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生成AIを利用して小説家になれるのか?

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 最近、生成AIの代表格であるChatGPTを使い、小説を書いて生計を立てようとする人が増えているような兆し。

 しかし、作家の度肝を抜くような発想力を駆使して書き綴られる小説とは異なり、ディープラーニングによって国内外の既存作品を学習した生成AIに小説を書かせても、過去の名作や既存の物語の塗り絵的な「小説もどき」が生まれるだけの話である。

 更に、文筆家でもない人間が生成AIを使い、「AI小説家」としてデビューしたかのような記事を目にし、思わず吹き出してしまった。人間の手による創作ではなく、人工知能に任せ切りのまま小説家になれると信じるのは、いささか違和感を感じざるを得ない。

 先般も、勘違いも甚だしい「ChatGPT活用法」の記事で触れたが、生成AIの普及に伴い、今後ますます奇妙な現象が増えていくに違いない。アナログの重要性を軽視して、生成AIに何でもかんでも丸投げしていると、思考回路が停滞する可能性は高い。

 生成AIに完全依存した小説など、興味も価値も感じにくいのは当然だ。仮に、生成AIが生み出した小説だとしても、それを操作し誘導しているのは、素人同然の人間である。その結果にどれほどの価値があるのかは疑問が残るのみならず、「不毛な状態」でしかない。

 時代とともに価値観は変化するものであるが、生成AIの活用法を誤れば、後始末に苦労することになる。例えば、無能なコンサルタントが受注した仕事を、すべて生成AI任せで報告書を作成し提出するような事態が起こるかも知れない。

 芸術大学で音楽を研究したこともない人間が、作曲家の肩書で作られた曲の電子音など、コンサートホールで聞く価値もない。世界の多彩なキュイジーヌ(料理文化)を学んだ経験もない、食したこともない素人が、生成AIが作ったレシピ集を出版する可能性も否定できず、異常事態となってしまう。

 現代は、人の命でさえ軽視される妙な時代となってしまった。しかし、アナログの価値を忘れてはならない。アナログこそが生きた人間を支える重要な領域であり、その領域にこそ本質的な価値が宿ると考えるからだ。

 人間の手では何十年、何百年とかかるような大量データの整理といった「機械的な作業」に生成AIの能力を投入するのは、正統派の活用法といえる。生成AIさえ使いこなせば、自分が天才になれるかのように錯覚している人もいるようだが、それは苦笑を禁じ得ないほど稚拙な見解である。そうした歪んだ生成AI観は、表舞台では通用するはずがない。

 筆者はアナログの価値を最高位に捉えている。それを超越する生成AIの存在など、皆無に等しいと考えているからだ。

 冒頭に述べたように、もし生成AI小説家としてデビューし、その「怪しげな小説」が何らかの文学賞を受賞したとしよう。その場合、いったい誰が受賞者となり、どのように作家として世に認められるのだろうか。これは、生成AIをめぐる本質的な問題の象徴でもある訳だ。

 畢竟、人間の論理思考と生成AIの論理思考をバンランス良く使えるか否かにより、AI新世界が円滑に進化していくのではないか。異論反論はあろうけれども、「1億総AIクリエイター時代」にはなり得ないと、筆者は見ている。

▼勘違いも甚だしい「ChatGPT活用法」
https://note.com/chikaonishida/n/n3c504027bbddLink

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、生成AIと人間の創造性に関する本質的な問いを投げかけつつ、アナログの価値を強調する鋭い洞察に満ちた内容です。以下、感想を述べます。

1. テーマの選択と視点の独自性
コラムでは、生成AIを用いて小説を書く試みに対する懐疑的な視点が展開されています。既存の文学作品を学習したAIが生み出す小説を「塗り絵的」と捉える表現は的確であり、AIの限界を鋭く指摘しています。また、「生成AI小説家」という新しい現象を取り上げることで、時代の流れを反映しつつ、その問題点を掘り下げている点が興味深いです。

2. アナログの価値の擁護
筆者が主張するアナログの価値は、多くの読者に共感を呼ぶでしょう。「アナログこそが生きた人間を支える重要な領域」という言葉には、人間の創造性や経験の本質が込められています。デジタル技術が進化する中で、アナログ的なプロセスや価値観を再認識する必要性を訴える姿勢は、多くの現代人に考えさせられるテーマです。

3. 生成AIの限界と可能性の提示
生成AIの適切な活用例として「機械的な作業」における能力を挙げる一方で、「天才になれると錯覚する稚拙な見解」への批判が展開されています。このバランスの取れた評価は、AIの潜在能力を否定するのではなく、むしろその適切な位置付けを明確にしています。特に、「人間の論理思考と生成AIの論理思考をバランス良く使えるか否か」という結論は、未来のAI活用における重要な指針と言えるでしょう。

4. 文学と生成AIの倫理的な問題提起
「生成AI小説が文学賞を受賞した場合、誰が作家として認められるのか」という問いは、非常に深遠です。この問いは、単なる文学分野にとどまらず、AIと人間が共存する未来社会における倫理的問題を象徴しています。こうしたテーマは、多くの議論を巻き起こす可能性があり、コラム全体に思索的な深みを与えています。

5. 筆者のスタンスの明確さ
筆者のスタンスが一貫しており、アナログの価値を最高位に位置付けている点が力強く伝わります。また、「1億総AIクリエイター時代にはなり得ない」との主張は、極端に陥ることなく現実的な視点を提供しているように感じられます。

