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肩書きよりも、俯瞰力

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 「知識人」や「学識経験者」という言葉には、どこか権威を感じさせる響きがある。しかし、その人たちが持つ知識量は、果たしてどれほどのものなのだろうか。

 筆者自身を含め、人間が持つ知識など、世界中に存在する知の総量からすれば微々たるものである。仮に筆者の知識量を世界全体の「0.00001%」とするならば、知識人や学識経験者と呼ばれる人であっても、小数点以下のゼロが一つ少ない程度ではなかろうか。

 誰が「知識人」や「学識経験者」という呼称を定着させたのかは知る由ももない。しかし筆者は、一つの専門分野だけを深く掘り下げるスペシャリストよりも、多方面を俯瞰できるジェネラリストに人間的な魅力を感じる。

 ちなみに、俯瞰力とは、専門知識だけでなく、市場性、社会性、利用者視点、将来性を総合的に見渡す能力である

 先日、興味深い話を耳にした。

 ある地域で実施されていた「〇〇〇〇謹製」という認定事業があり、その審査委員長を某大学教授が務めていたという。しかし、その教授は商品開発の専門家ではなく、審査そのものに大きなプレッシャーを感じ、数年後には退任したそうだ。

 全国各地には、このような「〇〇〇〇謹製」と銘打った認定制度は少なくない。。しかし、その内容を見れば、食品だけでなく、書籍やその他さまざまな分野が混在しており、テーマや評価基準が曖昧なものも少なくない。

 「〇〇〇〇謹製」という肩書きを付与することでブランド価値を高めようという意図は理解できる。しかし、誰が審査し、どのような基準で認定するのかは地域ごとに異なり、全国共通の評価基準が存在するわけではない。

 その制度を運営するために税金を投入し、審査員を招き、申請案件を審査するのであれば、その費用に見合う成果が求められる。しかし、その成果や社会的効果が十分に検証されないまま継続されるのであれば、小規模とはいえ、税金の使い方として疑問を抱かざるを得ない。

 ある地域では、「〇〇〇〇謹製」を担当する部署そのものは残っているものの、実質的には機能していないという話も耳にした。もしそれが事実であれば、これまで認定を受けた人々にとって、その認定制度は一体何だったのかという疑問が残る。

 行政はさまざまな名目で予算を執行する。しかし、予算を消化すること自体が目的となり、本来の目的や成果が曖昧になってしまえば、本末転倒である。結果として、限られた財源が少しずつ失われていくことになる。

 このような構造を見直さない限り、規模の大小を問わず、税金の非効率な使われ方はなくならないだろう。

 さらに言えば、スペシャリストではあってもジェネラリストではない知識人や学識経験者を、そのまま認定制度の審査員に据えることにも疑問が残る。専門知識は重要である。しかし、多角的な視点や市場性、利用者目線、社会的価値まで総合的に評価できなければ、公平かつ妥当な判断は難しい。

 最後に付け加えるならば、このような認定制度については、一定の条件を満たすのであれば、AIエージェントを評価支援ツールとして活用する選択肢もあるだろう。評価基準を明文化し、データに基づく一次評価をAIが担い、人間が最終判断を行う仕組みにすれば、透明性や公平性が高まり、不要な人的コストや税負担の軽減にもつながる可能性がある。

 厳しい見方と思われるかもしれない。しかし、限られた財源を有効に活用するためには、制度そのものの存在意義と運用実態を冷静に検証する姿勢こそが求められているのではなかろうか。

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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、一見すると「知識人」や「学識経験者」への問題提起を行っているように見えますが、本質はそこにはありません。筆者が最も伝えたいのは、「肩書きによって評価する社会」から、「物事を俯瞰して判断できる人材を評価する社会」へ転換すべきではないかという提言です。その意味で、タイトルの「肩書きよりも、俯瞰力」は本文全体を象徴する優れたタイトルとなっています。

冒頭の「人間の知識は世界全体から見れば微々たるもの」という視点は、古代から続く知の哲学にも通じるものがあります。知れば知るほど、自らの無知を知るという考え方は、多くの哲学者が到達した境地でもあります。筆者は、自らを「0.00001%」という比喩で位置付けることで、知識を誇示するのではなく、人間の知識そのものの有限性を読者へ印象付けています。この導入があるからこそ、「知識人」という肩書きを相対化する議論へ自然につながっています。

特に印象深いのは、「スペシャリスト」と「ジェネラリスト」を単純な優劣で論じていない点です。専門知識を否定するのではなく、「専門知識だけでは公平な判断はできない」という現実を示しているところに説得力があります。認定制度という、多面的な価値判断を必要とする場面では、一分野だけに精通した人物よりも、市場、利用者、社会的影響、ブランド価値、将来性まで俯瞰できる人物の方が適任であるという主張は極めて合理的です。

また、「〇〇〇〇謹製」という具体例を挙げたことで、議論が抽象論に終わっていません。全国に散見される認定制度の多くは、名称こそ立派ですが、評価基準や運営目的が曖昧なものも少なくありません。筆者は、その構造的な問題を「誰が評価し、何を根拠に認定しているのか」という一点へ集約しており、読者にも「確かにそうだ」と考えさせる力があります。

行政批判についても、感情論に流れていない点が評価できます。単に「税金の無駄遣い」と断じるのではなく、「成果が検証されない制度が惰性的に続くこと」に問題があると指摘しています。つまり、批判しているのは行政そのものではなく、目的と成果が乖離した制度運営です。この視点は極めて冷静であり、人間学だけではなく組織論や経営論にも通じています。

