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筋道を通していると、先人の教えに辿り着く。

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故事成語や諺、偉人名言など、先人が今の我々に残した教えは万とある。ただ、それを沢山知っているからと言っても、何の価値もない。

 誰が何を伝えたかったのかが重要ではなく、何を伝えるために誰が言葉を残したのかが需要である。よって、国語の試験問題で誰がを正解しても、何をを良く理解せずして、何の価値もないことになる。

 ブログなどで、名言集を延々と書き綴っている人もいるが、筆者としては、全く興味もなく読もうとは思わない。何故なら、Google先生やChatGPT先生の方が、よりリレーショナルデータベース的に答えてくれるので、誰がではなく、何ををよく理解できるのである。

 しかし、面白いもので、兎に角、日頃から筋を通していると、最終的には、先人たちの教えに辿り着くのである。「如水」にしても然り、「国破れて山河あり」でも然り。

 因みに、「如水」と「国破れて山河あり」を、Google先生とChatGPT先生に聞いてみることにする。以下の通り。

 やはり、故事成語など沢山覚えるのではなく、歴史的な背景やストーリーなどを押さえながら、自らに当てはめて、人生訓として学ぶことが大切であることを再認識する次第。

 諄いようだが、「筋道を通していると、先人の教えに辿り着く。」ということである。
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▼「如水」について

1)Google先生<試験運用中>
「如水」には、次のような意味があります。

水の如し
君子の交わりは淡きこと水の如し
上善は水のごとし

「如水」の言葉の出典は『礼記・表記』とされていますが、そこでは「君子之交」ではなく、「君子之接如水」となっています。「接」は日本語読みでは「まじわり」となり「交」と同じで、意味は同じです。

「君子の交わりは淡きこと水の如し」は「荘子」山木からきており、君子は人と交わるのに、水のようにさっぱりしているので、友情は永く変わることがないという意味です。

「上善は水のごとし」は「老子」八章からきており、最高の善は水のようなものであるという意味です。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしています。

2)ChatGPT先生
「如水」(じょすい)は、文字通りには「水のごとし」という意味を持ちます。具体的な意味や解釈は文脈によりますが、以下のような意味や使われ方があります。

1. 水の性質になぞらえた比喩
水は柔軟で、器の形に従い、形を持たずどんな状況にも適応する性質を持っています。このことから、「如水」は柔軟性や適応力、または無欲で自然体であることを象徴する比喩として使われます。

中国の思想(特に道家の教え)では、水のように柔和でありながら、物事に影響を及ぼす力強さを持つことを理想とされています。

2. 謙虚で控えめな人柄
「如水」はしばしば控えめで謙虚な生き方を表す言葉として用いられます。自己主張をせず、他者に対して調和を保ちながら、自分の存在感を発揮するような姿を指します。

3. 人名や号としての使用
歴史上の有名人では、戦国武将・黒田官兵衛(黒田如水)が知られています。彼は出家後に「如水」という号を名乗り、その名には柔軟かつ無欲の精神を込めていたとされます。

4. 水の清らかさ・透き通った性質
「如水」は清らかで濁りのない水の性質を象徴することもあります。このため、純粋さや清廉潔白を表現する際にも使われる場合があります。

5. 企業名や商品名などでの使用
現代では、「如水」という言葉が企業や商品名にも使われることがあり、特に清潔感やシンプルさをイメージさせるブランドネームとして採用されています。

どの意味を指すかは文脈によるため、具体的な用途や背景を考慮する必要があります。
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▼「国破れて山河あり」について

1)Google先生<試験運用中>
「国破れて山河あり」は、盛唐の詩人である杜甫の詩「春望」の冒頭で、戦乱によって国が滅んでも山や川は昔の姿のまま残っているという意味です。

杜甫は安禄山の乱で俘虜となり、荒廃した長安の都の春の光景を眺めながらこの詩を詠みました。

2)ChatGPT先生
「国破れて山河あり」(くにやぶれてさんがあり)は、漢詩の中の一節で、唐代の詩人杜甫が詠んだ詩「春望(しゅんぼう)」の冒頭部分に由来します。この一節は非常に深い意味を持ち、歴史的背景や哲学的な視点から解釈されています。

