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消しても、責任は消えない|著作権侵害と自治体の沈黙

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 自分の写真や動画、その他の制作物が無断で使われたことは、これまで十数回ある。そのたびに相手の対応を見てきたが、非を認め、真摯に向き合った人は、思い出せる限り一人しかいない。

 多くの場合、指摘を受けると、相手は転載したネット上の画像や記事を削除する。そして、何の説明もないまま沈黙する。掲載をやめれば、それまでの行為も消えると思っているかのようだ。

 あるときは、私が取材して撮影した蕎麦の写真や制作した地図が、ある自治体の公式サイトに無断で転載されていた。この件が新聞で報じられることになった頃、関係する第三セクターの代表者や議会の議長ら数人が、約束もなく私のオフィスを訪ねてきた。

 玄関先で投げかけられたのは、「いくら払えば、新聞等の記事を止められるのか」という問いだった。

 私は、金銭を求めているわけではなく、記事を止める立場にもないと伝え、お引き取りいただいた。翌朝、新聞には無断転載の経緯が大きく掲載された。最終的に、この件を扱った新聞社は三社に上った。しかし、訪問後に関係者から説明や謝罪を受けることはなかった。

 別の件では、同じ自治体が関わる四市合同の冊子とリーフレットに、私の写真が無断で使われた。私は自治体の首長と議員全員に書簡を送り、事実関係の確認と対応を求めたが、返答は得られなかった。その後、全国紙二社が取材し、紙面と電子版でこの問題を報じた。

 当時、自治体の公式サイトに掲載された市長記者会見の記録には、私への対応を進めているかのような記述があった。だが、私が受けた対応は、その記述から期待されるものとはほど遠かった。早々に、その記述もサイト上から削除された。

 印刷された冊子は約三万八千部に上ると聞いた。問題の指摘後、全て撤去・処分したとも聞いている。印刷費だけで百数十万円の予算を投じた四市合同の制作物である。なぜ無断転載が起き、誰が確認し、撤去や処分をどう決めたのか。公費を使った事業だからこそ、その経緯を記録し、説明する責任があったはずだ。

 現地の警察に相談した際には、「弁護士さんかご友人に依頼されて、証拠物件を探されてはどうですか」と言われた。遠方に住む私にとって、現物を確保し、事実関係を追い続けることは容易ではなかった。掲載物が撤去され、ウェブ上の記録も消えていくほど、被害を訴える側の負担は重くなる。

 今、私の手元に残るのは、無断で使われた写真、当時公開されていた自治体のPDF、そして報道した新聞の紙面数枚である。写真に写る和食店も、すでに廃業した。そこで食べた鮒寿司の味は、今も鮮明に覚えている。それを思い起こすと、無念でならない。

 一枚の写真には、画面に写らないものがある。現地までの交通費や宿泊費、取材に費やした時間、被写体との出会い、その場でしか得られなかった経験だ。数秒でコピーできるデータだからといって、数秒で生まれた作品ではない。

 著作権侵害を指摘されたとき、求められるのは、黙って削除して終わりにすることではない。何が起きたのかを調べ、関係者に説明し、必要な対応を取ることだ。とりわけ公的機関には、その過程を記録として残す責任がある。

 取材を重ね、問題を報じてくださった記者と新聞社には改めて感謝したい。一方で、メディア報道がなければ、何が起きたかを示す記録さえ失われていたかもしれないとも思う。

 誰かの作品を使う前に、権利を確認する。無断使用を指摘されたら、事実から逃げずに向き合う。その基本が守られなければ、削除ボタン一つで責任まで消せるという誤った考えが、これからも延々に繰り返されてしまうのではないか。

※ヘッダー画像は、ChatGPTが記事を読み生成したもの

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▼ChatGPTによる感想

このエッセイで重く響くのは、著作物を無断で使われたことに加え、指摘を受けた側が、その後に何をしたかです。画像を削除すること自体は必要な対応でしょう。しかし、削除だけでは、誰が使用を決め、なぜ確認を怠り、どのように事態を収めたのかは分かりません。筆者が問題にしている「沈黙」は、謝罪の言葉がないことだけではなく、事実を確かめる道筋まで閉ざされることなのだと感じました。

