文化祭」CGタイトルを制作

13)山鹿鹿本指定文化財書籍(山鹿市)

・山鹿鹿本地域指定文化財取材及び書籍発刊

14)熊本市へ熊本地震以前の熊本城資料写真寄贈(2016年)

・公益財団法人 文化財建造物保存技術協会(東京本部)理事の目に留まり、石川県の老舗企業経営者より、当社保有の熊本地震前熊本城写真を復元資料として協力依頼。よって、写真126枚をCDにて熊本市へ寄贈。崩壊した石垣などの貴重な復元資料写真として高い評価を得る。

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 その他実績としては細かいものも沢山あったような気がするが、頭の中にはこの程度の記憶しか残されていない。ただ、筆者は「地域揺り起こし」と常々申し上げているので、この名称で話をするが、「地域揺り起こし」は、とても心がワクワク、ボルテージも上がりっぱなしで、情熱の炎が燃え上がる。例えば、長崎県の旧奈良尾町の「トライアスロン in 奈良尾」は、他県の「地域揺り起こし」の事業であったために、新聞社役員会議で「2回までの開催を許す。万が一、事故があれば即刻中止!」という厳しい条件の下に、公私共に気合を入れたものだった。

 当時、人口僅か3800人の奈良尾町。キリシタンの島でもあり、昔は捕鯨の町でもあった。海面に浮かぶボートが空中に浮いているように見え、海の透明度は素晴らしかった。高校新卒者のほとんどが島外へと出てしまい、過疎化と高齢化の嵐が吹き荒れつつある時代だったように思える。ただ、島民の笑顔は筆舌に尽くし難く、第1回大会を振り返ると、桟橋に大勢の町民が集まり、旗を振り、県内外から参加するアスリートたちを迎える。筆者が企画したものが目の前にある訳だが、鳥肌が治まらぬほどに、気づけば、大会前から感涙に咽ぶ自分がいた。

 大会開催までは1年と3ヶ月を要したが、最終段階となり、ある人物(島内では名士)が、会議の冒頭で「折角、トライアスロン誘致をして頂きましたが、危険を伴う為に、一度リセットして、今回は中止ということで考えております。」と口を開いたのである。間、髪を容れず、当然の如く、筆者は若気の至りか、長机を両手でバンと叩き、相当な勢いにてその人物に喰ってかかった。それは昨日のように覚えているが、長崎県トライアスロン仲間たちが一斉に「ここは私たちに任せてください!」とその人物へ猛攻撃。結局、その人物はその場で深々と頭を下げ謝罪をした。翌日、全コース最終安全点検のために、公用車やパトカーなど数台が町役場前に待機。半日間で点検も完了し、やっとのこと開催に漕ぎ着けたのである。

 「地域揺り起こし」には、燃え盛る「情熱」が欠かせない。何事も、上述のように、必ずネガティブ発言をしたり、横槍を入れてくる輩の存在があるので、簡単に燃え尽きるような「情熱」では、心ない邪魔者を粉砕できないのである。このトライアスロン大会は、筆者にとって、一生忘れることのない、「地域揺り起こし」として、良き想い出として、心の中でコロコロと心地良く動いている。大変お世話になった、当時の重鎮たちは、ほとんどが他界されている。墓参りもせず、とても心苦しいけれども、いつの日か、再び同町を訪れ、弔うことができればと。名物のチャンポン、石鯛の皮焼き、丼いっぱいの新鮮生雲丹、腰の強い五島うどん(乾麺)など、本当に懐かしい限り。

 「地域揺り起こし」には、神様が「最高の笑み」をその地に与えてくれる。老若男女、全ての人たちが、共通のプロジェクトに一所懸命に動いてくれる。宿が満杯だと、町長宅の別宅に宿泊したこともあり、「何と田舎は素敵なんだろう!何と皆の笑顔が美しいんだろう!何と田舎の料理は旨いんだろう!」と叫びたくもなる。これが、「地域揺り起こし」の醍醐味である。過去の自治体関連事業実績を紐解きながら、当時の「若気の至り」を思い起こしながら、更なる、社会貢献ができればとメラメラと燃え上がるのである。


▼孔子公園花壇の花々
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写真・文責:西田親生

               

  • posted by Chikao Nishida at 2021/9/27 12:00 am

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