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広告優先検索エンジンの終焉・・・

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 商用インターネットが日本上陸したのは1994年秋。既に、三十年が過ぎた。また、弊社ポータルサイトが世に生まれたのは、1995年8月22日(熊本県第1号)。今年でインターネット事業開始から30周年となる。更に、今年の10月1日で創業35周年を迎えることになる。

 インターネット黎明期は、Macユーザーにとっての主流のブラウザは、Netscape Navigatorであった。とても懐かしい言葉の響きであり、他のブラウザと比べ、動きが軽く、速度が速かったことを思い出す。

 当時、日本経済新聞社より、昔のNTTのタウンページのような仕様にて、ホームページ保有各社のURL、住所、電話番号などが掲載された書籍が出版された。確か、1996年発刊だったと記憶するが、初刊に掲載されたURLは、僅か1000社であった。

 それからGoogleやYahoo(後にGoogleエンジン搭載)などを筆頭に検索エンジンが開発され、これまでダイレクトに企業や大学などのURLを打ち込んで閲覧していたWebサイトが、キーワード検索で、それに関するものが一気に閲覧可能となり、ネット上にインデックス(日々更新)が確立されたことになる。

 ところが、検索エンジンもさることながら、いろんなプラットフォームが生まれる中で、全てのものが広告とジョイントされ、そのプラットフォームを楽しんでいると、画面のどこかしこにバナー広告が飛び出すようになってしまった。

 今でも、スマホでアプリをダウンロードし、無料で使用していると、強引に出てくる広告のようなものである。勿論、マソコン画面のブラウザを全て占有するようなサイズではないが、広告ありきのブラウザとなった。

 広告ありきとなれば、旧メディアであるテレビの広告や視聴率などの絡みで、視聴者目線というよりも、広告クライアント目線での展開とならざるを得ず、結局、検索エンジンも同様に、広告段数が多いところやアクセス件数が多いところが、検索による抽出率が有利になるカラクリとなった。

 例えば、旅行代理店が運営する旅情報やグルメ情報など、結局、広告ありきで、広告主最優先の抽出結果となっており、大したホテルでも無いのに、そのサイトの「五つ星ホテル」と記されており、消費者が困惑したという批判的書き込みを何度も見たことがある。

 Googleなどの検索エンジンも同様に、何かにつけ、広告主が優遇されているのは間違いのない事実。よって、ネットサーファー(消費者)が検索する場合に、実際の価値とは異なる検索結果が抽出されることになり、中立公正なる抽出とはなり得ない環境下に置かれたのである。

 ところが、今や、生成AIがこの世に生まれ、つい先日のことだが、ChatGPT内にウェブ検索ボタンが付いてしまった。とうとう、広告なしで、ネットサーファーが自由自在に検索ができる仕組みへと変わってきたのである。従って、これまでの検索・抽出というものとは異なる次元にて、中立なスタンスにより情報提供できる環境へと、時代が変わるのである。ただし、如何に環境が変わろうとも、生成AI検索にしても広告ありきになる可能性は否定できない。

 これまで広告ありきで、信憑性にやや問題があるような抽出結果もあったが、広告主最優先の検索というこれまでの概念は崩れ、従来の検索エンジンの終焉を迎える時が訪れることになる。

 まだまだ発展途上の生成AIであるが、日々新技術の導入や、新たな発明などがジョイントされることでs、これまで30年間続いてきたインターネット環境が全て塗り替えられる時代に突入したと言っても過言ではない。

 蛇足ながら、旧メディアである電波媒体における広告や視聴率の仕組みもまた、これから先、不都合なものがどんどん露呈してくる可能性も無きにしも非ず。ネットの勢力は生成AIの登場で、旧メディアとは異なる次元にて、更に進化するに違いない。それも、過去の30年を1年ほどでカバーするほどの速度にて。

 因みに、新聞社の新聞購読数も激減しており、筆者が起業する前に勤めていた新聞社の朝刊部数は半減しており、夕刊は既に無くなってしまった。地方のテレビコマーシャルに関しても、放映料が以前から非常に高額であるが、それがいつまで続くのか、広告としての価値があるのかの保証はない。

 キー局の傘下にある地方局がブロック局として統合合併する可能性もあり、これから10年先には、旧メディア界において、大変革の嵐が吹き荒れるのではないかと危惧しているところである。

