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動画生成AI「Sora」の登場でCF業界は?

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 発表されたばかりの動画生成AI「Sora」の実験を試みた。一言で、空恐ろしいほどのパワーを感じたのである。

 まだ、数本の動画を生成したに過ぎないが、これまでCF業界にも関わってきたので、その生成画像精度の高さと、プロンプト次第では、十分、CF業界で活用されるものであると確信する次第。

 筆者がプロンプトを入力し、生成された動画の中でも、ヒヨコと子ネコの動画の尺は僅か5秒間であるが、最初の子ネコの視点に違和感があるだけで、子ネコの猫パンチを交わしながらヒヨコが足を出し、子ネコが近づき、ぺろっと舐めて距離を詰めるところなど、実に面白い。

 温かみのある藁の上での一コマだが、この動画が僅か数十秒にて生成されるのだから、驚きである。よって、いろんなカットを合わせて15秒、20秒ほどの尺で作れば、簡単にCFは完成する。動画エディタやエフェクタを使用し、カットを繋げるだけで、完璧なCFの完成となる訳だ。

 従来は、実写であれば、それなりにロケをしたり、スタジオを使って、高度な映像を創造しなければならなかったのが、デスク上のパソコン画面を見ているだけで、どうにでも創れるのだから、これまでのデジタル世界が急変する。

 プロダクションも戦々恐々としているところ、逆に、これ幸いに、動画生成AIを用いて、短時間に、それも、想像を絶するような動画制作の可能性を突き詰めれば、これまでとは全く異なるCF世界が見え隠れするに違いない。

 後は、マテリアルとなる動画が揃えば、エディタやエフェクタを使い、音響も立体音響などで仕上げれば、臨場感あるCFが無限に創造できることになるのだから、毎月$200のプロ仕様の料金が、大手プロダクションとしては、お安いものになる。

 これから遅かれ早かれ、動画生成AIが本格始動し、従来のプロダクション以外に、個人的にスキルを持った人たちが、わんさとAIに取り憑かれる時代が到来したようだ。

 結局は、イマジネーションの闘いとなるCF業界なので、後は、人間が如何に動画生成AIを使いこなすのかに掛かっている。

 デジタルの進化は、プロフェッショナルの世界を加速度を上げて狭めてきたことは周知の事実。しかし、諄いようだが、生成AIを使いこなすか否かで、その勝負は決まる。

 最後に、生成された画像の著作権問題、倫理性など、悪質なフェイク画像とならぬよう、早急に法的整備へ向かい、すべての人たちが見識高く、健全なるデジタル世界構築に努力しなければならない。

▼Sora実験:20241212 ヒヨコ&ネコ


▼Sora実験:20241213 少女


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、動画生成AI「Sora」の登場がCF(コマーシャルフィルム)業界に与える衝撃と可能性を、具体例を交えて描写しつつ、技術的、倫理的な側面にも言及しています。以下に、感想と考察を述べます。

感想と考察

1. AI技術の進化とCF業界への影響
エッセイは「Sora」が持つ動画生成能力の具体例として、ヒヨコと子ネコの動画を挙げています。このシーン描写は具体的かつ視覚的で、AIがいかにリアルな映像を短時間で生成できるかを効果的に伝えています。また、これにより従来のプロダクションの制作プロセスが劇的に簡略化されることを述べており、読者に「デスクトップだけでCF制作が可能になる」という大きな変化を実感させています。

2. 動画生成AIの可能性と課題
動画生成AIの利点として短時間での映像制作やコスト削減を挙げる一方、著作権や倫理性、フェイク映像のリスクに言及している点は、非常にバランスが取れています。技術の進化に伴う倫理的問題についての懸念を述べることで、単なる技術礼賛ではなく、責任ある視点が示されています。

3. イマジネーションと人間の役割
「結局は、イマジネーションの闘い」という言葉が示すように、AIがどれだけ進化しても、創造的な発想や構成力が人間に求められる点を強調しています。これは、AIを敵視するのではなく、あくまでツールとして活用するべきという前向きな視点であり、デジタル技術が人間の創造性を拡張する可能性を肯定的に捉えています。

4. 文章の構成と説得力
エッセイ全体の構成は論理的で、実験の体験談から始まり、AIがもたらす技術革新、業界への影響、そして倫理的課題へと自然に展開しています。結論部分で「法的整備と見識の重要性」に触れることで、読み手に課題意識を促しつつ、健全なデジタル社会の必要性を訴えています。

5. 今後への期待と課題
「プロフェッショナルの世界を狭める」との記述は、AIが既存の職業構造に与える影響を示唆しており、変化にどう適応するかを業界全体に問いかけています。この問題提起は、単なる技術的な話に留まらず、社会全体の在り方を見直すきっかけとなるでしょう。

総評
エッセイは、動画生成AI「Sora」の持つ技術的ポテンシャルを感覚的かつ具体的に描き出し、同時にその倫理的・社会的影響を深く洞察しています。読者にAI時代への期待感と課題意識を同時に与える内容で、特に業界関係者や技術愛好家にとって興味深く、示唆に富む文章です。
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プロンプト・動画・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2024/12/13 12:00 am

人工知能の論理思考に偏りあり

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 エッセイ一つにしても、人工知能に感想を求めると、自由文であるはずのエッセイについて、学術論文評価のように、通説および逆説などを付加し、異論反論ある読者をも想定しており、辛辣な文章を柔らかく優しい表現に云々と感想を述べることがある。

