▼こちらに耳を傾けている野兎

他人の話に耳を傾けて聴いてくれる人は、理解力があり、冷静な判断を行い、すこぶる的確なアドバイスなりサジェッションなりを常としている。他人の話を最後まで聴いている中で、話の内容に整合性があるのか否か、感情論に傾いていないかなどを、しっかりと見極め、最短最善の回答を与えてくれる。
人それぞれの性格にも左右されるが、慌て者は他人の話を数秒聞いて、根拠もない相槌を打ったり、初手から否定したり、全く会話が成り立たない状況を作り出してしまう。また、何事にも無関心な人は、他人の話が耳に入らず、他人が話している最中に、全く別のことを考え、絵空事のように無視する。
文章の場合も同様に、文才ある人は一言一句漏らさず眼を通し、書簡内容をしっかりと理解した上で、最良の答えを引き出し、返事を書く。ところが、面倒臭がり屋や慌て者、被害妄想癖のある人は、提案されている内容を、攻撃的な批判や難癖と決め込み、大変無礼なるリアクションに終始し、自滅する。
「聴く」と「聞く」とは異なり、上で「聴く」と「聞く」を、敢えて使い分けているのはお分かりかと。姿が見えない電話でも、相手が「聴く」スタンスなのか、単に「聞く」スタンスなのか、声帯の響きや抑揚にて、大抵把握できる。本日、市内在住の某氏に電話をすると、残念ながら「聞く」であった。
文章も言葉のチョイスによっては、相手の心を傷つけることがあり、メールによるパワハラ事件も後を絶たないようだ。ただ、電話のような肉声となれば、文字よりも、感情が直接伝わるので、恨み辛み妬みを含んだ罵詈雑言を発すれば、心の傷は文字と比較にならぬほど、記憶に深く刻まれてしまう。
聴き上手な人は、懐が深い。聴き下手な人は、常に独りよがりで、自己中心的な人が多い。バルカン砲のように喋りまくる人は、のべつ幕無しに喋ること自体がストレス発散となる。だから、自己中な人と長時間話していたとしても、何も参考になることはないし、逆にストレスがこちらに溜まるばかりとなる。
これからは、特に、大切な方々との語らいにおいては、耳を傾けて「聴く」を実践されては如何だろうか。自身の心にも余裕ができ、尚且つ、相手との信頼関係がより大きなものに育って行くはずだ。相手の立場や現況をしっかり共有できれば、双方にポジティブ且つ円滑に物事が進む近道が見えてくるに違いない。
畢竟、人との会話において、「充耳不聞(じゅうじふぶん)」や「不聞不問(ふぶんふもん)」は、人として醜態を曝け出すことであり、善き人生において、絶対にお法度ということになる。
▼動物の耳は常にこちらを向いている








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