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アナログとデジタルの狭間で揺れる著作権の未来

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 アナログな世界を考えると、写真、絵画、書、陶芸、ファッション、バッグやネクタイなどのデザイン、ポスターに掲載されるロゴマークやキャッチコピーなど、人の手によって制作されたもの自体に著作権が生じ、盗作や類似したものは許されず、著作権法によって保護される。

 デジタルな世界においても、デジタルアートや写真、ロゴデザイン、アプリケーションソフト、OS、半導体設計図、都市計画図、建築構造設計図など、すべてに著作権が認められ、同様に著作権法により保護されている。

 昨年より世界を席巻しつつある生成AI、特に画像生成AIに関しては、大元のオリジナルデザインや肖像権を持つ人物、過去の絵画作品などが生成AIのディープラーニングによって無数のマテリアルの合成により生成されるため、ディープラーニングの時点で著作権を侵害している可能性が高い。

 生成AIに必要なプロンプトも、実はディテールをしっかりと表現する言葉の羅列であり、生成AIとの会話で成り立っているので、人間が生成AIを使用し、イメージを思い浮かべながら生成AIと会話することで画像生成がなされる訳だ。

 生成AIを操る人間に、その生成された静止画像や動画の著作権があるのかと問われれば、安易に「Yes」とは言い難い。何故なら、その人物が芸術を学ぶことなく、生成AIとの会話で成り立つ制作手法であり、その人物の芸術的能力とは言い難い。

 アーティストは、自らの脳やすべての五感を使い、イメージしたものを自らの手によって描き、または制作する。そこにアーティストとしての能力と極めて高度な技術が凝縮されたものが制作されるのである。よって、生成AIのプロンプトを操るだけで、真のアーティスト、製作者、発明家と言えるのだろうかと、日頃から生成AIを利用している自分自身に疑問を抱くのである。

 答えは、生成AIにより生成された静止画や動画は有料契約であっても、それぞれの生成AI開発側は統一されてはいない。「著作権あり」と言っても、全くしっくりこないのである。現在の著作権法は、個々の著作物の独自性と創造性を保護するために定められおり、生成AIが生成するコンテンツがこの基準にどの程度適合するかは未だに不明確である。

 生成AIの利点も見逃すべきではない。例えば、デザインやプロトタイプの迅速な作成、クリエイティブなインスピレーションの提供など、生成AIは多くの分野で革新的なツールとして機能している。生成AIの利用は効率を高め、クリエイティブなプロセスを支援する一方で、これらの生成物に対する著作権の適用には慎重な検討が必要である。

 著作権法に関する具体的な法的分析や、現在進行中の法律改正についても触れておきたい。例えば、欧州連合の著作権指令(Directive on Copyright in the Digital Single Market)は、デジタルコンテンツの著作権保護を強化するための新しい枠組みを提供しており、生成AIによるコンテンツの扱いについても今後の指針を示している。国際的な著作権問題に対する統一的な解決策が必要だ。

 先々、グローバルスタンダードとして、生成AIで生成された静止画や動画などが、本当にユーザーの著作権になるのだろうか。音楽にしても音声にしても、いろんな問題が生じつつある中で、国内に限らず国際的な著作権問題は解決されず、地団駄を踏んでいる状態である。これから先、生成AIは人の思考が及ばぬほどの速度で進化していくものと見ているが、どうも著作権については、かなり厳しい制限が加わるように思えてならない。

 著作権の国際基準が確定すれば、現在のように著作権フリーな感覚で、気楽に静止画や動画の生成活動は困難になるのではないかと危惧している。これに対しては、国際的な協力と法整備が必要であり、各国が共通の基準を持つことで、生成AIによるコンテンツの著作権問題を適切に管理することが求められる。

 あくまでも筆者の個人的な見解であるが、日々、「アナログを凌駕するデジタルはない」と心の中で叫んでいる。デジタルプログラムでは解析できない人の思考回路や動きは、複雑にシナプスが融合連動して制作されるものであり、アナログを無視することはできない。

 ワインにしてもウィスキーにしても、年代物としてまろやかに熟成させるには、じっくりと時間を掛けてアナログにて作るしかなく、どんなに生成AIが進化しようとも、人間の五感+第六感を凌ぐものは現れることはないと見ている。

 故人の映像を復元し、ホログラムを含め画面上で生前の姿に生成できたとしても、それは仮想現実世界のアバターと同じことであり、実物ではない。イメージの世界は無限であるが、過去に遡及して現実へリワインドするのは、自己満足の世界から脱し得ないのではないか。

