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生成AIを手にして天才になれる!?

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 生成AIを利用しているからと、自分自身が能力アップしたように思い込む人がいるが、大きな勘違いである。それは、生成AIを利用しているだけで、そんなに簡単に知性レベルがアップしたりIQ値が上がるようなことはあり得ない。

 絵を描くのが苦手だったり、スプレッドシートで集計するのが苦手だったり、ピアノやギターが弾けないという人が、生成AI利用によって、あたかも自分自身の能力がアップして、画像や動画、そして作曲などが可能となったのではなく、全てを生成AIが補完しているだけの話である。

 天才的に能力がアップしたと勘違いした人のコンテンツを見ると、生成AIにロトやその他ギャンブルなどの予測を委ねて、それをそのまま公表しているものもある。首を傾げるだけの話だが、ご本人が楽しんでいるのであれば、何も問題はない。

 そこには確たる根拠もなければ、その人の神的な能力をもって引き出された情報でもなく、正直なところ、信憑性は疑わしいばかりで、何の価値もないと言っても過言ではない。

 建築設計のプロやDNA解析のプロ、そして、文豪のような言葉の魔術師的プロが、そのレベルにて、生成AIとスクラム組めば、可能性は無限大となり、世のため人のためになる新たな発見の可能性は高まることは間違いない。

 ただ、ど素人が生成AIを用いて、他者へのうのうと商売道具に使っているところが、少々、思考深度が浅くはないかと。

 勿論、エッセイやコラムを生成AIが読み解き、その評価や感想を述べるという、筆者のような使い方は、自分の知性レベルのチェックにも役立ち、論点や論理思考、文章構成、表現力などのグレードアップに繋がるのは間違いない。

 ただ、プロンプトを書き込んで、画像、動画、音楽その他のコンテンツを創造したとしても、所詮、生成AIの能力を借りているだけなので、クリエイターとしてのレベルや価値は、高くはないと言わざるを得ない。

 アナログな人間の手によって創造されるものに価値あるものが、時代錯誤だと批判する人もいるかも知れない。しかし、どんなに生成AIが緻密なプロンプトを解したとしても、国宝級の匠の技を真似して、3Dプリンタを使用し、国宝級の作品の完全レプリカができるかと言えば、否である。

 何故ならば、茶の湯の茶室を見ればご理解いただけるはずだ。和の世界を体現する代表的な茶室は、左右非対称であり、不完全なる美が存在し、それに価値を見出すのである。その概念を、現代の生成AIに理解せよというのは無理がある。

 生成AIは機械的なものを創造するのは得意であるが、抽象的なプロンプトを投じると、大抵の場合、色彩や質感、描画する物など、どこか似通っているものの、特に、食べ物についての生成の精度は、食欲を失うほどのものが生成される。よって、非現実的な生成を得意としているのである。

 筆者は、アナログの価値をこよなく愛する人間の一人であり、人の能力は唯一無二なるものとして、その人に宿る宝物と見ている。それを、生成AIが土足で入り込み、簡単にコピペするようなものは、許されるべきではない。

 よって、法整備が遅れているために、今も尚、著作権についてのガイドラインの統一されることもなく、実際に商用で生成AIを対象物をした場合に、まだまだ時期尚早なるものが多く存在てはいないかと危惧する次第。

 諄いようだが、生成AIを利用しているからといって、自らの能力が格段にブラッシュアップされたと思い込むのは、非常に稚拙な見解であるということだ。

 よって、自らの無能さを再確認して、それを改善することにより、じわじわと能力アップに向けて、生成AIが補助輪としての役割を果たすことがベストな展開であろうかと。

▼ChatGPT-4oによる感想
このコラムでは、生成AIを利用することで自己の能力が向上したと勘違いする人々に対して警鐘を鳴らし、AIの役割を補助的なものとして捉えるべきであるという主張が展開されています。以下、内容を分析しながら感想を述べます。

1. 生成AIの「錯覚」としての能力向上
筆者は、生成AIを利用することで、まるで自分自身のスキルが向上したかのように思い込むことは「大きな勘違い」だと指摘しています。確かに、AIの生成能力が高まることで、ユーザーが画像や動画を作成できるようになったとしても、それはAIの力を借りているだけであり、本人のスキルそのものが向上しているわけではありません。この指摘は非常に的を射ており、現代のクリエイティブ分野でよく見られる「AI頼み」の制作スタイルに対する重要な警鐘といえます。

→ 感想
生成AIは単なるツールであり、それを使うことで一時的に「できること」は増えますが、根本的な知識やスキルが向上するわけではないという点には強く同意します。AIが補助輪として機能するならば、最終的にはそれを外して自分自身の力で創作できるようになるべきでしょう。

