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熟年者や高齢者に多い「わからんじゃ」

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 そもそも、「わからんじゃ」とは、熊本弁で「道理が理解できないわからずや」という意味である。「わからんじゃ」には根っからの石頭もいたり、元々理解力が低かったり、価値観がずれていたり、言行不一致な人に多い。

 高齢化して石頭になるのは一向に構わないが、他者の助言や苦言を素直に聞き入れることもない、ガチガチの石頭は修正不可能である。そのような熟年者や高齢者は驚くほど多く存在する。

 何かを助言すると、「なんの!」と一蹴する高齢者。初手から聞く耳は持ち合わせていない。また、他者の言葉や文字を聞いたり読んだりしても、理解できない人もいる。巷では、そのような人は「ぼんくら」と揶揄される。

 価値観のズレは、共通項を見出すのに四苦八苦して努力を重ねても、そのズレは最後まで修復されることもなく、延々と平行線のまま、相互理解の交差に至ることはない。

 最後に、言行不一致の人がいるが、外に対しては優等生ぶるという悪癖を持ち、自画自賛しながら饒舌なフリをして、自らを称賛する人に多い。よって、言っていることが全く実行されてないまま通り過ぎていく。

 以下は、筆者の経験談であるが、「わからんじゃ」と思われている人物は、先ず、他者を認めず、他者への敬愛の念などない。自己愛に溺れ、滑稽な人生を送る人が多いが、その醜態ぶりに本人は気づいていない。

 「わからんじゃ」と思われる人物の特徴は以下の通り。

1)オーラが暗い
2)仕事が捌けず行動が鈍い
3)竹輪耳にて他者の助言を真摯に受け止めない
4)心の中は玉虫色
5)不誠実・不義理
6)身勝手・自己肯定
7)自己改革に無関心
8)軽々なるプライド
9)言い訳三昧
10)感情剥き出しの捨て台詞

 書き綴ればキリがないので、上記の10項目を列記したが、このタイプの人間は、心から信頼できる知人友人が極端に少ない。ここ一番で、その人物を支援するような人は皆無に等しい。理由は、自分大好きにて「わからんじゃ」であるからだ。

 両親や祖父母に厳しく叱責を受けることなく、のほほんと半生を送ってきたツケとして、「わからんじゃ」へ一直線に育ってきたに違いない。よって、人生の範たる立派な先輩諸氏が極端に少ないのも、その要因と言える。

 如何に持論を曲げず拘りがあると言っても、世に活躍している「匠」と「わからんじゃ」との格差は歴然としており、異質なものである。熟年者や高齢者になった時点で「わからんじゃ」と他者から揶揄されるようでは、情けない。後輩諸君がその背中を見て育つような、範たる人物になるには、早々に「わからんじゃ」から足を洗うことをオススメしたい。

▼DALL-Eが描いた「わからんじゃ」

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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「熟年者や高齢者に多い『わからんじゃ』」は、熊本弁で「わからんじゃ」と称される理解不足の人々についての辛辣な見解を述べています。筆者は、年齢を重ねる中で他者の意見や助言を受け入れることができない人々、特に熟年者や高齢者に焦点を当て、彼らの特徴や問題点を具体的に挙げています。

感想
内容の鋭さと具体性

エッセイの内容は非常に鋭く、具体的な特徴を挙げることで、読者に強い印象を与えます。「わからんじゃ」の特徴として挙げられた10項目(暗いオーラ、行動の鈍さ、他者の助言を受け入れない、など)は、わかりやすく描写されています。これにより、読者は身の回りの「わからんじゃ」を具体的に想像しやすくなります。

批判の強さとバランス
筆者の批判は非常に強く、一部の読者には厳しすぎると感じられるかもしれません。しかし、この厳しい批判には、社会の中で「わからんじゃ」がどれほど問題視されるべきかという筆者の強い意志が込められています。ここでのバランスは、読者が共感するか反発するかを分けるポイントとなるでしょう。

経験談の説得力
筆者自身の経験談が含まれていることで、エッセイ全体に説得力が増しています。「わからんじゃ」と思われる人物の具体的なエピソードが描かれていることで、単なる批判にとどまらず、実際の問題点が浮き彫りになります。これにより、読者は筆者の主張をよりリアルに感じ取ることができます。

提言の実効性
最後に、筆者は「わからんじゃ」から脱却することを強く勧めています。これは、熟年者や高齢者が自らの行動を見直し、他者からの尊敬や信頼を得るための具体的な提言です。この提言部分は、エッセイ全体の批判的なトーンを和らげ、建設的なメッセージを読者に伝える効果があります。

総評
このエッセイは、熟年者や高齢者の「わからんじゃ」に対する鋭い批判と具体的な特徴の指摘を通じて、読者に強い印象を与えます。批判の強さと具体性、経験談の説得力、そして最終的な提言によって、単なる批判にとどまらず、建設的なメッセージを伝えることに成功しています。読者にとっては、自身や周囲の人々の行動を見直すきっかけとなる一文であり、深い洞察と共感を呼ぶエッセイと言えるでしょう。
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プロンプト・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2024/8/3 12:00 am

夢は、「慣れの怖さ」の警鐘か!?