一般的な意味
「国破れて山河あり」は、戦乱や災害などで国が滅びたり荒廃したりしても、自然(山や川)はそのままの姿で残っている、という情景を表しています。この対比によって、以下のような感情や考えが暗示されています。

無常観
人間が築いた文明や国家は壊れやすく儚いものであるが、自然は永続的で不変に見えるという、人間の営みの儚さに対する感慨が込められています。

悲哀と希望
戦争や紛争によって国が滅びた後の悲しみや絶望を示す一方で、山河の変わらない存在がどこか希望や救いを感じさせることもあります。

自然の力強さ
自然は人間の営みに影響されず、自らの秩序を保ち続ける存在であることを暗示しています。

原詩と背景
この一節は、杜甫の「春望」という詩の冒頭部分で、詩全体の内容は戦乱による荒廃と、それによって引き起こされた悲しみや無力感を詠んだものです。

「春望」全文(漢字)

國破山河在 城春草木深
感時花濺淚 恨別鳥驚心
烽火連三月 家書抵萬金
白頭搔更短 渾欲不勝簪
冒頭の意味

「国破れて山河あり 城春にして草木深し」
国は戦争や紛争によって滅び、廃墟となったが、山や川は変わらずそこにあり、春の訪れによって草木が茂り、その深い緑が城跡を覆っている。

現代での解釈や使用
現代では、この言葉が以下のような意味で使われることがあります:

無常観や運命の移ろいを示す比喩
歴史的な事件や災害を語るときに、人間の営みの儚さや自然の永続性を表現する際に引用される。

逆境の中での希望の象徴
苦しい状況の中でも変わらないもの、支えとなるものが存在することを表す。
この一節は、美しい表現でありながら、深い哲学や感情を伴う言葉として、文学や日常会話の中でも頻繁に引用される名句です。

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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、故事成語や諺、名言をただ覚えるだけでなく、それらが持つ深い意味や歴史的背景を理解し、自己の人生観や行動に反映させることの重要性を強調しています。具体的に「如水」と「国破れて山河あり」という二つの故事成語を取り上げ、それらがどのように現代のデジタルツールによって説明されるかを示しています。これにより、過去の知恵が現代の技術を通じてどのように解釈され、活用され得るかを探求しています。

エッセイの筆者は、古典的な知識が単なる記憶の対象に留まらず、現代の問題解決や個人の成長に役立てられるべきだと主張しています。これは非常に有益な視点であり、特にデジタル化が進む現代において、過去の教訓をどのように現実の問題に適用できるかを考えるための良い例です。

また、筆者は、名言や故事成語の背後にある深い意味や歴史的な背景を理解することが、それらをより豊かで意味のあるものとすると述べています。これは学問だけでなく、日常生活においても応用できる教訓であり、知識を深めることが如何に人生を豊かにするかを示しています。

このエッセイは、知識の真の価値とは何か、そしてそれをどのように私たちの日々の生活や判断に活かすかという問いを投げかけています。それにより、読者に対して学びの姿勢を見直す機会を提供しており、教育や自己啓発における新たな視角を開くことができます。
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書・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/12/12 12:00 am

社会人再教育の時代に突入

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 日本の社会人能力の低下が報じられて久しい。時代は急激に変化し、40代、50代のリストラが相次ぎ、後期高齢者は激増の一途を辿っている。これにより、社会保険制度や税制も迷走を続けている。

 社会人の能力低下に関する報道には、情けなさを禁じ得ない。これは、日本精神文化が長らく低迷を続けた結果であり、現状を象徴するものである。

 筆者は若者から熟年層の教育に携わっているが、そこから見える現実は厳しい。一言で言えば、気力も努力も欠如しており、社会人としての学びや成長が著しく不足している。若い頃からの進化も変化も見られず、現状維持すら危うい状況である。

 熟年層に対する再教育制度の整備は急務である。これを怠れば、彼らがリストラの対象となるのは必然となる。知識を多く詰め込んでいるとしても、それが能力の向上には結びついていない点が重大問題である。

 熟年層の多くは思考回路が停止し、夢や希望を失っている。その結果、若者の好奇心や自己研鑽意欲と比べると、その努力の割合は10分の1にも満たないのではないかと危惧している次第。