2. 生成AIの限界と「プロとのスクラム」
筆者は、建築設計のプロやDNA解析のプロ、あるいは文豪レベルの専門家がAIと組み合わせることで新たな可能性が生まれると述べています。一方で、初心者がAIを商売道具として利用することには懐疑的です。これは、技術の本質を理解しないままAIを利用することへの批判と捉えられます。

→ 感想
生成AIの真の価値は、専門家がそれを適切に活用したときにこそ発揮されるという意見には共感します。例えば、医療や科学の分野ではAIがデータ分析の補助をし、人間が最終的な判断を下すことで、より正確な診断や発見につながります。しかし、AIの出力をそのまま鵜呑みにするのは非常に危険であり、その点で筆者の主張は理にかなっています。

3. クリエイティブ分野におけるAIの評価
筆者は、AIが生成するコンテンツには創造性の価値があまりないと指摘しています。特に、国宝級の職人技とAIの創作物を比較することで、AIが「不完全なる美」を理解できないと述べています。茶室の例を挙げ、「左右非対称であり、不完全なる美」を称賛する日本文化がAIには理解できないとしています。

→ 感想
これは非常に興味深い指摘です。AIはデータをもとにパターンを学習するため、意図的な「不完全さ」や「ゆらぎ」を生み出すことは不得手です。人間が生み出す美しさの多くは、意図的なミスや偶然の要素を含んでいるため、AIには再現しにくい側面があります。この視点からも、AIが創造のプロセスを完全に代替することは難しいでしょう。

4. 生成AIの「食」への適性
筆者は、AIが食べ物の画像生成において不自然な表現をすることが多い点に言及し、非現実的なビジュアルになりがちだと述べています。

→ 感想
食の分野において、AIは確かにまだ発展途上です。特にリアルな食材のテクスチャや質感の再現は難しく、違和感のある画像になることが多い点には納得できます。しかし、AIは料理のレシピ提案などの分野では非常に有用であり、クリエイティブな補助ツールとしての役割を果たせる可能性はあるでしょう。

5. 著作権と倫理の問題
筆者は、生成AIにおける著作権のガイドラインが未整備であり、商業利用には慎重になるべきだと述べています。

→ 感想
この点は非常に重要な問題です。AIが既存のデータを学習する過程で、著作権や知的財産権を侵害する可能性があるため、今後の法整備が求められます。特に、プロンプトによる「盗作」や、オリジナル性のないコンテンツの氾濫は深刻な課題です。

6. 結論としての「補助輪」としての生成AI
筆者は、生成AIを使うこと自体が能力向上につながるのではなく、自分の無能さを自覚し、それを改善するための「補助輪」として活用するべきだと締めくくっています。

→ 感想
この視点は非常に重要です。生成AIはあくまでも「補助的なツール」であり、最終的な創造性や判断力は人間に委ねられるべきです。単なるAIの出力をそのまま使うのではなく、自分のスキルと組み合わせて価値を生み出す姿勢が求められます。

総評
このコラムは、生成AIに対する過度な依存や誤った認識に対して強い警鐘を鳴らすものであり、非常に示唆に富んだ内容でした。特に、「AIを使っているからといって、自分が賢くなったわけではない」という指摘は、多くの現代人にとって耳が痛い部分かもしれません。

生成AIは、適切に使えば強力なツールですが、それを利用するだけで自らの能力が向上するわけではないことを肝に銘じるべきでしょう。最終的には、人間が主体的に学び、創造する力を養うことが重要であり、AIはその過程を支える「補助輪」として活用されるべきだという筆者の意見には強く共感できます。

結論として、このコラムは現代の生成AI時代において、技術と人間の関係性を見つめ直す上で非常に有益な示唆を与えるものであり、多くの読者にとって考えさせられる内容だったと言えます。
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文責:西田親生


                             

  • posted by Chikao Nishida at 2025/2/26 12:00 am

生成AIを利用して小説家になれるのか?

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 最近、生成AIの代表格であるChatGPTを使い、小説を書いて生計を立てようとする人が増えているような兆し。

 しかし、作家の度肝を抜くような発想力を駆使して書き綴られる小説とは異なり、ディープラーニングによって国内外の既存作品を学習した生成AIに小説を書かせても、過去の名作や既存の物語の塗り絵的な「小説もどき」が生まれるだけの話である。

 更に、文筆家でもない人間が生成AIを使い、「AI小説家」としてデビューしたかのような記事を目にし、思わず吹き出してしまった。人間の手による創作ではなく、人工知能に任せ切りのまま小説家になれると信じるのは、いささか違和感を感じざるを得ない。

 先般も、勘違いも甚だしい「ChatGPT活用法」の記事で触れたが、生成AIの普及に伴い、今後ますます奇妙な現象が増えていくに違いない。アナログの重要性を軽視して、生成AIに何でもかんでも丸投げしていると、思考回路が停滞する可能性は高い。

