
近頃、よく思うことがある。それは、コミュニケーション能力に欠けている人が、思いの外、増えて来ていることだろうか。初手から懐疑的な思考に走り、相手の善意、真意、本音を理解しない己に、全く気づかない人である。
同類の人たちは、日頃からの挙動、言動は、常識の尺度を逸脱しパターン化しており、周囲の人たちへは希薄なリレーションシップのみで行動している点が共通している。平たく言えば、自分大好きで、周囲の知人や友人はどうでもいい訳で、協調性も達成感の共有など無意味だと思い込んでいる。
更に始末に負えないのは、基本の基本となる教養や常識がないところが、好循環たるものを全て腐らして、好機を逸する人である。それが何十年も気づきのないまま続き、特に地方の鳥黐(とりもち)のようなネットリとした慣習化したものに浸かっていると、殆どの人は、その泥沼から脱することができなくなってしまう。
よって、大都市部の人たちから「田舎者」と揶揄されるのだ。・・・掌に転ばされて、「騙された!」、「乗せられた!」と後から激怒するものの、何年経っても同じ繰り返しをしているだけで、悪玉菌に感化されている自分に気づいていないのだから、自業自得としか言いようがない。・・・日々、懐疑的な処理能力だけが発達し、クローズドな世界に収まってしまうのだろうと・・・。
クローズドな世界に収まり落ち着くと、視野狭窄という重大な病に侵されてしまう。箪笥と壁の隙間に入り込んだ猫のように、極端に視野が狭くなっている状態と言える。そこまで来ると、改善・進化という道は閉ざされ、不治の病となってしまう。
朱に交われば赤くなる、同じ穴の狢のように、上のような人たちが集まると、自ずと「無責任の連鎖」が生じて来る。己の発言に責任を持たぬ人たちが「伝言ゲーム」を連綿と繰り返す。畢竟、根拠のない虚偽の情報が蔓延し、加速度を増し外界へと発信されるという悪循環が、あちらこちらに渦を巻くことになる。
それが、今の世の中である。もし、子々孫々に受け継がれて行くとなると、取り返しがつかない時代となる。今の時代、一体全体、日本人はどこまで落ち込んで行けば気が済むのだろうか!?・・・昔は、「世直し侍」が沢山居たけれども、その存在さえ稀有の時代となってしまった。
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