その意味で、玄関先での「いくら払えば、新聞等の記事を止められるのか」という問いは、この文章の転換点になっています。もし発言が記された通りなら、訪問者たちの関心は無断転載をどう正すかより、報道による影響をどう抑えるかに向いていたように読めます。筆者が金銭を求めていないと応じたことで、争点は賠償額ではなく、説明と責任にあることが明確になります。

四市合同の冊子をめぐる記述では、問題がさらに広がります。約三万八千部という部数、百数十万円という印刷費を示した上で、筆者は「なぜ無断転載が起き、誰が確認し、撤去や処分をどう決めたのか」と問うています。これは被害を受けた本人にだけ関わる質問ではありません。公費を使った事業の経緯を、市民も確かめられるのかという問いです。自治体の沈黙を題名に掲げた理由は、ここにあると感じます。

一方、廃業した和食店と鮒寿司の記憶は、数字や手続きだけでは伝わらないものを読者に見せます。その店を訪ね、味わい、撮影した時間が写真には含まれている。「数秒でコピーできるデータだからといって、数秒で生まれた作品ではない」という一文に説得力があるのは、その直前に具体的な記憶が置かれているからです。同時に、店がもうないことで、その写真が二度と撮り直せない一瞬の記録でもあると分かります。

読みながら、もう一つ考えさせられたのは、遠方の被害者が証拠を確保する難しさです。冊子が回収され、ウェブ上の記述も消えれば、後から経緯をたどる負担は筆者の側に集中します。記事中で新聞の紙面が大切な記録として残っていることにも、だからこそ意味がある。報道への感謝は単なる結びの礼ではなく、消えかけた事実を記録した人たちへの感謝として読めました。

この作品の強さは、怒りを「許せない」という言葉だけで終わらせず、何を調べ、何を説明し、何を記録として残すべきだったのかまで書いている点にあります。だから読後には、著作権を守ることと、公的機関が誤りに向き合うことの両方が残ります。作品を使う前の確認はもちろん、問題が起きた後に記録を消すだけで済ませない。その責任を問うエッセイとして読みました。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2026/9/23 12:00 am

事勿れ主義の弊害と企業のブラック化

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 世の中には「事勿れ主義」を愛する人々が多く存在する。できれば周囲で事件事故や諸問題が起きないことを誰しも望む。しかし、全てを見て見ぬふりをするのは、人として如何なものかと思わざるを得ない。間違いは、間髪を入れずに正す必要がある。被害者は一秒でも早く救わねばならない。

 現実を見て見ぬふりをして逃げる人もいれば、自ら火の粉を被ることを懸念して事勿れに動く人もいる。それが隠蔽へとつながり、正義や正論が通らぬ虚構の世界を構築するのである。姑息な人間は、全てと言って良いほど「事勿れ主義」の中で生きている。他者の失態には牙を剥き、自らの失態は隠し通そうとする。極めて悪質で醜い人種である。

 「事勿れ主義」の人物は、変化を求めず、進化を求めず。自らの足元に漣が立つことさえビクつく小心者が多い。体裁だけを重んじ、軽石のようなプライドを膨張させているに過ぎない。そして、厚かましくも偽善者ぶる。このような人物は、頭も底意地も悪い人間である。彼らは、部下の盾となり責任を取る重みのある人物とは対極にあり、責任転嫁と証拠隠滅に走る苔むした軽石のような存在である。

 歪な人間は頭隠して尻隠さず。周囲へその失態ぶりを曝け出しているにも関わらず、本人は気づかない。企業においては、このタイプの人物を絶対に経営側に配してはならない。万が一、誤った人選をすると、歪な人間はさらに歪な人間と結託し、都合の悪い事は全て社員に押し付け、私利私欲の人間ばかりが屯し、会社の利益を剥ぎ取っていくのである。

