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庶民を洗脳するための、『質素倹約』!?

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 幼い頃から耳にタコができるほど聞かされた、『質素倹約』。これは、『贅沢をせず、慎ましくして、出費を可能な限り少なくする。』と言うことである。

 それが、日本国民として賢明なる考え方、模範的生活感だと習ってきたが、はて、一回きりの人生にて、庶民だけが何故に『質素倹約』を植え付けられ強いられるのか。血税にも耐え難きを耐え、お国のために、薄給にて重労働をしなければならないのか。疑問符が無数に脳裏に飛び出してくる。

 業種によっては、ホワイトカラーとブルーカラーと勝手に差別化したり、国政に携わる議員が高級料亭の一室にて密談を繰り返すのが正しい姿なのか、都知事が外遊にてスーパーシートを使うのが美徳なのか、妙な話である。元から職業差別を堂々と行っている国家体制の中には道徳問題が山積している。

 また、昔から『弊衣破帽の精神』という言葉も庶民に植え付けられ、庶民は苦学が当たり前であり、バンカラ、高学歴こそを称賛していた時代があるが、何とも理解し難い。このような洗脳用語がわんさと存在するところに、何とも解せないのである。

 バンカラよりもハイカラの方がずっと清潔で、民度高き国民ではなかろうか。勿論、贅沢三昧も度が過ぎれば如何なものかと思うが、庶民に対して、当然の如く、貧乏を強いる国家の仕組自体に問題提起すべきが議員の責務でありはしないか。

 物の本に、「大政奉還を経て国体が変わり、当時の大名屋敷などを接収した人間の末裔が、現在のセレブになっている。」と史実を述べていた。火事場泥棒のような人間が、セレブのご先祖となれば、それは失笑しかない。

 「貧乏人は麦を食え!」と言った内閣総理大臣もいれば、プラダなどの高級ブランドシャツを好む宇宙人のような内閣総理大臣もいる。また、全国の市町村へ1億円をばら撒いた内閣総理大臣もいる。

 古来から、庶民は貧乏で当たり前。その貧乏人から血税をヒルのように吸い取る仕組みが国家となれば、その辺の独裁国家と全く変わりはしない。日本国民が大人しめの人種であるからこそ、クーデターも起きないだけの話。

 最近、いつもの事ながら、内閣の綻びの象徴である、『大臣更迭』が続いている。『大臣』としての資質がないから、『更迭』となる。これまた、当たり前の話である。元から履き違えしているからこその結末に過ぎない。

 ご存知の通り、『VIP』とは、『Very Important Person(要人)』の略。しかし、人格欠損しているような人物を、果たして『VIP』と呼び、取扱厳重注意とすべきなのか。答えは、『否』である。パブリック・トランスポーテーションのチケットを購入し、勝手に動けば良い。

 戦前も戦後も、現代も古代も、全く変わらぬ『人種差別』の存在。大名屋敷を盗んだ人間の末裔が私財を成しているのだから、それが政治と結びつけば、『金権政治』になるのも当然のこと。

 しかし、このような歪み切った国体にしたのは、有権者の我々であることを忘れてはならない。政治家に安易に世襲制を求めた我々の、政治に対する『無関心』が全てを歪めてきたのである。

 民主主義の本来の素晴らしさは『少数意見の尊重』にあるが、目の前の決議案は全て『絶対多数』で完結している。どこに、『少数意見の尊重』があるのかと言えば、稚拙なる野党側の『難癖』程度となる。

 これも、物の本に書かれていたものだが、『日本は戦後に社会主義国家として大成功を収めた唯一の国である』が、何とも情けなくもあり、我々庶民を愚弄した言葉であろうかと思うばかり。

 日本国民の一人の命を大切にする発言は、虚言ばかり。聴くと雖も、実行力のなさが目立つ現政権。欧米他国の大統領や首相と比較すれば、全く華がない。常に後手後手で、コロナ禍も3年前を凌ぐ勢いだ。

 地方においては、国会議員は偉い人ではなく、威張る人ばかり。平身低頭なのは選挙中のみであろうか。口利きを最大の武器として、諸団体の理事長を歴任し、興味は『利権』のみとなる。それを、既述の通り、世襲制にて受け継がれて行くのだから、『既得権益者』が暗躍するといった悪循環となってしまう訳だ。

