
人の幸福感は千差万別。
食べ物で飛び上がって喜ぶ人、絶景を眺めながら絶叫する人、恋人と一緒に過ごすひと時にまったりする人、趣味に集中してニンマリする人、純愛小説を読み終えてウルっとする人、愛車を運転して心地よさに包まれる人、五つ星ホテルに滞在してゴージャスさにうっとりする人、家族の健康を確認してホッとする人・・・人、それぞれである。
それぞれに幸福感の色なり質なり深さなりが異なるが、その人なりに満足するものがあれば、それで十分幸福だと言える。
ここで、「幸」の語源を紐解くと・・・平たく言えば、「運良く自由である」ということになる。それが長い歳月を経て、現在の「幸運」とか「幸福」という熟語となっている。よって、現在は、人の心を思いのまま集中させ、更に、心を解きほぐしてくれるものが「幸」となる。例えば、都会の喧騒から逃れ、大自然の中に身を投じるのも、一つの「幸」となる。所謂、瞬間移動を行い環境を変えることで、リフレッシュできるという幸福感である。
人は、自分一人で幸福感に浸ることができる人も居るには居るが、その幸福感を共有することで、それは数倍増することになる。そこに、素晴らしい対人関係が介在すれば、もっと大きな幸福感を得ることが可能となる。畢竟、幸せ一杯の自分自身があれば、それは自然と言葉にも表情にも滲み溢れ、対人関係がより一層素晴らしいものへと育って行く。つまり、幸福感の共有があれば、相手も自ずから幸せになるというポジティブな連鎖反応が生じる訳だ。
日頃からの自分自身の背中をじっくりと客観的に見てみよう。背中を見て、笑い転げるほど楽しかったら、その人は「幸」を持っていると言える。・・・きっと、人を幸せにできる何かを持っていることに・・・。万が一、持っていないとすれば・・・先ずは、自分自身が「幸」を得るように、生き方を変えてみたらどうだろうか。それも、意地汚く、人を騙したり、人を見下したりの醜態を曝け出すような捨て鉢な手法ではなく、人を尊び大切にするベクトルで動かれては如何だろうかと。
「幸」とは、独占して自慢するようなものではなく、皆と共有して、はじめて「幸」となるものである。


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