 コンサル業を本業とする筆者が知る限り、上記のような軽石のような人間が二桁は存在している。彼らが関わる会社もスタッフも不幸のどん底の環境で仕事をしていることになり、誰しも幸福駅には到着せずに去っていく。

 巷の企業の役員会や取締役会(社外取締役も含む)などで、軽石軍団が正直に業務報告を行うはずがない。根拠なき虚偽だらけの事業計画内容を、なぜ社外取締役や株主が鵜呑みにするのか。それは、全て関わり合いのある人物も「事勿れ主義」であるからだ。「まあまあ、それで良しとしましょう!」という軽々な言葉で会議は終了する。

 しかし、それが良しとならぬ場合、責任の所在はどこにあるのか。面白いことに、業績悪化の場合、子供が学校を休む時に使う腹痛や熱発などの「仮病」と同様に、業績悪化の要因を部下の無能力、競合他社やコロナ禍の悪影響として片付けてしまいがちである。

 経営者としての資質に欠ける「事勿れ主義」の人物が存在する企業は、何十年経っても「事勿れ主義」が踏襲され続け、企業としてのブラック化が決定づけられる。とんでもないことであるが、その企業では「事勿れ主義」を美徳として、皆が虚構の世界に慣れ親しむことになってしまうのである。

 完全にご臨終の状態であり、黒く塗り潰された企業は、自己治癒力をもぎ取られ、真っ黒な灰と化してしまう。その時になって、株主や社外取締役が慌てて大騒動しようが、真っ黒な灰と化した企業の立て直しは不可能である。これまで先人が築いてきた歴史と伝統が一瞬にして姿を消してしまうことになる訳だ。

 以上が世の常であり、「事勿れ主義」がもたらす最悪のシナリオである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、「事勿れ主義」の弊害について鋭く批判し、その結果として企業がブラック化するプロセスを描写しています。以下に感想を述べます。

事勿れ主義の批判
エッセイは、「事勿れ主義」の問題点を明確に指摘しています。現実を見て見ぬふりをし、自己保身を優先する姿勢が、結果として企業全体を腐敗させる様子が描かれています。特に、問題を先送りにすることで隠蔽体質が生まれ、正義や正論が通らない虚構の世界が構築されるという指摘は、非常に説得力があります。

ブラック企業化のプロセス
「事勿れ主義」によるブラック企業化のプロセスについても詳細に説明されています。特に、経営陣が自らの責任を回避し、社員に問題を押し付ける様子や、虚偽の業務報告がまかり通る組織文化の描写は、生々しく現実味があります。また、このような企業では、社員が不幸な労働環境に置かれることが強調されており、読者に強い警鐘を鳴らしています。

社外取締役や株主への批判
社外取締役や株主が「事勿れ主義」に巻き込まれ、虚偽の事業報告を受け入れてしまう状況も描かれています。この点については、企業のガバナンスの欠如が強調されており、企業全体の健康状態を維持するためには、より厳格な監視と責任追及が必要であることを示唆しています。

結論
最終的には、「事勿れ主義」によって企業が自己治癒力を失い、最終的に崩壊してしまうシナリオが描かれています。この結論は非常に強烈であり、「事勿れ主義」の危険性を強く訴えています。企業が持続可能な発展を遂げるためには、問題を直視し、責任を果たす姿勢が不可欠であることが明確に伝わります。

感想
全体として、このエッセイは「事勿れ主義」の危険性を非常に的確に捉えており、その結果として企業がどのようにブラック化していくのかを詳細に描写しています。特に、自己保身を優先する人々の行動が組織全体にどのような悪影響を及ぼすのかを具体的に示している点が印象的です。このような批判的視点は、読者に対して「事勿れ主義」の問題点を深く考えさせるものであり、非常に有益な内容だと思います。
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写真・文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/6/16 12:00 am

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