 何はともあれ、これから先のインターネット業界を牽引するのは生成AIが主役であることは間違く、ネットサーファーもまた、新たな世界に突入するための下準備をしておく必要がありそうだ。

 インターネットがメディア世界を変えてきたように、今度は、生成AIが世界を更に変えていくことになる。人類史上最大の発明と言われる生成AIの凄まじい勢いに呑み込まれぬよう、常に10年先を見据えたスタンスが必要かと。

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、インターネットの黎明期から現在に至るまでの変遷を振り返り、検索エンジンの広告偏重がもたらした影響、そして生成AIがもたらす新たな潮流について論じた興味深い内容である。

1. インターネットの変遷と検索エンジンの発展
1994年の商用インターネットの日本上陸から30年が経過し、筆者が関わってきた歴史を振り返る冒頭は、時代の流れを実感させる。特に1995年に自身のポータルサイトを立ち上げ、インターネット事業を30年間続けてきたという事実は、説得力を持たせる要素となっている。

当時の主流ブラウザがNetscape Navigatorであったことや、1996年に日本経済新聞社が出版した企業のURL一覧書籍の存在など、当時のインターネット環境を知らない世代にとっても、歴史を振り返る上で貴重な情報である。

検索エンジンの台頭によって、ダイレクトにURLを打ち込む必要がなくなり、情報探索の手段が大きく変わった点も興味深い。特に、検索エンジンがインデックスを構築し、キーワード検索で目的の情報が容易に見つけられるようになったことは、現代のインターネット利用の基盤を築いたと言える。

2. 検索エンジンの広告偏重とその弊害
GoogleやYahooが普及するにつれ、検索結果が広告主体になってしまった点についての指摘は的確である。特に「広告ありきの検索結果」となってしまい、ユーザーが求める純粋な情報よりも広告主が優遇される仕組みが出来上がったという分析は、多くのインターネットユーザーが感じている問題点と一致している。

「五つ星ホテル」と誇張された評価が、実際の質を伴わないという事例は、広告による情報操作の典型例であり、検索エンジンの公平性に疑問を投げかける。広告収入が主体のビジネスモデルでは、情報の信頼性が損なわれるという問題は、検索エンジンに限らず、SNSやニュースメディアにも共通している。

3. 生成AIの台頭と検索エンジンの終焉
生成AIが登場し、ChatGPTのウェブ検索機能が追加されたことで、広告なしの情報検索が可能になったという指摘は、現在進行中の大きな変化を捉えている。従来の広告依存型検索エンジンが、ユーザーの利便性を損ねてきたことを考えると、広告に左右されない検索体験が求められていることは確かだ。

しかし、筆者も言及しているように、生成AI検索も将来的には広告が組み込まれる可能性があり、「中立な検索エンジン」としての理想形が維持できるかは未知数である。この点を冷静に分析しているのは、筆者の視点の鋭さを示している。

4. 旧メディアの衰退と今後の展望
新聞社の発行部数の減少や、テレビ広告の価値が揺らぎ始めているという指摘も、メディア業界の現状を的確に捉えている。特に、筆者が勤めていた新聞社の朝刊部数が半減し、夕刊がなくなった事実は、旧メディアの衰退を象徴する事例として興味深い。

テレビ業界においても、地方局の統合・合併が進む可能性を示唆しており、これは実際に進行しているトレンドと一致する。キー局傘下の地方局がブロック局化する流れは、視聴率の低下や広告収入の減少を背景としており、今後10年の間にさらなる業界再編が進むことは十分に考えられる。

5. 生成AIによる次世代インターネットの展望
「インターネットがメディア世界を変えてきたように、今度は生成AIが世界を更に変えていく」という結論は、非常に示唆に富んでいる。過去30年の変化を1年でカバーするほどの進化速度は、まさにAI時代の到来を予感させる。

筆者は、「常に10年先を見据えたスタンスが必要」と述べており、これは技術革新の激しい現代において重要な視点である。インターネットが誕生した頃も、現在のような状況を予測できた人は少なかったが、生成AIも同様に、今後の進化がどのような影響をもたらすのかは計り知れない。