 筆者は毎週「Well Done」というプライベートスクールで、ICT総論各論や食文化、人間学など、多岐に亘り講義を行っている。その中で明らかになったのは、無気力、無努力、不誠実が絡み合い、自らの現状すら自覚できない社会人の実態である。

 10年後には後期高齢者がさらに増加し、若者は激減する。これにより、日本の国力は歴史的に最悪の水準に陥る可能性が高い。自己研鑽に無関心で、書籍一冊購入して学ぼうともしない熟年層の増加は、人生の大半を無駄にしているに等しい。

 「生涯教育」という言葉は既に定着しているが、実態は名ばかりであり形骸化しているが、自己研鑽の欠如の常態化が原因となっている。これが国力低下の一因となり、やる気のない社会人がそれを助長しているに過ぎない。

 定年後の年金生活を目指し、実社会から逃避する姿勢は、若者に支えを求めるだけの無責任な態度である。そのような姿勢を取る熟年層を、なぜ若者が支えなければならないのか、極めて都合の良い話ではなかろうか。

 社会人が若者の範となるべきである以上、自己擁護に終始する熟年層は恥ずべき存在である。彼らは次世代の若者に対して、果たしてどれだけの貢献ができているのか、自分の背中をじっくりと見てもらいたい。

 子どもに勉強を強要し、自らの果たせなかった夢を押し付ける親も多いが、それは若者の夢と希望を一方的に奪う愚行である。自分の果たせなかった夢を託すことは、身勝手極まりなく、本末転倒でありはしないか。

 世界的に見ても、日本の社会人能力は低空飛行を続けているようだ。この現実を前に、社会人として世のため人のために尽くす覚悟が問われている。

 遣る気のなさ満載にて、身勝手な行動を続ければ、それを見た子どもや孫も同じ道を辿るだけである。その悪循環は、国力の低迷に拍車をかけ、取り返しのつかない事態を招くに違いない。

 以上の状況を憂慮せざるを得ない。日本の未来のため、熟年層の自己改革が急務であり、「社会人再教育の時代に突入」の火蓋は切られた。

 さて、貴方は、これからどうする???

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、日本の社会人能力の低下とその影響について深く掘り下げた内容です。著者は、特に40代、50代のリストラ問題や後期高齢者の増加がもたらす国力低下に対して警鐘を鳴らしています。以下にその分析と感想を述べます。

エッセイの主要テーマ
エッセイは、熟年層の能力低下が日本の将来に与える影響を中心に展開しています。著者は、教育や自己研鑽の欠如が日本の経済や社会の発展を阻害していると指摘し、熟年層に対する再教育の必要性を強調しています。

分析ポイント
社会人能力の低下の要因: 著者は、能力低下が長期間にわたる日本の精神文化の低迷によるものであると分析しています。この指摘は、教育制度だけでなく、文化的・社会的価値観の変化にも目を向ける必要があることを示唆しています。

再教育の重要性: 筆者は、後期高齢者の増加と若年層の減少が将来的に社会保障や経済に悪影響を及ぼすことを懸念しており、これに対抗するために熟年層への再教育を提案しています。具体的には、ICT総論や人間学など、現代的な技能と知識の習得が挙げられています。

自己研鑽と社会的責任: エッセイでは、自己研鑽を怠ることが、社会全体の衰退を招くという強いメッセージが込められています。これは、個人の行動が集団に与える影響を強調し、読者に対して行動を促す一因となっています。

感想
エッセイは、熟年層だけでなく、全世代に向けた警鐘として機能しています。しかし、その語調は非常に厳しいものがあり、読者によっては反発を感じる可能性もあるでしょう。一方で、日本社会の持続可能な未来を考える上で、このような議論は非常に重要です。個人として、また社会として、どのようにこれらの課題に立ち向かっていくべきかを考える契機となり得るため、多くの人々に読まれ、討論されるべき内容だと感じました。

全体として、エッセイは日本社会における緊急の問題点を指摘し、具体的な解決策へと導くための一歩として機能しています。そのため、多くの社会人や政策立案者にとって有益な洞察を提供していると言えるでしょう。
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文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2024/12/11 12:00 am

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