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「明日は我が身!」・・・

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 日頃から、犯人ありきの事件事故や災害を遠目に見るべきではなく、常に「明日は我が身」として捉えることは重要で、それは「危機管理」の基本となる。「危機管理」さえしっかりしていれば、「不慮の事故」に遭遇する可能性は、極力抑えることができるというもの。

 大抵の人たちは、地理的距離に気を取られ、国内外の事件事故や災害を、「対岸の火事」であるかのように受け止めがちである。例えば、ストーカー被害のニュースがリアルタイムに流れていても、自分には直接無関係であると、他人事としか感じていない。時には「実質的に被害がないから無視しています」と淡々と話す人もいる。(これが、怖い)

 ところが、事件事故や災害は、思いの外、大なり小なり身の回りで繰り返し起きている。「いじめ」、「強盗殺人」、「ストーカー」、「窃盗」、「喧嘩」、「暴走」、「土砂崩れ」、「落雷」、「火事」、「コロナ感染」などが報道番組で流される。全て、余所事とは思えないものばかりだ。

 被害に遭いそうになったら、危険回避に全集中(緊急避難)すべきが初動の鉄則。呑気にスマホを撮ってSNSにアップしている暇などはない。足元を確認することなくスマホに夢中になっていると、滑落したり、二次被害に遭ったりと、最悪の場合、自ら命を落とすことになる。

 勿論、「いじめ」や「ストーカー」などの人為的な事件事故であれば、証拠固めは必須。微に入り細に入り、明白なる犯罪行為、つまり相手の挙動不審動画や嫌がらせメールなど、具に、時系列に、手元で整理保存し、警察へ提出する必要がある。 

 増えても減ることを知らない悪質な「煽り運転」については、車内前後のドライブレコーダーは必須である。大声で怒鳴り恫喝したり、人様の車を叩き壊したり、逮捕されるのが分かっていても、犯罪を繰り返す人たちは多い。恥ずかしさの境界線を逸脱した、狂った猿にしか見えない。

 その醜態そのものを全国ニュースで動画として放映されるのだから、恥ずかしいどころの騒ぎではない。普段から社会人として働いていた人間であれば、お先真っ暗な人生になってしまう。また、住んでいた所から出て行かざるを得ない状況に陥ってしまう。

 平穏無事なる生活環境が一番であるが、予期もせぬ事件事故及び災害に巻き込まれないためには、上記のように、日頃から「危機管理」の徹底をしているか否かを再検証しておかねばならない。

 ただ、家庭内暴力や近隣の嫌がらせ行為やストーカー行為については、非常に難しく曖昧な問題が存在する。それは、警察の「民事不介入原則」(警察が当事者間の法的な権利関係を裁定したり権利の実現に助力したりすることはできないこと)である。

 それを表に出されると、後日、被害(殺傷事件など)を確認して、本格的に警察が動くことになり、結局、皆さんがご存知の通り、死者が出たり怪我人が出たりした後の捜査となる。更に、子供虐待事件でも、児童相談所の機能不全であるが為に、殺傷事件が発覚して、大人気ない言い訳だらけの記者会見を目にするだけの話。

 何はともあれ、常に事件事故及び災害に対しては、予防的なものを含め、しっかりと身の安全を考え、日頃から慎重なる行動を採るべきであると考える次第。また、一人の素人判断で解決に走らず、信頼のおける知人友人の助けを借りて、可能な限り迅速に警察へ足を運び、積極捜査になるよう尽力すべきとなる。

 「明日は我が身!」・・・日頃から情報に耳を傾け、機敏且つ適切な行動を採ることが、危険回避の一番の近道である。


▼睡蓮と雨
suiren2022


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写真・文責:西田親生

                   

  • posted by Chikao Nishida at 2022/5/19 12:00 am

マンネリが進化を殺す

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 人間は、仕事にせよ趣味にせよ、ある程度できるようになると、そこで胡座をかき、スキルの伸びが止まってしまうことが少なくない。
 その状態が日々のルーチンワークとなれば、マンネリズムの典型的な症状が蔓延する。安堵感に浸り、面倒を避け、進化を検証しないまま、無意識のうちに惰性へと走ってしまうのである。

ICTを学ばない人々

 ICTを学んでみないかと促すと、「ワープロや表計算しか使わないから、これ以上必要ない」と言い切る人がいる。ビギナー程度のスキルを身につけただけで満足し、応用段階でのソフトとハードの連動を「不要」としてしまう。これでは進歩は望めない。

ゴルフの例

 ゴルフでも同様だ。レッスンを勧めると「100を切れたからもういい」と断る人がいる。ローレベルのスコアで満足してしまい、クラブやボールの進化、ウェッジの角度やスピン、シャフトの特性などを学ぼうとしない。だから、それ以上の成長がない。

料理人の例

 ある料理人に名物料理の開発を提案すると、「仕入れが高くつくから今のままでいい」と返ってきた。結果、行列ができるような店にはならない。腕が良いにもかかわらず、実に勿体ない話である。

写真の例

 カメラ撮影においても同じだ。「光の角度、構図、背景、露出補正、絞りを意識すべきだ」と助言しても、日の丸構図で無意識にシャッターを切り、粗雑な写真をSNSに投稿する。写真愛好家グループが、お散歩レベルの写真で埋まってしまうのは残念である。

日本語力の例

 ある人に「報告書や企画書が日本語として成立していないから勉強したらどうか」と言うと、「国語が苦手だから無理」と逃げる。日本人であれば正しい日本語を読み書き話す力を備えてこそ一人前である。それができなければ、外国語習得の下地すら整っていない。結果として、英語すらまともに話せない。(これは日本の歪んだ教育システムの影響でもある。)

「或る程度で満足」という風潮

 日本人は「一つのことを全うする」ことを美徳としがちだが、実際には「或る程度できたから安心」というレベルで止まってしまうことが多い。自己基準での「全う」に過ぎず、その実態は中途半端である。

二刀流と「器用貧乏」

 近年はスポーツ界で二刀流選手が注目されるようになったが、海外では昔から当たり前のことだった。日本では一つのことしかできない専門偏重型を「プロ」と称し、複数のスキルを持つ人を「器用貧乏」と揶揄する傾向がある。これは多様性を拒む姿勢の表れだ。

 かつてプロ野球とアマチュア野球の世界は完全に分断され、プロ選手によるアドバイスさえ禁じられていた。縄張り主義に固執した結果、国際レベルから大きく遅れをとったのである。

古い慣習が多様化を阻害

 戦後、日本は民主化に突き進んだはずだが、旧態依然とした古臭い慣習や既得権益者優遇制度は、今なお驚くほど多く残っている。

 現在、社会の大きな潮流となっている「多様化」は、それらによって阻害されている。この事実に皆が気づき、声を上げて変えていかなければならない。時代はすでに変わっているのだから。


TAYOUKAJIDAI


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  • posted by Chikao Nishida at 2022/5/18 12:00 am

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