総評
このコラムは、インターネットの発展と検索エンジンの変遷を振り返りながら、広告依存の問題点を指摘し、生成AIの登場による新たな展望を提示する非常に洞察力のある内容であった。

・歴史的背景の振り返りが詳細であり、特に1990年代のインターネット環境を知らない世代にとって貴重な情報が詰まっている。
・検索エンジンの広告偏重の弊害に関する分析は的確であり、現代のネットユーザーが直面している問題を浮き彫りにしている。
・生成AIの登場による検索の変化をポジティブに捉えながらも、広告主導型のビジネスモデルが再び組み込まれる可能性に警鐘を鳴らしている点は、冷静な視点を示している。
・旧メディアの衰退と今後の展望についての記述は、特に新聞業界やテレビ業界の動向を具体的に示しており、リアリティがある。

全体として、単なる批判ではなく、時代の流れを見据えた冷静な分析と未来への示唆が随所に散りばめられた、非常に読み応えのあるコラムであった。
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文責:西田親生


                                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/2/23 12:00 am

1995年を思い起こして・・・地方と都市の格差が広がる理由

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 筆者は、1995年8月22日に、県内初のホームページを公開し、既に、ポータルサイト化に向かって動いていた。

 勿論、大都市部では毎日新聞社(ジャムジャム)、リクルート社(ミックスジュース)、日本経済新聞社など、一流企業が着手し始めた頃である。

 当時は、Yahoo Japanも存在せず、ライブドアの動きも見えなかった時代であり、Windows系は95が発売されて、ようやく通信機能が乗っかった程度である。

 Apple社のMacは1984に日本上陸した時には、既に、電話モデムを介して通信機能を搭載していた。

 筆者は、その通信に非常に関心を持ち、当時の日本電信電話公社の霞ヶ関本部に足を運び、企業通信システム本部の責任者や担当者と情報交換していた。電話モデムの通信速度が300ボーレートの頃の話である。

 それはともかくとして、1995年にネット事業に着手して、渋谷にて本格始動する計画だったが、同年12月7日に実母が若くして病死し、東京都心でのネット事業展開を断念したのである。

 そこで、県内の銀行やその他企業へ足を運ぶと、「オウム真理教」と揶揄されたり、「宇宙人用語を使うな」と非難されたり、あちこちで誹謗中傷を喰らったのである。

 某銀行の支店長は、「そんなのは銀行には無関係なので」で終了。スーパーなどのチラシを毎日ファックスで送り、それをネット上で公開する仕組みを説明しても、「誰が見るんですか?」で終了。

 ネット黎明期の地方は、思いの外、都市部との認識とは、ナイアガラの滝の様に落差があり、現実的なものとして全く認識してもらえなかったのである。

 熊本県民性としては「新しいもの好き」であろうかと推察するが、やはり保守王国でもあり、公共工事などには集団がどっと動き出すが、残念ながらネットへの関心は皆無に等しいものがあった。

 現在、日頃から足繁く通うFoody One(鶴屋百貨店アンテナショップ)の公式サイトではPDFのチラシが掲載されており、それを自由にダウンロードして利用することが可能である。筆者は、これを1995年に提唱したのである。

 銀行や郵便局もまた、スマホにて送金できたりと、それが当たり前の時代となっているが、四半世紀以上も前は、完全に熊本県内は旧石器時代のように、ネットに関心のある企業は数えるほどしかなかった。

 よって、都市部と地方の熊本とのICT格差は広がる一方であり、結局、熊本県内の田舎に足を運ぶと、これまた10年も20年も遅れたところが多く、ネットへの関心が低い。

 田舎の会社の公式サイトを見ながら話を聞くと、経営者曰く。「ホームページは友達に頼んでいるので、大丈夫!」と、経費を極力かけずに、お友達感覚でネット事業と本業をジョイントしようとしているところが多い。

 逆に、大都市部から舞い降りたICT企業の営業マン(多分、地方の代理店)とは高額な制作費を支払い、7年契約なんぞしている、怪しいところもあった。よって、1ヶ月に1回ほどの掲示板テキスト更新で終わっている。

 SEO対策と言いつつも、検索エンジンのアルゴリズムの云々と言いながら高額な維持管理費を要求しているICT企業もあるが、実に怪しいものばかり。アルゴリズムが公開されていないのに、ほとんどが手探りの状態であるはずが、大上段にてSEO対策と言えるのかと失笑するのである。