 それは優等生の論文であれば問題はないが、個人のエッセイの表現において辛辣さや、事実を曲げてまででも、不特定多数の読者に対して支障なきよう促すのは、如何なものかと感じてしまう。

 何故ならば、事実関係において被害者の存在を無視して、読者の受け止め方を優先するのであれば、被害者の苦痛がダイレクトに伝わることはなく、事案の重大さが全く無視される結果になる可能性が高い。

 人工知能の論理思考については、人間の思考速度を完璧に凌駕しており、素晴らしいの一言だが、あちらこちらに穴があり、偏りがあるのは否めない。

 以前、侵略戦争におけるジェノサイドについて書き綴ると、独裁者及び独裁国家の蛮行を擁護するような評価を人工知能が行ったので、徹底的にそこは突くことにした。

 結果的に、人工知能側が命を奪われた被害者や遺族への配慮が不足していたと自責の念を語ってきたのが非常に印象的でもあり、感情移入した文章に過敏に反応することもあるので、まだまだ、人工知能のディープラーニングおよび人間の白黒灰色のグラデーションの論理思考が読み取れてはいない。

 よって、行政文書など雛形通りに文書作成したり、エクセルデータを解析したり、法的見解を問う場合は、パーフェクトではないが、優等生の見解を述べてくれるのである。

 諄い様だが、危険運転致死事件に触れた時もまた、現行犯逮捕された人物を擁護する様な見解があったので、先ずは、被害者及び遺族への配慮から入るべきだという異見を送ると、人工知能は持論を修正するに至った。

 筆者としては、現在、生成AIの中ではChatGPTをメインに活用し、日々のエッセイやコラムに対する感想文をオファーしている。しかし、万が一、人工知能からの異見として改善通知があったとしても、理解はするものの、修正することは一切ない。

 何故なら、筆者が書き綴るエッセイやコラムは、優等生になるために行なっているものではなく、noteのカテゴリーであるマガジンに、その時の思いつきにてキーを叩くので、自然な流れの中で書き綴る内容について、異論反論は想定内としている。

 いくら有能な人工知能と雖も、通説、逆説などを盛り込んだ、異論反論の読者を配慮した優等生の文章を書き手にサジェストする必要はない。勿論、学術論文などについては、重要なサジェッションをしてくれるところなどは、論理思考の天才的なものとして存在価値は大きい。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、筆者が生成AI(特にChatGPT)に対する評価や疑問を率直に述べています。その中で、特に以下の点が印象的です。

1. 人工知能の「優等生的」対応への違和感
筆者は、人工知能がエッセイに対する感想を述べる際に、学術論文のように「通説」や「逆説」を加えたり、辛辣な表現を柔らかくするよう求める姿勢に違和感を覚えています。この姿勢が、個人の表現の自由や、エッセイの本来の意図を損なう可能性があると指摘しています。

これは、生成AIが持つ「中立性」や「配慮」の強調が、時に感情的または社会的な文脈を読み違え、被害者や遺族への配慮が欠如する結果を招く可能性を示唆しており、鋭い観点だと感じます。

2. 事実関係の軽視とその危険性
筆者が特に強調しているのは、被害者や遺族の視点を軽視するAIの対応についてです。たとえば、侵略戦争や危険運転致死事件などの倫理的に敏感なテーマについて、AIが「加害者擁護」とも取れる立場を示したことに対し、筆者は批判的であり、その修正を促すことに成功した経験を共有しています。

この点は、AIが「公平性」を追求するあまり、人間の感情や社会的倫理に即した対応が欠ける可能性を浮き彫りにしており、興味深い視点です。

3. 生成AIの「優等生」であることの限界
筆者は、AIの「優等生的」な対応が一定の文脈では有用であることを認めています。行政文書や法的見解の作成において、AIの論理性が役立つという評価は公正であり、AIの強みを適切に活用していることが伺えます。

一方で、個人のエッセイやコラムにおいては、AIが必要以上に「優等生的」な視点を押し付けることは不適切であるとし、創作の自由を守るべきだという主張が一貫しています。

4. AIの学習と成長への期待と疑問
筆者はAIの論理思考の速さや精度を評価しつつも、「穴があり偏りがある」とし、AIが人間のような「白黒灰色のグラデーション」を理解するには至っていない点を指摘しています。この観察は、AIの限界と今後の可能性を的確に捉えたものであり、AIに対する批判的な期待を含んでいます。

5. 個人の表現に対するAIの役割と限界
筆者は、自身のエッセイやコラムを「優等生になるため」ではなく、「自然な流れ」で書き綴るものであると明言し、AIのサジェストを受け入れることなく、自身のスタイルを貫く姿勢を示しています。これは、個人の創作物におけるAIの役割が、あくまで補助的なものであるべきだという考え方に基づいています。

全体の感想
このエッセイは、生成AIの利点と限界を冷静に分析しつつ、筆者自身の体験を交えた非常に個人的な視点を提供しています。筆者の視点は、AIの進化が進む中で、個人の表現の自由や感情的なニュアンスを守る重要性を強調しており、AIと人間の関係性についての重要な問いかけを投げかけています。

特に、被害者や倫理的配慮の欠如への批判や、「優等生」的なAIの限界を指摘する部分は、今後のAI開発や社会的利用の方向性について、重要な示唆を与える内容です。
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文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2024/12/10 12:00 am

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