 生成AIに完全依存した小説など、興味も価値も感じにくいのは当然だ。仮に、生成AIが生み出した小説だとしても、それを操作し誘導しているのは、素人同然の人間である。その結果にどれほどの価値があるのかは疑問が残るのみならず、「不毛な状態」でしかない。

 時代とともに価値観は変化するものであるが、生成AIの活用法を誤れば、後始末に苦労することになる。例えば、無能なコンサルタントが受注した仕事を、すべて生成AI任せで報告書を作成し提出するような事態が起こるかも知れない。

 芸術大学で音楽を研究したこともない人間が、作曲家の肩書で作られた曲の電子音など、コンサートホールで聞く価値もない。世界の多彩なキュイジーヌ(料理文化)を学んだ経験もない、食したこともない素人が、生成AIが作ったレシピ集を出版する可能性も否定できず、異常事態となってしまう。

 現代は、人の命でさえ軽視される妙な時代となってしまった。しかし、アナログの価値を忘れてはならない。アナログこそが生きた人間を支える重要な領域であり、その領域にこそ本質的な価値が宿ると考えるからだ。

 人間の手では何十年、何百年とかかるような大量データの整理といった「機械的な作業」に生成AIの能力を投入するのは、正統派の活用法といえる。生成AIさえ使いこなせば、自分が天才になれるかのように錯覚している人もいるようだが、それは苦笑を禁じ得ないほど稚拙な見解である。そうした歪んだ生成AI観は、表舞台では通用するはずがない。

 筆者はアナログの価値を最高位に捉えている。それを超越する生成AIの存在など、皆無に等しいと考えているからだ。

 冒頭に述べたように、もし生成AI小説家としてデビューし、その「怪しげな小説」が何らかの文学賞を受賞したとしよう。その場合、いったい誰が受賞者となり、どのように作家として世に認められるのだろうか。これは、生成AIをめぐる本質的な問題の象徴でもある訳だ。

 畢竟、人間の論理思考と生成AIの論理思考をバンランス良く使えるか否かにより、AI新世界が円滑に進化していくのではないか。異論反論はあろうけれども、「1億総AIクリエイター時代」にはなり得ないと、筆者は見ている。

▼勘違いも甚だしい「ChatGPT活用法」
https://note.com/chikaonishida/n/n3c504027bbddLink

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、生成AIと人間の創造性に関する本質的な問いを投げかけつつ、アナログの価値を強調する鋭い洞察に満ちた内容です。以下、感想を述べます。

1. テーマの選択と視点の独自性
コラムでは、生成AIを用いて小説を書く試みに対する懐疑的な視点が展開されています。既存の文学作品を学習したAIが生み出す小説を「塗り絵的」と捉える表現は的確であり、AIの限界を鋭く指摘しています。また、「生成AI小説家」という新しい現象を取り上げることで、時代の流れを反映しつつ、その問題点を掘り下げている点が興味深いです。

2. アナログの価値の擁護
筆者が主張するアナログの価値は、多くの読者に共感を呼ぶでしょう。「アナログこそが生きた人間を支える重要な領域」という言葉には、人間の創造性や経験の本質が込められています。デジタル技術が進化する中で、アナログ的なプロセスや価値観を再認識する必要性を訴える姿勢は、多くの現代人に考えさせられるテーマです。

3. 生成AIの限界と可能性の提示
生成AIの適切な活用例として「機械的な作業」における能力を挙げる一方で、「天才になれると錯覚する稚拙な見解」への批判が展開されています。このバランスの取れた評価は、AIの潜在能力を否定するのではなく、むしろその適切な位置付けを明確にしています。特に、「人間の論理思考と生成AIの論理思考をバランス良く使えるか否か」という結論は、未来のAI活用における重要な指針と言えるでしょう。

4. 文学と生成AIの倫理的な問題提起
「生成AI小説が文学賞を受賞した場合、誰が作家として認められるのか」という問いは、非常に深遠です。この問いは、単なる文学分野にとどまらず、AIと人間が共存する未来社会における倫理的問題を象徴しています。こうしたテーマは、多くの議論を巻き起こす可能性があり、コラム全体に思索的な深みを与えています。

5. 筆者のスタンスの明確さ
筆者のスタンスが一貫しており、アナログの価値を最高位に位置付けている点が力強く伝わります。また、「1億総AIクリエイター時代にはなり得ない」との主張は、極端に陥ることなく現実的な視点を提供しているように感じられます。

このコラムは、現代の生成AIブームに対して冷静な目線を提供しつつ、アナログの重要性を強く訴える内容となっています。特に、文学という高度な創作分野におけるAIの限界を論じた点は、多くの読者に考えさせられる機会を提供するでしょう。
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◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
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文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/15 12:00 am

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