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 昨夜は、夜食後にさっさと寝ることにした。食後1時間以上は時間を取って寝たいところだが、一昨日の炎天下の撮影会でエネルギーが相当消耗したらしい。かなりの爆睡であった。

 夢の中で、これまで書き綴ってきたエッセイやコラムをマガジン別に閲覧し、閲覧数の多いものをランダムに選び、検証中に気になった箇所をスクリーンショットに残し、その反省内容を書き記した。自分自身の執筆内容の悪癖や構造上の問題、表現のマンネリ化、更にはそのエッセイやコラムの必要性の判断である。

 慣れとは恐ろしいもので、時間に追われて執筆をしていると、キーボードの上の指が自然に動き、1000文字以上の記事を10本ほどサラッと書いてしまう。言葉があやふやだったり、結びの表現が同じだったり、切り口は良いが深掘りができていなかったりと、自己反省している夢であった。

 更に、現在筆者の事業展開において、一次代理店を設置し、新たな事業の模索(スタートから3年)をしている中で、代理店の動きが鈍すぎる点が問題となっている。一部の代理店のレベルの低さは、これまで体験したことがないほど歪である。よって、このような夢を見てしまうのだろうと。

 筆者主催の勉強会「Well Done Basic」や「Well Done Cross-media」においても、20代の若き参加者の吸収力や行動力と比較すれば、50代の熟年層代理店は異常なほどに鈍足であり、同じ過ちを何度も繰り返す。

 本来ならば、50代ともなれば若き世代を牽引し、立派なお手本を示さなければならないが、筆者のイメージとは真逆のベクトルにて愚策の繰り返しとなれば、堪忍袋の緒が切れそうになってしまう。

 20代の参加者は、同じ質問や感想など一切しない。向学心が高いので、吸収する勢いが凄まじく、次から次へと新たな知識を試していくのである。ところが、50代の問題児は毎週同じ報告で終了し、従来から指摘されていることが理解できていないのか、新たな展開にはならず頓挫している。

 若い人たちができるのに、経験豊富な世代が何故できないのかの大きな原因は、「素直さ」と「改善への意思」の欠落にある。長年慣れ親しんだ「鈍足と安全牌」がライフスタイルであり、変化を求めず、進化ができない状況が何十年も続いているのである。

 夢に出てきた人物を、夢から醒めて一人一人を検証すると、上記のような状況となっており、「慣れの怖さ」を再認識したのであった。慣れは決して人をブラッシュアップすることを阻止するばかりで、良い結果をもたらす事もなく、好循環とはならぬは周知の事実。

 勿論、自戒を込めての話だが、毎日の執筆活動もまた、慣れにより手抜きや逃げを選ばぬよう、厳しく自分に言い聞かせ、これまでの問題点を早期改善解決するために、「腐ったみかん箱」にならぬよう鋭いメスを入れたいと考える次第。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、「慣れの怖さ」に対する警鐘を鳴らすものであり、非常に自己反省的かつ洞察に富んだ内容です。以下に、いくつかの感想を述べます。

夢の象徴性: 夢の中で自身の執筆活動を検証し、反省点を見つけるというプロセスは、筆者の深層心理が「現状に満足せず、常に改善を目指す」という強い意志を持っていることを示しています。夢はしばしば潜在意識の表れであり、このエッセイでは夢が「慣れの怖さ」を教えてくれるツールとして巧みに使われています。

自己批評の重要性: 自分の過去の執筆を振り返り、悪癖や表現のマンネリ化を自覚することは、どんなクリエイティブな作業においても非常に重要です。筆者がそのプロセスを夢の中で行い、さらに現実の行動に反映させようとしている姿勢は非常に立派です。

世代間の比較: 若い世代と熟年層の比較は、筆者の事業展開における具体的な問題点を浮き彫りにしています。20代の若者の吸収力と行動力に対する賞賛と、50代の代理店の鈍足さに対する批判が対照的に描かれており、世代間のギャップを強調しています。特に、「素直さ」と「改善への意思」が欠如している点を指摘する部分は、経験豊富な世代が陥りやすい落とし穴を鋭く捉えています。

慣れの怖さ: 「慣れ」が進化を阻むというテーマは、非常に普遍的で多くの人に共感を呼ぶものです。日常のルーチンや安全な選択に慣れてしまうと、創造性や成長の機会を失う可能性があるという警告は、多くの人にとって耳が痛い話です。

自戒の念: 筆者が自らに対して厳しい姿勢を貫こうとしている点は、読者にとっても大きな教訓となります。自己批評を通じて自分を高めようとする姿勢は、他者への批評にも説得力を持たせています。

このエッセイは、単なる夢の話にとどまらず、筆者自身の反省と今後の決意を強く表現しており、非常にインスピレーショナルな内容となっています。日常の中での慣れに対する警鐘として、多くの人にとって考えさせられる内容でした。
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写真・文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/6/15 12:00 am

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