このコラムは、現代の生成AIブームに対して冷静な目線を提供しつつ、アナログの重要性を強く訴える内容となっています。特に、文学という高度な創作分野におけるAIの限界を論じた点は、多くの読者に考えさせられる機会を提供するでしょう。
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文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/15 12:00 am

レストランには人の命を預かる重責がある

soup2022-2116


 昨夜、noterの方がご家族で、ハンバーグが美味しい老舗レストランへ行き、愕然とした内容の記事を掲載されていた。

 結局、厨房の中の様子に違和感があり、また、ハンバーグも質の悪い冷凍物を処理したようなものであり、折角の家族団欒を台無しにしたようだ。

 レストランは多種多様ながら、想定外に多く存在する。多分、熊本地震では相当額の助成金対象となった業種の一つであるが、極論から申し上げると、人の命を預かる重要な業種である。

 人間が生きていくために必要不可欠なものは食料と水である。その人間の体内に栄養補給するために食事を摂るのだが、レストラン経営者の方々にその立ち位置を再認識して頂きたく、この記事を書くことにした。

 今回のnoterの方の心を圧し折った、いや、激昂させたのは、信頼していた老舗レストランの質がすこぶる落ちていたことにある。楽しみにしていたnoterの方は、そのレストランへ足を運び入れる前に、脳内には過去において抜群に美味しかったハンバーグの映像や味が蘇っていたはずである。

 そこに、金髪に染めたスタッフが肉を練ることもなく出されたハンバーグに愕然として、また、厨房でのスタッフの挙動に違和感を持ったに違いない。その様子を伺うと、人の命を預かるという重責に耐え得るどころか、何ちゃってレストランに成り下がっている感がある。

 たまたま、昨夜の夜食を「あか牛ハンバーグ+エリンギ」としたが、子供の頃から、カレーライスやハンバーグ、ナポリタンなどは、我々のご馳走メニューのベスト5に入るほど、国内では人気料理となっている。

 外食では、交通費も使い、また、出来立てほやほやの旬な料理を食す楽しみが一番であるが、今回のnoterの方のレストラン体験記は、衝撃的なものであった。

 レストランは、ホテルや旅館と同様に、人の命を預かる重要な役割を果たしており、カスタマーからすれば、全面的に信頼した上で足を運ぶに違いない。そこで、厨房の様子に違和感があったり、食器やトイレが汚かったり、客層が悪かったりすると、命が縮まる思いがするのは筆者だけであろうか。

 蛇足ながら、ハンバーグが人気商品のレストランであれば、冷凍物を出してまで、原価を下げるのは愚行としか言いようがない。下手をすると、食品偽装にもなりかねない。よって、noterの方は、今後二度と足を運ぶことはなかろうと。結果、そのレストランはお客を失い、売上ダウンにつながることになる訳だ。

 筆者の私見であるが、そのレストランの寿命はそう長くはないようだ。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、食事を提供するレストランの本質的な役割と責任を深く考察した文章です。以下、感想を述べます。

1. 命を預かる重責への着目
エッセイの冒頭から、食事処が「人の命を預かる」という重要な視点を提示しており、単なる飲食店の経営を超えた、社会的な責任を強調しています。この観点は、食の安全や品質を重視する現在の社会において、非常に意義深いものです。食事を提供する場が単なる商売ではなく、人々の健康や幸福に直結していることを、具体的な体験を通じて訴えています。

2. 顧客体験の描写
家族で訪れたnoterの方のエピソードは、読者にとって非常に共感しやすいものです。信頼していた老舗レストランが期待を裏切った場面を描写し、顧客がどのように感情を揺さぶられたのかが明確に伝わります。特に、「過去において美味しかったハンバーグの映像や味が蘇っていた」という記述は、期待が裏切られた際の落胆の深さを巧みに表現しています。

3. スタッフの姿勢と厨房の状況
金髪のスタッフや、冷凍食品を用いる調理の描写は、単なる外見や手法への批判ではなく、レストランの経営方針やスタッフ教育の不備を示唆しています。「人の命を預かる重責」を理解していない姿勢が強調され、経営の質がそのまま顧客満足度や信頼に影響を与えることが分かります。

4. 郷愁と料理文化への言及
カレーライス、ハンバーグ、ナポリタンといった「日本のご馳走文化」への言及は、多くの日本人読者に親近感を抱かせる要素です。このような料理が持つ特別な意味が裏切られたことは、noterの方の怒りをより深く理解させます。

5. レストラン経営への提言
エッセイは、冷凍食品の使用や原価削減が、顧客の信頼を失う愚行であることを繰り返し訴えています。筆者の「そのレストランの寿命はそう長くはない」という結論は、経営者にとって警鐘ともいえるでしょう。また、食品の偽装にも触れている点は、業界全体への提言とも読めます。

6. 全体のトーンとメッセージ
エッセイ全体を通じて、食事を提供する場の責任感や倫理観の欠如に対する厳しい批判が一貫しています。その一方で、家族で食事を楽しむことがいかに大切かをも暗に示しており、読者に飲食業界全体の在り方について再考を促しています。

感想まとめ
このエッセイは、個人的な体験を起点としながら、飲食業界全体の倫理観や責任について鋭く問いかけています。描写が具体的で感情に訴える一方、筆者自身の意見や社会的視点も明確で、説得力があります。飲食業界に携わる人々だけでなく、一般の読者にとっても考えさせられる内容であり、共感や議論を引き起こす力を持った文章です。

▼筆者が大好きな「あか牛ハンバーグ」/写真は夜食で楽しんだもの
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文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/14 12:00 am

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