
他人との接点において、双方が「信頼関係」で結ばれるには、互いに胸筋を開き、本音をぶつけ合う事が必要だ。言葉の掛け合いであったり、文書の交換であったり、遠慮なく語れるコミュニケーション環境になって、初めて「信頼関係」が次第に太い綱となって行く。
よって、「私はあなたを信頼しています。」といった露骨で軽々な表現では、互いが「信頼関係」で結ばれることはなく、そこで「そうなのか!」と瞬間的に頷くものではない。互いの異なる半生において、「共通項」の地道な相互発見から生まれるものであるからだ。
人なるものは十人十色、千差万別。中には、互いに水と油であったり、不得手な相手だったりのケースも無きにしも非ず。ビジネスであれば、尚更のこと。仕事というオフィシャルな距離感にて、プライベートとは異なる次元で「信頼関係」を結ぶ必要がある。
しかし、仕事上知り合った人であっても、趣味という「共通項」が見出されると、より親密なリレーションシップが生まれ、プライベート領域での接点も次第に多くなって行く。そうなれば、仕事上でも「阿吽の呼吸」にて、全て円滑に動き出すようになる。
ただ、長い期間の接点にて育まれた「信頼関係」は、決して鉄壁、頑強、永劫とは言えない。何故なら、環境の急変だったり、片方の「裏切り」などの心変わりによって、脆くも、瞬間的に崩れ去るものであることを知るべきとなる。
つまり、折角築かれた「信頼関係」が永遠不滅ではないと思う人が圧倒的に多いのは、周知の事実。疑心暗鬼に陥り、心から人を信用せず、初手から「信頼関係」を結ばないのである。また、「敬愛の念」がない人たちも、「信頼関係」からは縁遠い。
畢竟、「信頼関係」を結ぶには、相手の育ちなり、性格なりをじっくりと見据えて、「信頼に値する人」であるか否かを判断すべきとなる。そこで、周囲の根拠なき「誹謗」や「揶揄」が邪魔する事もあるが、直に自分の眼でしっかりと確かめる事が重要となる。
蛇足ながら、近場の人間で、右腕も左腕も不在にて、社員との「信頼関係」を築けない、裸の王様のような経営者を知っている。残念ながら、その心中には「敬愛の念」という言葉はなく、常に「人を見下すことが快感」といった悪辣な資質が、「信頼関係」を無き物にしているようだ。
▼記事と写真は関係ありません。(半高山の花々)





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