 ここまで根腐れを起こした日本を変えることができるのは、唯一、今の若者たちである。近未来の国家観をしっかりと見据え、『勧善懲悪』をもって、これまでの『既得権益者』の利鞘の根源を根本から刈り取ってしまわなければ、如何に口で『改革』、『改善』と言っても、何も具現化することはない。

 今、世界が激しく動いている。その潮流の中で、理不尽なるものを炙り出し、『日本は戦後に社会主義国家として大成功を収めた唯一の国である』と揶揄されぬよう、徹底して、国政へ全天球方位にてメスを入れるのがメディアや我々庶民の責務ではなかろうか。
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書・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2022/12/31 12:00 am

『利他の精神』は、世の中を平穏に。『利己の精神』は、世の中を不穏に。

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 人と人との接点において、天秤に掛けては、自らの利益ばかりを求める人の方が多いに違いない。よほど神的仏的存在でない限り、『利他』を生涯全うすることは容易くはない。

 先ずは、人の立場になってよく考えること。酷く凹み切って困り果てている人を助ける。自らが力不足であれば、知人友人へ救援を頼む。

 古き昭和時代と雖も、『向こう三軒両隣』と言い、近所の向かいの三軒、そして我が家の両隣には、独特の『利他の精神』が存在し、互いに困っている時に支え助け合う関係が成り立っていた。

 現在は、マンションであっても、新興住宅地であっても、『向こう三軒両隣』が昔のように成り立つところは皆無に等しい。最悪の場合、向こう三軒も我が家の両隣も、どんな人が住んでいるのか知らぬことが多い。

 筆者も御多分に洩れず、両隣は貸家になっており、挨拶に見えたことは記憶するが、具体的にどのような仕事をされているのか、家族構成がどうなのかは、判然としない。

 向こう三軒も、朧げながらに隣人の職業は知り得ているものの、日頃から双方の生活時間が合わず、数ヶ月に一度ほど立ち話程度の接点しかない。筆者は最古参の住人の一人だが、新しく入居される方との距離は、次第次第に遠のいて行く。

 或る日のこと、大きなタラバガニが贈ってきたので、全部食べれないと思い、隣人の方々へシェアすることにした。しかし、そのカニを受け取りながら返ってきた言葉が、「いつも、こんなに高級食品を食べられてるんでしょうね!?」と。意外な反応に愕然とした。

 勿論、取材ではちゃんとした物を撮影し試食するが、普段、腹が減れば、カップヌードルも、レトルトカレーも頬張りながら仕事をしている自分がいる。夜食となれば、冷蔵庫を漁り、残り物に手を加えて、おじやにしたり、目玉焼きを上に乗せたり、当然の如く、庶民らしい生活である。

 『利他の精神』と一口に言っても、これは筆者のような庶民が一朝一夕に会得できる精神ではない。考えれば考えるほど、自らの半生において納得できぬことが多く、猛省ばかりとなってしまう。

 人様が『寸志』と言われても、頂くものは感謝して、しっかりと食し、その感想なりを届けるのが、頂いた側の礼儀である。「こんなに高価で美味しいものを他人の私に差し上げるよりも、自分で楽しめば良いのに!」と思うこともしばしば。

 筆者が知り得る人の中で、『利他の精神』をお持ちの方は、五人ほどいらっしゃるが、決して、贅沢三昧をされるような似非セレブではない。自らが大変な時でも、ポーカーフェイスにて、人助けをされている方々ばかりだ。

 よって、筆者ごときが『利他の精神』について語るべきものではないが、庶民の一人として思うことは、他人の幸を真剣に考えられる人は、神様仏様の次元にて、現実世界を超越したところに立たれているということだ。

 そのような方々を考えていると、これまで体験してきた『諍い』が如何に小さなものであるかと、恥ずかしくもあり、赤面ものとなる。

 多くの人は、自らの施しに対して見返りを求めてしまう傾向がある。しかし、そこが根本的に異なるのが、『利他の精神』をお持ちの方々である。決して見返りを求めず、自然体にて他人の幸を祈る方々である。

 人生、三分の二を過ぎた筆者であるが、山頂の『利他の精神』に辿り着くには、気が遠くなるほど、果てしなさを感じてしまう。まだまだ未熟者であるが故に、試行錯誤ばかりの日々なのだろうと。

燕雀知らず天地の高さ
西田親生の自由気まま書
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書・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2022/12/30 12:00 am

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