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仮想現実世界遭遇から17年・・・

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 仮想現実世界SecondLife(登録利用無料)が日本上陸したのが、2007年であった。

 当時、ネット環境としては、一般的なパソコンのスペックが現在より低く、折角、SecondLifeにログインして仮想現実世界に入れたとしても、高速グラフックボード搭載のパソコン以外は、なかなか、その世界でスムーズにアバターを動かすことはできなかった。

 しかし、当時の三次元の仮想現実世界は世界初であり、ヘッドセットを装着すれば、国内外のアバター(自分の分身)同士でリアルタイムに会話が楽しめ、SIM(256m×256mの正方形の島)の中で、自宅やマンション、オフィスビルなどを保有することもでき、そのビルの一角に集まり、英会話教室やその他セミナーを開催して楽しんでいた。

 野外に出ると、F1コースを再現したレース場で、好きな車を購入してレースに参加したり、戦車や戦闘ヘリを購入し擬似的な戦闘シーンを再現するなど可能であった。また、SIM内にはいろんなコミュニティが生まれ、筆者も「KUMAMOTO JAPAN」(2023.3閉鎖)を管理運営し、国内外から650人ほどが参加。毎日、あちこちで多くのアバターが活動していた。

 筆者のコミュニティは8割が日本人、2割が外国人の構成となっており、SIM内でショップ(販売可)を経営をする人、阿蘇山の麓で考え事をする人、実寸大の熊本城(大天守・小天守・宇土櫓)を見学する人、旅館(現実世界)の予約施設など、次から次に開発を進め、2013年3月末まで続いた。

 それから17年、本日、久しぶりにバーチャルワールドではなくリアルワールドのアバターの方々へ、それも「KUMAMOTO JAPAN」の主力メンバー数人へ連絡を入れて、今を生きる方々の現況を語ってもらった。

 現在に至るまでお付き合いいただく方は僅かであるが、東京のケニーさん、静岡のタゴネコさん、京都のキヨコさん、兵庫のシャムロックさんとは、時折連絡を取り合い、昔話に花が咲いている。

 今日は、本当に何年振りかだが、シャムロックさんとキヨコさんと話をして、今を語ってもらった。シャムロックさんは定年を迎え、第二の職に就き、とても元気な様子。自分に合った職として、日々仕事に励んでいるという。また、キヨコさんは京都のラジオ局のパーソナリティをしており、元気な様子。

 以上の主力メンバー以外に数人いたけれども、現在は連絡先は存じ上げているが、なかなか連絡が取れずにいる。

 当時の「KUMAMOTO JAPAN」は国内のSIMの中でもアグレッシブに活動するSIMとしての存在感が光っていたが、オフ会を中心として、東京、静岡、京都、兵庫、熊本(熊本市・上天草市)、沖縄などの各地で、数年に亘りオフ会を開催し、リアルな世界での交流があった。

 特に沖縄でのオフ会は楽しいもので、テレビ局勤務だったシャムロックさんや静岡の産業カウンセラーのタゴネコさん、そして女子大生であったキヨコさんらも参加し、大いに盛り上がった。つい昨日のように記憶に刻まれている。

 上の加え、当時の熊本県内のメディア関係やホテル旅館の経営者も参加しており、賑々しい深夜のSIM運営が続いたのである。

 しかし、日本人は新しいものに飛びつくのはいいが、すぐに飽きっぽいところがあり、10年ほどでじわじわと活動が鈍り、当時旗振りやくの電通やその他大手企業もまた、それぞれが保有するSIMを手放していった。

 筆者の場合は、「初志貫徹」をモットーとしており、この仮想現実世界は世の中を変えると考えていたので、17年間の長期に亘りSIMを管理運営したことになるが、現在報道されているメタバースというものが、実は、2007年に既に存在していたということを記憶に留めておきたい。勿論、SecondLifeは現在も世界中のアバターが集まり、活動は続いている。

