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マクロ撮影の面白さ・・・

▼NIKON Dfのシャッターボタン(NIKON D800で撮影)

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 就寝する前に、必ずカメラを手にして、シャッターボタンを弄り、その余韻を楽しみながら床につくのが、私のスタイル。

 どっちかと言えば、ロングショットよりも、接写や至近距離からのポートレートに面白みを持っている方だが、今日は、NIKON Dfの各種ボタンやダイヤルを磨きながら、マクロレンズを使わず、オードトアレ2本の瓶を接写してみた。

 使ったのは28mmワイド。結構、最短焦点距離が短いので、いろんな角度からの撮影を試みた。スタジオではないので、黒のクロスを敷いて、ボトルや箱を倒しての撮影。f2開放から1段、2段絞って、光の回り込みや、被写体の前後のボケとグラデーションを楽しみながら、数枚撮影したのだった。

 マクロレンズを使用すれば、何も問題なく、楽々撮影できるものだが、マクロはカチッと撮るには良いが、ちょっと柔らかさに欠けるので、この28mmレンズで、どこまで質感を出せるかの実験でもある。

 日頃は、ほとんど単焦点レンズで撮影するが、たまに、面倒臭いときにはズームを使って手抜き撮影もありかと逃げたくなってしまう。しかし、単焦点レンズでしっかりと被写体と捉え、構図を決めて、奥行きや質感をどこまで追い詰めることができるか、いつもカメラやレンズと闘っているのが面白い。

 ちなみに、以下のアルマーニやボスのオードトアレは、筆者が日頃から愛用しているものである。別に体臭はないが、自分なりの香りを持つことは、お洒落心を維持することにも繋がり、その香りで心が安らぐものなのだ。

 写真撮影の仕事では、商品撮影はあまり好まない。しかし、撮り出すと面白い。バックが黒で、被写体も黒のガラス瓶となれば、本来なら、レフ板を当てたり、被写体の両脇に白い壁を作り、被写体とバックの境界線を美しく仕上げたいと思ったりもする。しかし、夜中のカメラ弄りは仕事ではないので、気軽にカメラの調子やレンズとの相性を確かめることで・・・安眠の準備ができるというものだ。(苦笑)


▼NIKON Dfのシャッタースピード設定ダイヤル(NIKON D800+NIKKOR 60 MICROで撮影)
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▼NIKON Dfの露出補正設定ダイヤル(NIKON D800+NIKKOR 60 MICROで撮影)
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▼HUGO BOSSのオードトアレ(NIKON Df+Carl Zeiss DISTAGON 28mm f2.0で撮影)
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▼ARMANI BLACK CODEのオードトアレ(NIKON Df+Carl Zeiss DISTAGON 28mm f2.0で撮影)
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【ディー・アンド・エルリサーチ株式会社公式サイト】 http://www.dandl.co.jp/dandl/Link

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2015/5/7 04:39 am

枯れた人生

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 人生、長いようだが、とても短い歳月の中で、人は必ず枯れて行く。人は、その短い人生において、草花のように何度も花咲こうと挑戦するが、花開いては落ち、そして落ちては咲いて行く。何が花なのか枯れ草なのか分からないが・・・。

 こと仕事に関しては、常にチャレンジャー精神を持ち、前に前に突き進んでいる人が居る。実に素晴らしいことである。ただ、年齢を重ねるにつれて、その容姿は遠慮なくどんどんと枯れて行く。やせ細り、深く皺が刻まれ、瑞々しかった体全体の水分が蒸留器に掛けられた様に干されて行くのである。

 いろんな欲望の中で、美と健康が一番だろう。特に女性の場合は、美を維持することが宿命づけられている。だから、ファンデーションの厚みがどんどん増して、いつの間にやら土蔵の塗り壁のようになっている。

 昔の日本では、「人生五十年」と言われるほど、短命であり、五十歳ともなると爺様、婆様であった。現在も、孫が生まれれば、既に爺様、婆様だが、生活環境、食糧、医療技術の発達などにより、戦争という殺戮もない訳で、平均寿命は世界一となってしまった。

 「人生五十年」と言われた時代・・・しかし、現代では長命な爺様、婆様は百歳を軽々超える。何と昔の寿命の倍近くを生き延びることになる。よって、四十にして不惑の歳を迎え、さらに、五十にして天命を全うする時代と比べ、寿命が二倍になったからと言って、精神年齢だけはどんどん低くなっているのは如何なる理由なのか・・・理解に苦しむ。

 親という自覚もなく子育てを放棄したり、孫が居るのに、子の自立を認めず、いつまでも巣立った家族への執着に走り、目の前の伴侶への気遣いも優しさも薄れ、ドタバタした人生を歩む中で、気づけば孤独、孤立の道を辿っているのである。老化が進めば、自宅では粗大ゴミのような邪魔者扱い。老後は施設へ預けられ、保育園や幼稚園と同じような世界で人生を終えてしまう。

 医者要らずで人生を全うした亡き父の言葉で印象深かったのは、「私は老後において病気などで周囲に迷惑を掛けたくはない。更に、施設などへ送り込まれて、遊戯三昧の情けない自分の姿を見せたくもない。だから、死ぬまで孤独であろうが、我が人生に悔いなしと言えるよう、日々、精進する。また、現在、一切借金はないが、子供や孫に残す金も財産もない!」と。

 28段もある長い急勾配の階段で倒れ、肋骨を圧迫骨折しても、湿布と包帯だけで治癒させていた頑固者。和室で転び、障子のガラスを割り、眉間や腕を切ってもテーピングして治癒させた超頑固者だ。

 しかし、その頑固者も、或る日突然「最近、生き甲斐を感じなくなった!」とブツブツと零していたのだった。それから2ヶ月後に身体の電池が急に切れて、絶命した。元々、剣道で鍛えてきた身体ではあるが、少々心臓には疾患があったのではないかと思われる。「生き甲斐を感じなくなった」という言葉は、そろそろお迎えが来るだろうとの予言だったに違いない。

 父の若き頃、剣道の試合を何度も見に連れて行かれ、凛とした姿、気合、殺気・・・「気剣体一致」を目の当たりにしていた頃の父とは程遠く、小さな老人となっていたのだった。これが人生なのだろうと。暇暮らしをしているだろうと分厚い歴史本をプレンゼとすると、あっという間に読破する父。寿司が良かろうと手土産を持ち帰ると、「ステーキを食いたい!」という父。

 現在、父や母が笑顔で過ごしていた実家の断捨離を決行中だが、部屋のあちらこちらに、一人の人間としての「生き様」を感じるのである。・・・巷には、自分の欲望の為だけに、人を騙し金をくすねたり、人の間に立ち踏み台としたり、人様のアシストを悪用したり、「人生五十年」を過ぎても色仕掛けで金銭に執着している人物も居るけれども、やはり、人生のケジメとして、不惑の歳を過ぎてからは、人様にだけは迷惑を掛けぬ人生に向かって歩まねばと、考え込む筆者でもある。

 素敵な「人生の枯れ方」。・・・父とはあまり多くを語らなかったが、良いお手本を見せてもらったと、心から感謝している次第。そんな潔い人生を送った父や母を見てきたからこそ、上述のような自分の欲望、野心の為だけに動く、散らかしまくる塗り壁のような人物が、やけに悍ましく見えて仕方ないのだろうと・・・。

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※写真はイメージ(実家の庭にニョキニョキ現れる竹)

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  • posted by Chikao Nishida at 2015/5/5 12:26 pm

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