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車エビ+賀茂なす+甘とう

▼自作、夕飯のおかず。

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 先般、京都から贈られて来た「賀茂なす」と「万願寺とうがらし(甘とう)」に、天草産の「車エビ」を加えて、何を作ろうかと!?・・・昨夜は、野菜の味噌炒めで楽しませて頂いたものの、連日だと洒落にならないので、オイスターソースをベースにした、中華風の炒め物を作ってみた。

 正直なところ、余り茄子を美味しいと思った事が少ない筆者だが、この「賀茂なす」は規格外である。とんでもない旨さに、茄子を見直してしまった次第。更に、「万願寺とうがらし」も加わり、更に、更に、「車エビ」が入ってくると、街場の高級食事処でもなかなか食せないほどの極上食材のオンパレードとなってしまう。

 炊き立てのご飯(熊本産ひのひかり)と、思ったより軽めの夕飯となったが、僅かな量で、満腹度150%。・・・これほどまでに、普段の食材との格差に凹み、また、ご当地ブランド(京都や天草)の質の高さに腰を抜かしたのであった。

 ブランディングと言っても、簡単なものではない。質量ともにバランス良く、野菜であれば、包丁で切る前に、手に取るだけでその存在の大きさが伝わるのである。各地で流行しているご当地ブランディング。この「賀茂なす」、「万願寺とうがらし」をお手本にすると、日本の和の文化が一層素晴らしいものになるかも知れない。

 ソースやその他調味料で誤摩化すには、余りにも失礼となるブランド野菜に、深くお辞儀をしてしまった。

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  • posted by Chikao Nishida at 2014/8/6 12:00 am

人生・・雨のち曇り、時々晴れ。

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 人生、長く遣ってくると甘い物も、苦い物も、辛い物、酸っぱい物も、沢山経験を重ねてくる。よって、人生とは、1冊の教科書に収まる学習用教科書とは異なり、とてつもなく難しい学問として捉えることもできる。・・・それが、人間学というものである。

 人は生まれ育つ瞬間から、親を選ぶこともなく、多種多様な環境の中で、好条件だけを取捨選択できる権利権限もない。気付けば、いつの間にか自分が現実世界に存在し、脈を打ちはじめているのだ。

 同じ幼児教育、義務教育、高等教育を受けて、世間という荒波に船出をしても、日々平穏無事な生活を営む人も居れば、日々波風ばかりが強い生活に立ち向かっている人の姿もある。所謂、「十人十色」である。

 社会人となり、責任と義務を果さねばならぬ大人になったとしても、その人の生き方、考え方で、将来の方向性が大きく変わってしまう。例えば、視野狭く、思慮浅ければ、不惑の歳を過ぎたとしても、学生時代からほとんど進化することもなく、闘う必要のないところで、肩に力を入れすぎて闘っている人も居れば、視野広く、思慮深く、人様の為にゆとりを持って社会貢献している人も居る。

 個人的な経験学を通してもの申せば、先ず、学生時代の自分の取り巻きにより、善きにつけ悪しきにつけ、その友人から感化されることが多々ある。それを安易に「運」、「育ち」、「神の思し召し」と言って良いのだろうか?・・・その偶発性を強調するが余り(単純に他力本願でしかない)、自分自身の判断や行動を是認するが為に、都合良く「神」という存在に掏り替えているに過ぎない。

 「神」が存在しているとしても、その存在は、森羅万象に対する自然の摂理であり、個々人のあーでもない、こーでもないを、一つ一つチェック、コントロールするのは「神」の業ではなく、そう思い込むのは単純馬鹿過ぎる。だから、「神」に対して懺悔や感謝の気持ちを告げるのは構わないが、そこで「神頼み」のようにお願いしては罰があたるという気がしてならない。

 眼前に起こる、予期もしない経緯や結果。それを「神の思し召し」による当然の経緯や結果であるとこじつけるのは、狡賢い人間の、都合の良い解釈の仕方である。よって、予期もしない経緯や結果については、第三者への責任追及ばかりに傾注するのではなく、自己分析と自己反省をしなければ、幾度も同じ繰り返しをしてしまうことになる。それが、中途半端に知恵を授かった人間の浅はかさなのだ。

 「念ずれば叶う」・・・確かに心に希望や目標を高く持てば、自分が描いた何らかの形にはなって行く。それは「神」の存在ではなく、刻み込まれた「潜在意識」による初動、経緯、結果である訳だ。そこで、森羅万象を司る「神」に対して確と報告を行い、深い感謝の意を表せば良いのである。

 何かトラブルが生じると、「神への冒涜だ!」を青筋立てて喚く人も居るが、如何なものかと。それは「神への冒涜」ではなく、自分のプライドが傷ついた瞬間の、軽々しい言葉なのだ。

 人生、雨のち曇り、時々晴れ。・・・まあ想定外に浮き沈みはあるものの、自然体で過ごす事が、精神衛生上すこぶる良い事であり、妙な輩から感化されずに、筋を通して波風立てずに、見識高く人生歩めば、きっと素敵なものになるに違いない。

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  • posted by Chikao Nishida at 2014/8/5 10:35 am

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