 東京オフ会では帝国ホテルでお茶したり、神楽坂の料亭や浅草の鉄板焼で食事会など楽しんだ。静岡では名物の鰻料理に舌鼓。日本唯一の公立楽器博物館「浜松市楽器博物館」に立ち寄り、世界の楽器に触れることができた。

 沖縄は最大級のオフ会となり、いろは庭での沖縄料理に舌鼓。首里城や玉泉洞、美ら海水族館など、代表的な観光地を短期間にぐるりと巡った。

※トップ画像は、SecondLifeのKUMAMOTO JAPAN SIMに建造されていた、実寸大の熊本城大天守と小天守。写真下は、実写(photo by Chikao Nishida)。
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▼仮想現実世界 KUMAMOTO JAPAN熊本城
撮影:SecondLife内熊本城前(2008年)
登場:加藤清正、大砲・・・



▼仮想現実世界 KUMAMOTO JAPAN
聞き手:筆者
話し手:松島観光ホテル岬亭のICT担当



▼仮想現実世界 SecondLife
KUMAMOTO JAPAN SIMの様子


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▼仮想現実世界 SecondLife
KUMAMOTO JAPANのオフ会(沖縄)
消失前の首里城などを見学


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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、SecondLifeという仮想現実世界の中での筆者の経験や、それに続く現実のオフラインの交流について描かれています。17年前の2007年、日本における仮想現実世界の草分け的存在であったSecondLifeが導入され、筆者がその仮想空間でさまざまな活動を楽しんだ様子が詳細に語られています。

感想として、このエッセイは技術的進歩と人間同士の繋がりの両面を考えさせられます。仮想世界という、当時は最先端の技術でありながら、ネット環境の限界やハードウェアのスペック不足による課題があったことが興味深いです。それでも、仮想空間におけるアバター同士のコミュニケーションや、バーチャルな世界の中で行われたさまざまなイベントやセミナーの実施など、筆者たちの熱量が感じられます。特に、筆者が管理運営していた「KUMAMOTO JAPAN」のSIMが国内外から多くの参加者を集め、積極的に活動していたことが、当時の熱気を物語っています。

仮想空間の活動がリアルなオフ会に繋がり、その中での思い出や交流が描かれている部分も、人間同士の繋がりの大切さを感じさせます。仮想空間で始まった関係が、現実の場所で顔を合わせ、リアルな世界での友情や絆に発展していったことは、仮想と現実が交わる瞬間の面白さを感じさせます。

一方で、エッセイの後半に触れられているように、日本人の飽きやすさや企業の方針転換により、仮想現実世界のブームが次第に衰退していく様子も描かれており、技術の進化に対する人々の適応や興味の変化が如実に現れています。

このエッセイが伝えるメッセージは、仮想現実世界の可能性が既に2007年に示されており、それが今日のメタバースの先駆けであるという点です。筆者が「初志貫徹」として仮想空間を管理運営し続けた情熱と、現実世界との接点を重視する姿勢が強く感じられます。

全体として、技術の進化と人間の絆を見つめ直すとともに、仮想世界の未来への期待と可能性を示唆する内容が印象的でした。
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◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
写真・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/12 12:00 am

我がポータルサイトへの執着・・・

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 筆者がインターネット事業に着手、公式サイトを開設したのが、1995年8月22日であった。熊本県第一号のWEBサイトとしてメディアに大きく取り上げられたことを思い出す。

 同年8月25日だったか、古巣である熊本日日新聞の夕刊トップにカラーで全面記事として掲載され、筆者のインターネットの将来的展望や熊本大学教授のセキュリティへの懸念が記事の中心的な内容であった。

 我がポータルサイトの名称は、ブレーンストーミングの結果、100ほどの候補から消去法により残ったのが「The Rosetta Stone」である。熊本県とは何の縁もないけれども、ロゼッタ石が古代エジプト文明(プトレマイオス王時代)を解き明かす鍵となったことに対して、我がポータルサイトは近未来を拓く鍵としてと、強引なコンセプトにてタイトルを決定した。