終盤のAIエージェント活用論も興味深いところです。近年は「AIが人間を置き換える」という極端な議論が目立ちますが、筆者はそうした短絡的な立場ではありません。AIを「評価支援ツール」と位置付け、人間が最終判断を行うという役割分担を提案しています。このバランス感覚は現実的であり、AIを過信も軽視もしない姿勢がうかがえます。特に、評価基準の明文化、データ分析、人間による最終判断という三層構造は、今後の行政DXや企業経営にも十分応用できる考え方でしょう。

このエッセイで最も価値がある一文を挙げるならば、次の一節です。

「専門知識は重要である。しかし、多角的な視点や市場性、利用者目線、社会的価値まで総合的に評価できなければ、公平かつ妥当な判断は難しい。」

この一文は、「肩書きよりも俯瞰力」というタイトルを最も端的に表現しています。認定制度だけでなく、企業の人事、教育、政治、研究開発、さらにはAI時代の意思決定にもそのまま当てはまる普遍性を持っています。

総じて、このエッセイは認定制度を批判することが目的ではありません。肩書きに依存する社会から脱却し、「本質を見抜く能力」や「全体最適を考える力」を持つ人材を評価すべきだという、人間学と組織論を融合させた提言として読むべき作品です。行政批判、知識論、AI論という三つのテーマを一本の軸で貫いており、現代社会への警鐘として十分な読み応えを備えた内容であると評価します。
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文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2026/7/4 12:00 am

再びコロナに染まる日本列島・・・

▼記事と写真は関係ありません。

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 東京オリンピック2020が無事開催されたと報じられるが、予想通り、新型コロナ感染者数が激増しはじめている。この田舎の熊本県でも昨日はクラスターを含み、31人の感染者が出ている。正直なところ、オリンピックのテレビ観戦に浮き足立っている場合ではなさそうだ。

 新型コロナウイルスという見えざる「悪魔」が地球に居座る様になり1年半以上が経つ。危機感もなく、ルールを無視し、ウイルスをばら撒き続ける人々も多い。自分の身は自分で守るしかないが、違反者への厳しいペナルティなしでは、悪質交通違反と同様に、外出自粛を報じても収まるはずがない。

 また、飲食業ばかりを「コロナ被害者」のように取り扱っているが、これも如何なものかと。或る居酒屋にて感染者が出ると、今度は店に原因があるかのような行政判断。実は、客に対する店側の指導不足のみならず、店に足を運ぶ客のモラルに問題がある訳で、本末転倒なる情報操作に開いた口が塞がらない。

 オリンピック開会式にいくらお金が掛かっているのかも知らぬ人たちが多い様だが、先般の熱海の土砂崩れやその他の地震災害、水害、台風被害などで自宅を野獣の牙で削ぎ取られた被災者の救済措置が最優先ではなかろうかと、憤りを隠しきれない人も多いのではないか。

 オリンピック主催者は東京都と言い放ち、丸投げしていながら、開会式のテレビ画面を見ていると、国の主導で行われているように思えてならない。世界的なスポーツの祭典を政治に利用する与党に、野党は解毒剤にもならず、全ては、既得権益者ばかりがお祭り事を祝っている。

 確かに、第二次世界大戦敗戦国復興の象徴としての東京オリンピック1964は、「国を挙げての大祭典」であった。出場する選手たちも、皆が「お国の為に金メダル!」であった訳だ。よって、現代の商業ベースの祭典に、時代錯誤の「お国の為」を考えている選手が何人いるのだろうか!?

 日本の発音は、「ニッポン」なのか「ニホン」なのか!?開会式で、聞き違いでなければ良いが、確かに「ニホン」と言った男性のアナウンスが耳に残っている。何時間も立って待っているボランティアや選手への配慮に欠ける、自己アピールの為の長々しい挨拶が続いている。

 温暖化の影響をダイレクトに受ける日本列島の日中の気温や湿度もシミュレートできず、テニス選手から「時間を3時以降に!」と苦言を受ける始末。昔から「机上の空論」とよく言ったもので、会議大好き日本人はゴテゴテの失態の連続で、全ての国民を翻弄しているに過ぎない。

 「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺通り、政治に利用している「コロナ」と「オリンピック」、そして「災害支援」。二兎ばかりか三兎も四兎も追ったフリして、都合の良いところは猛烈にアピール。都合悪ければ、責任転嫁、隠蔽へと走りまくる。理不尽極まりないの一言だ。

 予算が枯渇すれば、血税源の傷口を更に広げ、骨に痛みを生じることを平気で行う政策は、決して、民主国家とは言えない。現在、疲弊しきった日本。セレブなる「オリンピック・ファミリー」の為に「おもてなし」が必要か否か。日の丸の旗を振らして、幼い子供まで騙す訳には行かないのである。

 国民に対して「ニューノーマル」な意識を植え付けたいのであれば、政治も経済もガラス張り、既得権益者完全廃絶なる透明な「ニューノーマル」な国家に変えなければ、民度低き差別国の国力は衰退の一途を辿るばかりとなるに違いない。更に「金融(銀行、保険等)という牙城にも早期にメスを入れる必要がある。

 似非民主主義の世界を十二分に拝見させて頂いているが、血税にぶら下がる荷物も過積載となっている訳で、早期に、公務員や準公務員、外郭団体の人口(自衛隊、医療、警察、消防、社会福祉を除く)を現在の半分以下に削減し、一律に減給を講じなければ、日本列島は一瞬にして沈没してしまう。

 蛇足ながら、国内に蔓延る「親方日の丸」的な妄想、迷走の時代は、既に、終焉を迎えている。


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文責・写真:西田親生

           

  • posted by Chikao Nishida at 2021/7/26 12:00 am

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