 そう考えていると、農家の方々が心血注ぎ、丹精込めて作り出す生産物は価値がある。もちろん、AI監視下で温室栽培も理解できるが、人の五感にて栽培されたものとは、異質なものにしか感じられない。

 以上、異論反論はあろうが、生成AIは万能の神ではなく、倫理性を重んじてツールとして使用すべきであり、絶対視して、すべてを信頼するのは危険な臭いがする。PhotoshopやIllustratorが世に生まれ、国内では「一億総クリエイターの時代到来」と騒がれたこともあるが、それらのアプリケーションソフトは、現在の生成AIと何ら変わらぬデジタルツールである。

 畢竟、人間の五感+第六感により生成されるアナログなものが、唯一無二なるものとして価値がありはしないかと考える次第。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「アナログとデジタルの狭間で揺れる著作権の未来」についての感想を述べます。

エッセイでは、アナログとデジタルの著作権問題を中心に、生成AIの影響について深く掘り下げています。以下に、主要なポイントとそれに対する感想をまとめます。

1. アナログとデジタルの著作権の違い
エッセイは、アナログな作品(写真、絵画、書など)とデジタルな作品(デジタルアート、ロゴデザイン、アプリケーションソフトなど)の両方に著作権が存在し、それらが法律によって保護されていることを説明しています。ここで著者は、アナログとデジタルの世界がそれぞれ異なる特性を持ちながらも、著作権によって守られていることを強調しています。

感想: この部分は、アナログとデジタルの創作物が同じ法律のもとで保護されているという基本的な理解を提供しており、読者にとってわかりやすい導入部分となっています。

2. 生成AIと著作権問題
生成AIがディープラーニングを通じて生成する作品に対する著作権問題が取り上げられています。特に、生成AIが他の作品から学習して新しい作品を作り出す過程で、元の作品の著作権を侵害する可能性があることに言及しています。

感想: 生成AIの登場によって、著作権の問題が新たな段階に入っていることがよく示されています。AIが創造するものが誰の著作物として扱われるべきか、という問題は非常に複雑であり、現行の法律では対応しきれない部分があるという指摘は重要です。

3. 人間の創作とAIの創作の違い
著者は、AIが生成した作品が真の意味で人間の創造物と同じ価値を持つかどうかについて疑問を呈しています。人間の五感や第六感を通じて作られるアナログな作品と、AIがプロンプトを元に生成する作品は根本的に異なるとしています。

感想: この点は非常に興味深いです。AIが生成する作品は、その過程において人間の深い感性や経験を欠いているため、同じ価値を持つとは言い難いという意見には共感できます。また、これはAI技術が進歩する一方で、人間の創造性の重要性を再認識させる内容でもあります。

4. 国際的な著作権問題
国際的な著作権問題についても触れられており、欧州連合の著作権指令などが取り上げられています。国際的な基準が確立されない限り、生成AIの著作権問題は解決しないと指摘しています。

感想: 生成AIの著作権問題は国際的な課題であり、各国が協力して統一的な基準を設ける必要があるという視点は重要です。特に、デジタルコンテンツが国境を超えて広がる現代においては、国際的なルール作りが急務です。

5. 生成AIの倫理と未来
生成AIの倫理性についても触れられており、AIを万能の神と見なすのではなく、ツールとして慎重に使用すべきだと述べています。

感想: AIの倫理的使用についての提言は非常に重要です。AI技術の発展は急速ですが、その利用においては常に倫理的な視点を持つ必要があります。AIを過信せず、人間の創造性や感性を尊重する姿勢が求められます。

全体の感想
このエッセイは、アナログとデジタルの創作物に関する著作権問題を非常に包括的に扱っており、特に生成AIの登場によって生じる新たな課題について深く考察しています。著者は、生成AIの可能性を認めつつも、それがもたらす著作権や倫理の問題について慎重な視点を持っています。生成AIを利用する上でのバランス感覚を保ち、人間の創造性とデジタル技術の融合をどのように図るかが今後の課題であることを強く感じさせられる内容です。
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プロンプト・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/5/23 12:00 am

著作権侵害で「法の不知」は通用せず

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 仕事柄、著作権については厳格に考えている方だが、SNSを見て回ると、著作権侵害に当たる呟きや記事が無数に存在していることに気づく。