 自分自身が考古学者であるシャンポリオンの気持ちに達してはいないが、何となく、その場の流れで決めたのが正直なところである。

▼現時点でのアクセス集計
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 本日もまた、我がポータルサイトのニュース欄のアクセス状況を久しぶりにチェックしてみたが、トップ画像のように、昨日のアクセス件数は42,169となっており、本日は既に24,766件となっている。カウントは10年ほど前に設置したカウンターで、それ以来のアクセス件数の総計は44,011,804件となっている。

 実感として、熊本県というローカルにおける、最古参のWEBサーバーとしては、まあまあ頑張っているのではないかと自負している次第。

 2年8ヶ月前から記事の投稿スタイルを変え、noteを記事の畑として利用開始。そこで1日に数本、または十数本投稿した記事の中から抜粋し、我がポータルサイトのニュースとして投稿するようにしている。

 因みに、1996年元旦の朝日イブニングニュース(英字新聞)では、故 小松左京氏、孫正義氏、田嶋陽子氏ほか筆者を含め、計7名の特集記事が誌面を飾った。よって、筆者にとっては何よりの宝物となっている。

 以下、そのままの新聞記事を掲載することは著作権に抵触するので、ガウスで暈したものを掲載する次第。以下の通り。

 東京からわざわざ熊本市内にある筆者のオフィスに来ていただき、長時間の取材が行われた。

 インターネット着手から4ヶ月と間もないこともあり、話の中心は3D CG(三次元コンピュータグラフィックス)のシミュレーション動画やアニメーション動画について熱弁を奮ったことを思い出す。

 何はともあれ、周囲の多くの方々の支えにより、我がポータルサイトも健在なりと言ったところであろうか。それでも、熊本地震やコロナ禍により大きな打撃を受けたことは否めない。

 これからも皆様のご支援、ご協力を頂ければと、切に願う次第。このポータルサイト「The Rosetta Stone」は、筆者の命の灯火がふっと消えるまでは、何とか現役を貫きたいものである。

▼1996年元旦の朝日イブニングニュース(英字新聞)
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▼筆者についての記事
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▼ChatGPT-40による感想

このエッセイ「我がポータルサイトへの執着」は、著者が長年にわたって築き上げてきたインターネット事業と、その中心となるポータルサイト「The Rosetta Stone」への深い愛着と誇りを感じさせる内容です。

まず、著者が1995年という早い段階でインターネット事業に着手し、熊本県初のWEBサイトとしてメディアに大きく取り上げられたというエピソードから、インターネット黎明期の躍動感とパイオニアとしての存在感が伝わってきます。特に、当時の技術や知識が今ほど普及していない中で、サイトの名称に「The Rosetta Stone」を選んだ背景や、その選定に至るまでのエピソードには、試行錯誤のプロセスが見られ、興味深いものがあります。ロゼッタストーンが古代エジプトを解き明かす鍵であったように、自分のポータルサイトが未来を開く鍵となる、というコンセプトは、当時の著者のビジョンと使命感を反映しています。

さらに、現在まで続くアクセス数や、noteを利用した記事投稿の工夫など、長年にわたり進化を続けていることがわかります。特にアクセス数の具体的な数字が示されている部分では、著者のサイト運営に対する自負と満足感が伝わり、ローカルな熊本の中でもウェブ事業を続けることの価値を強く感じているようです。

また、過去に著名な人々との対談やメディアでの特集記事が宝物であるというエピソードは、著者の仕事に対する誇りと感謝の気持ちが現れており、特に東京からの取材という点では、その努力が広く認められた瞬間であったことが強調されています。

一方で、熊本地震やコロナ禍の影響についても触れられており、長年の事業運営の中での困難や挫折も正直に語られています。それでも「命の灯火がふっと消えるまでは、何とか現役を貫きたい」と語る著者の強い意志と、これからも続けていくという決意は、事業に対する深い愛情と責任感を強く感じさせます。

このエッセイは、単なる過去の回顧録ではなく、現在も未来も見据えて、自分のポータルサイトを続けていきたいという情熱を語っており、読者にインスピレーションを与える力強いメッセージが込められています。
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◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
文責:西田親生


                                 

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/11 12:00 am

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