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未完の二十五年(4)

▼SiliconGraphics Personal Iris

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起業して25年目の今、思うこと・・・

CG制作事業計画における大きな誤算

 1990年10月1日に、当社が事業開始した。マルチメディア事業の中で、本格的なCG動画供給を練っていた矢先のこと・・・眼の前にあるマシンは、Macintosh llfxやllci、llcxである。

 llfxには、ダイヤクェストアニマークのボード(64万円)を挿し、動画制作に取り組もうとした。出力は当時保有していたパナソニックのタイムコードジェネレータ搭載のSVHSビデオデッキである。ところが同期が上手く行かず、直ぐに頓挫したのだった。

 よって、CANON担当者と再度検討会を開き、ニュービスタ+という高額なボードを導入することにした。しかし、Macintosh llfxから出力したとしても、CGが動画に対応するものではなかったので、僅か1本のコマーシャルをワイヤフレームの動画として納品したに止まった。制作費は60万ほど。これじゃ、最初のボード代の元は取れたが、次に導入した200万円を超すボード代の回収なんぞ、全くできない状況となった。

 話は前後するが、CANON担当者も詳細を知らずに、ボードを見つけたようだが、図面通り接続しても同期せず、結局は、当時仙台にいらしたビデオ関連の詳しい人から、「その接続図は逆じゃないですか!?」との連絡が入り、やっと同期したという具合だ。しかし、全国でもMacintoshにニュービスタ+なんぞを導入した企業は皆無に等しかった。

 当時のMacintoshでは静止画のCGであれば、何とか本格的な立体画像が供給できるが、画面で完成したとしても、そのCGを出力しなければならず、更に、昇華型プリンタの導入をしなければならない。当時、三菱が昇華型プリンタでプロ仕様のようなものがあったので、即座に導入することに。しかし、200万円ほど予算を組む必要があった。

 色々と苦慮しながらセッティングに傾注して行った訳だが、どうも、私の望むようなCG制作とは、かなり異なるベクトルで動き出していることに気づいたのだった。

 年が明け1991年となり、東京へ足を運んだ時のこと。たまたま、有楽町の映画館でターミネーター2が上映されていた。液体水銀がプヨプヨトと動くCGの質感に腰を抜かしてしまった。映画終了後、PIXELという専門雑誌を手に取り、本格的なCGクリエイトマシンは、何が最適なのかを調べてみたのである。

 そこで行き着いたのは映像エキスパート軍団のイマジカグループだった。その関連会社がCG専門事業をしていると言う。直ぐに、同専務に面談のアポを取った。それから2ヶ月して、再度東京へ足を運び、同専務と再会し、長時間にわたり話し合いを行い、展示してあったマシンを指差し「これを、ください!」と言ってしまったのだ。それが写真1枚目のものだ。

 値札が見えないので、口頭で金額を聞いてみたら・・・な、何とSiliconGraphics Personal Irisが3200万円だと言う。Macintosh llfx本体と何やかにやで既に640万円ほど費やしたのに、その比ではなかったのである。

 そうしている内に、5月になってしまった。何とか導入したいSiliconGraphics。しかし、CGソフト「リンクス」が別に720万円。1台の怪物のようなマシンを入手するのに、導入教育費などを加えて、4500万円ほどになってしまうのだ。

 私は、本格的なCG制作を甘く見ていた。数百万でできそうな気がしていたが、大きな勘違い履き違い。導入当初から大きな誤算だった。それに加えて、イマジカの専務が心配していたことが生じた。それは、当社の第一回決算もできていない点だ。よって、リースが通るか否かの問題が生じる。(普通ならば不可)

 よって、6月に某リース会社の理事長宅に、日曜日の午後9時に足を運び入れ、午前零時までの3時間、滅茶苦茶な事業計画書を提出し、リースを通して貰うための、大プレゼンテーションを行った。

 起業して、僅か8ヶ月の弱小会社。とんでもないプレゼンだったが・・・翌日の月曜日の正午に、リース会社の理事長より「リースは理事会で通しました。よって、5年間大変厳しいでしょうが、しっかりと仕事を頑張って、リース料を完済してください。その約束を頂ければ、明日、午後から契約書をお持ちして契約に臨みます。」と。

 生汗ものだったが、その連絡を得て、間髪を入れず、イマジカの関連会社専務に電話で「リースが通りました。導入計画をよろしく願います。」と意気揚々に話したことを思い出す。

 しかし、それから5年間が地獄の毎日になるのかなど、全く予測もしていない私が居たのだった。(苦笑)


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▼SiliconGraphics Iris INDIGO
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【ディー・アンド・エルリサーチ株式会社公式サイト】 http://www.dandl.co.jp/dandl/Link

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2015/6/5 01:11 am

未完の二十五年(3)

▼写真はイメージ

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起業して25年目の今、思うこと・・・

インターネット前夜

 ディー・アンド・エルリサーチ社は、1990年10月1日創立だが、商用インターネットが日本上陸する以前に、既に、遠隔地の企業間通信事業に着手していた。よって、ネット黎明期の1994年にネット着手、翌年には自社サーバーを導入し、逸早く、商用ネット事業に踏み切れたのだった。

 インターネット前夜の我々の通信手段は、NTTのISDN64(B1、B2チャンネル)の回線だ。東京新宿の美容整形外科医院や滋賀県の事務機販売会社の2社と熊本市の同社とを大胆に繋ぎ、双方向デジタルデータ送受信システムを構築し、当時としては、画像や文書データの高速転送に挑戦していたのである。

 特に美容整形外科医院とのジョブは、「美容整形術後シミュレーション」として、「BEFORE & AFTER」を30分以内に画像処理することだった。同医院の患者さんの写真を、名前を伏せてISDNを介して同社に転送し、併行して担当医師から指示図がファックスで送られてくるというユニークな仕組み。

 例えば鼻の高さを数ミリ高くするという指示図通りに、患者さんの写真(原画)をPHOTOSHOPで加工し、直様、術後シミュレーション写真として、美容整形外科へ画像を転送するというものだった。よって、当時の通信手段を使った斬新な取り組みについて、日経産業新聞(全国区)の記事で紹介されたのである。

 また、同社オフィスに、APPLE社 MACINTOSH SE/30を設置。モデムをコネクトして、県内外からの友人らにアクセス権を与え、同社に格納しているデータの共有実験なども毎晩のように実験していた。

 上述のように、実用的なインターネット環境がない時代の話だが、遠隔地のパソコンからのアクセス実験を日々行うのは、参加者にとっては、すこぶる楽しい趣味的な実験だったと言える。されど、「美容整形シミュレーション」に関しては、1枚の写真を転送するのに、900円弱が課金されるので、パケット通信料としては、決して安いものとは言えなかった。

 しかし、1500キロほど離れた遠隔地から、15分ほどでフルカラーの写真が転送されるのは、当時としては画期的なことでもあり、毎週、同社オフィスに多くの見学者が訪れてきたのであった。


【ディー・アンド・エルリサーチ株式会社公式サイト】 https://www.dandl.co.jp/dandl/Link

             

  • posted by Chikao Nishida at 2015/6/4 03:00 am

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