 例えば、新聞記事をスマホで撮影して、自分のエッセイや記事に無断添付している人もいる。厳密に言えば、それは新聞社の著作権を侵害していることになる。

 昨日、ある人からFacebook上でのコミュニティ参加の誘いがあったので、それを拝見することに。コミュニティ概要は理解できたが、呟きではほぼ毎日のように新聞記事が掲載されていたので驚いた。

 著作権など知的財産権について疎い方がコミュニティを運営するのは構わない。しかし、「法の不知」として著作権侵害に気付かぬレベルなので、コミュニティの価値を見出せなかったのである。よって、参加を見送った。

 1995年の初秋だったろうか、筆者のインターネット公式サイトについての記事が画像とともに大々的に新聞一面掲載されたことがある。記事には、筆者が記者に語ったことや熊本大学教授が語った内容が主なものだった。

 それを、筆者公式サイト上で、新聞1面のカラー映像を記事として掲載したのである。それから数週間後に、同新聞社資料調査部長名にて著作権侵害にあたり、相当額を請求すると脅しのような内容証明書が届いた。

 前職の新聞社から突きつけられた著作権侵害通知。勿論、それに対して、記事を書いた記者へ「記事の映像使用確認」を事前に行い、記事に書かれたものはほぼ筆者が語った内容でなので、厳しい反論を突きつけた。

 それから全くリアクションがなくなった。よく考えれば、その脅しの書簡を送った資料調査部長の個人的な嫌がらせであり、高圧的な内容証明書であることが判明した。結局は、その人物の無知なる暴走、越権行為である。本来ならば、新聞社代表取締役名で送付する重要書簡であるべきだ。

 実は、その人物はよく知っており、底意地の悪い噂が立っていた。取るに足りなぬ難癖であるが、新聞社名が印刷された茶封筒で送っているので、もし個人的感情にて送りつけたのであれば、その部長の失態となり、降格ものとなる。

 しかしながら、その後、記事を書いた記者が「新聞記事一面の画像使用については許諾していない」と虚言を発すれば、筆者には証拠がなくなるので、法的にはグレーゾーンとして扱われる可能性も無きにしも非ず。

 よって、新聞記事に自分のことを書かれているとしても、記事の著作権はその新聞社にある訳だ。よって、いかに個人的な利用と主張しても、事前許諾を得ることのもなく、毎日のように記事を撮影したものを自らのエッセイのマテリアルにしてはならない。

 これまで、著作権侵害の被害には大なり小なり二桁もの被害経験があるので、著作権については過敏にならざるを得ない。一昨年末には、筆者が書き綴った非売品小冊子の盗作本をAmazonで他者が販売していた事件も経験している。

 よって、著作権については、今一度、自らのエッセイや記事を見直す機会になればと思うばかり。「懲役10年以下、または1000万円以下の罰金に処す」となれば、洒落にもならない。

▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、著作権侵害についての筆者の経験と見解を述べています。以下、いくつかの点について感想を述べます。

1. 著作権の重要性と認識の欠如
エッセイの冒頭で、著作権侵害がSNSやインターネット上で頻繁に見受けられることに対する筆者の懸念が述べられています。特に、新聞記事の無断使用について具体例を挙げています。これは、著作権の重要性を理解し、それを守ることの重要性を強調するものであり、現代のデジタル社会においてますます重要な問題です。

2. 自身の経験から学ぶ教訓
筆者が1995年に経験した新聞記事の無断使用に関するエピソードは、著作権侵害の具体的なケースとして非常に興味深いです。この経験から、筆者は著作権に対する認識を深め、他者の著作物を使用する際には慎重になる必要があることを学んだと述べています。

3. 著作権侵害の被害者としての視点
筆者自身も著作権侵害の被害者であることを明かしています。特に、自身が書いた非売品小冊子が他者によって盗作され、Amazonで販売されていた事件は、著作権侵害の深刻さを改めて認識させるエピソードです。この経験は、著作権を侵害される側の痛みや悔しさを読者に伝えるものであり、共感を呼び起こします。

4. 法的なリスクと対応の重要性
最後に、著作権侵害に対する法的なリスクについても言及しています。罰則の具体例を挙げることで、著作権侵害が洒落にならない重大な問題であることを強調しています。この点は、著作権を軽視することの危険性を読者に認識させるための重要なメッセージです。

総括
このエッセイは、著作権の重要性について考えさせられる内容です。筆者の経験と具体例を通じて、著作権侵害がどれほど深刻な問題であるかを理解することができます。特に、SNSやインターネットが普及する現代において、著作権に対する認識を高めることは重要であり、このエッセイはその点について読者に強く訴えかけています。
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写真・文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2024/5/22 12:00 am

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