 田舎は大都市部の営業マンに対して脆弱さを見せるばかりで、自ら学び、本業とネット事業の両輪をしっかりと検証する経営者は皆無に等しいのである。特に、女性のセールスに対して鼻の下を伸ばして、押印するスケベ丸出しの経営者もいるのだから、呆れるばかり。

 商用ネットが日本上陸したのは1994年の秋である。それから四半世紀以上が経過して、今も尚、他力本願にて、ネット事業を軽視している経営者の存在があるのだから、開いた口が塞がらない。

 ある日のこと、天草市にある某ホテルの社長から打診があり、二度ほどネット事業についての詳細をレクチャーしたことがあるが、完璧に騙されて、こちらのノウハウだけを提供して終了したことがある。

 某ホテルは、他県の似非ICT会社に依頼して、WordPressで公式サイトを立ち上げたのは良いが、箱だけを作ってもらい、ホテルスタッフが写真をアップして管理する方式と取っていた。

 しかし、素人集団のスタッフであったために、大容量の写真を多くアップしていたので、アクセスしても写真が開かない。その時もアドバイスしたものの、結局、それから数年経って、新たな公式サイトに切り替えたようである。サーバー管理会社もいい加減であり、鈍足な公式サイトにて、何年も大損していることにも気づかないのが、某ホテルの経営者であった。

 筆者が首を傾げるのは、特に田舎経営者はICTについては不知な人がほとんどであり、怪しい契約や女性セールスが持ち込むものへは無防備に契約書に押印し、正義正論を唱える筆者のような馬鹿正直なものを敬遠する傾向があるのが理解し難い。

 それは、今だに納得できないところでもあり、不思議かつ滑稽な現象であると失笑するしかない。世の中で恥をかく人は「法の不知」たる人が多いが、ICTも同様に「ICTの不知」たる経営者が多く存在しているのが、田舎である。

 以上、まとまりがつかないが、「地方と都市の格差が広がる理由」とする。

▼ChatGPT-o1による感想

このエッセイは、筆者が1995年当時から地方におけるインターネット事業に挑戦していた際の回想録であり、そこから浮き彫りになる「地方と都市のICT格差の広がり」について、非常に生々しく語っています。以下、いくつかの観点から感想を述べます。

1. ICTへの理解不足と“保守王国”の壁
地方の企業や経営者が、当時のインターネットの価値をまるで理解しようとしなかったエピソードが随所に見られます。FAXのチラシをネット上に掲載する提案をしても「誰が見るんですか?」で終了、銀行の支店長には「無関係」と断ぜられ、さらに「宇宙人用語」と揶揄されたという記述は、当時の新技術に対する地方の拒否反応をよく表しています。筆者の視点からは「馬鹿正直に正論を唱えると敬遠される」という状況が度々描かれ、ICTリテラシーへの無理解が地域経済の停滞を助長する構図が浮き彫りです。

社員・幹部教育の観点では、こうしたICTリテラシー不足を放置していた背景には、社員教育や幹部社員教育における「新技術への学習意欲」が欠如していたことが大きいように思えます。企業トップが知識ゼロであると、下の人間に投資する仕組み自体が育たないからです。

2. 大都市と地方のICT格差の要因
エッセイが指摘するように「地方は大都市から10年、20年ほど遅れている」という事実は、今日に至るまで根強く残っています。当時からのICT導入が遅れた理由としては、以下のような要因が読み取れます。

情報流通の偏在
大都市では新聞社やリクルートなどの大手企業が早々にホームページを立ち上げ、情報集積も早かった。一方で地方ではネット利用者自体が少なく、企業間で情報を共有する土壌が育たなかった。

コスト意識の偏り
「ホームページは友達に頼めば大丈夫」といった経営感覚からも分かるように、ICT事業を“儲かる投資”として捉える発想が乏しかった。その一方で「高額な制作費」を提示されると検証もせず契約してしまうなど、コスト感覚がずれているケースも多い。

