
終戦となり、満州から引き上げてきた母の事を思い出した。
その明言に・・・「お米さえあれば、何とか生きて行ける。」があった。・・・最初聞いたときは、何を言い出すんだろうと思っていたが、先般、真向かいに住んでいる90歳のおばあちゃんの言葉で、その意味が良く理解出来たのだった。
おばあちゃん曰く、「あなたのお母様から、随分お世話になったんですよ。ご存じかどうか知りませんが、内の孫達二人、幼い頃に何年も毎日のように、お母様から大きなお握りを頂いていたんです。もう二人とも家庭を持つ大人になりましたが、お母様のおにぎりで育てて頂いたんですよ。私の息子も嫁も仕事があって、なかなか子供の世話もできない状態だったので、本当に助かりました。本当に感謝しています。今も生きていらっしゃれば、いつもニコニコ笑ってらして・・・。」と。
なるほど、筆者は別棟に住んでいたので、母が何をしていたのか全く気づきもしなかったが、大きなお握りを毎日幼子達に手渡していたことを聞いて、「お米さえあれば・・・」の、母なりの明言が理解できた。
母は、満州に居た頃は、相当裕福な家庭に育っていたようで、終戦を迎え、着の身着のまま、乾燥トウモロコシの袋だけを持ち、家族全員で逃げるように戻ってきた話を聞いたことがあった。その時、一緒に逃げ戻る周囲の人達が、バタバタと倒れ、屍になって行ったと。・・・その時、死ぬか生きるかの瀬戸際にあって、初めて食べ物の有り難さが母の頭をかすめたのだろうと。
18年半前に急死した母の事を久し振りに思い出しながら、今夜は、粗末ではあるが、母がよく作っていた「高菜炒飯」を作ってみた。余りご飯を炒めすぎると不味くなるので、具材をじっくりと炒めた後に、ご飯を混ぜる程度で留めた。・・・大変、美味しく頂いた次第。
「お米さえあれば、何とか生きて行ける。」・・・なるほど。
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