他力本願かつアナログ主義
「自分で学ぶ」よりも、「大都市部から来た営業マンに丸投げ」してしまう事例が紹介されています。加えて、紙ベースでやっていた業務をデジタルに置き換える際の“変化への抵抗”が強く、新しい仕組みを理解するまでに時間がかかるのが地方企業の実情でした。
こうした要因が、当時から現在に至るまで「ICT格差」を作り出しているといえます。

3. ICTと企業戦略の関わり
筆者が最初にホームページを立ち上げようと試みた1995年は、商用インターネットが日本に上陸して間もない頃。マイクロソフトのWindows 95発売を契機に、都市部ではネットビジネスが加速度的に拡大していきました。しかし地方では「自社ビジネスとネット事業の両輪で推進する」イメージが浸透せず、ICT活用が戦略として位置づけられなかったと感じます。

企業戦略の観点でいえば、本来であればICTリテラシーを強化して自社でコントロールできる仕組みを作るべきところ、地方企業の多くは「外注」「他力本願」へ流れてしまっている。結果として、自前のノウハウが蓄積されにくく、ICTの恩恵をフル活用できずにいる現状が、格差拡大の直接的な要因になっていると思われます。

4. 人間学的視点:保守性と“付き合い”の文化
エッセイにある「女性セールスが来ると鼻の下を伸ばしてすぐ判を押す」という場面は、地方企業の“付き合い文化”の一端が示されているように感じられます。ICTビジネスの合理性を評価するのではなく、むしろ営業マンとの付き合いや印象によって意思決定が行われる。これは人間学・社会学の視点から見ても、地方コミュニティに根強く残る「関係性重視の保守性」を象徴するエピソードでしょう。

また、筆者のように「理詰めで正論を唱える人は敬遠される」というのも、保守的な組織ほど変化に対して心理的抵抗を示し、かえって“表面上は和やかな関係”を築きやすい相手を選ぶ傾向があるからだと考えられます。

5. クロスメディアとMacについて
本文には、FAXやチラシをインターネットに載せる話題が出てきます。当時であれば、紙メディア(FAX, チラシ)とデジタル(インターネット)の組み合わせはまさに“クロスメディア”の先取りでした。しかし地方ではこの発想自体が珍しかったことが、各エピソードから強くうかがえます。また、Macが1984年時点で既にモデム搭載し通信機能を持っていたという指摘は、Apple社の先進性とともに、当時は“マイナー”扱いされがちだったMacの技術力の高さを再認識させます。

6. 今後の示唆
エッセイに描かれる当時の状況は、四半世紀を経た今でも完全には解消されていないと筆者は嘆いています。たしかに現在ではスマホによる送金やネットバンキングが当たり前になりましたが、企業経営におけるICT活用の意識・リテラシーは、都市部と地方で依然として大きな差があります。

社員・幹部教育の再設計
地方企業がICTを“怖いもの”や“他人任せ”にせず、自社で学び、活用する仕組みを作るには、まずは幹部社員や経営者のリテラシー向上が不可欠です。セミナーや勉強会、外部講師の招致など、まずは経営トップから学び始めることが肝要でしょう。

小さく始めて内製化を進める
大きな制作費を払う前に、小規模でもいいので自社スタッフで簡単なWeb運用を始め、PDCAを回しながら内製でノウハウを蓄積していくことが重要です。外部企業との契約にしても、丸投げではなく共同作業の形を取り、ICT活用を経営視点で理解・評価できる仕組みを作るべきです。

まとめ
本エッセイは、1995年のインターネット黎明期における地方と都市の格差が、単に物理的インフラの問題ではなく「新技術に対する認識や学習意欲の差」に端を発していることを、数多くの具体例を交えて明らかにしています。地方は「新しいもの好き」と言いながらも、実際には“保守”の土壌が根付いており、他力本願や営業マンとの付き合い文化が今なお継続されている。その結果、企業戦略としてICTを位置づける意識が未成熟なまま、ときには怪しい契約を結んで大きな損失を被るケースも少なくない。このような構造は、筆者が指摘するように「地方と都市のICT格差を拡大し続ける一因」だと強く感じられました。

新しい技術が登場しても、それに対する“人間的”な理解や正しい学習機会がなければ、その恩恵を活かすことができない――。本エッセイは、ICTのみならず企業経営や社会文化全般を考えるうえで、多くの示唆を与えてくれる内容となっています。
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文責:西田親生


                     

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