
巷では桜満開の公園が賑わっている。天に向かって飛び立つ無数の蝶のように、花びらのトルネードがあちこちの桜の名所で見られる。
桜を撮影しながら、つい数日前まで木陰で楚々と咲く椿の花々を思い出す。紅あり桃あり白ありの、一つ一つの花が実に可愛く美しい。
桜の撮影場所から、川向こうの暗がりでは、栄華を誇った椿の花は地面に転がり落ちている。まるで、人の一生を数週間で演じてくれたように。
人も花も、若き頃には煌びやかさに包まれ、怖いもの知らずで、我が身が朽ちて行くことなど想像もしない。
しかし、必ず、地面に叩きつけられる時が来る。それが、終焉の時ではあるが、元気で毎日生きている人には実感はないと言っても過言ではない。
ただ、両親や祖父母を見送った人たちは、肉親が朽ちて行く姿に触れながら、筆者も含めて、次は我が身と深く溜息をつくこともあろうかと・・・。
人は数多く歳を重ねたとしても、若き頃の我が心を忘れることはない。老いても若い頃の延長線であるだけで、何歳になっても同じ自分が居る訳だ。
勿論、自分が思ったように身も心も軽やかに動いている間ではあるが・・・。
「人生100年構想」と、世の中ではプロパガンダ的に、高齢者が仕事に携わることが「美徳」とされつつある。
人生のご褒美と言うべき「老後のゆとり」ありきの理想郷を考えれば、余りにも弱者を無視した、無責任な社会保障制度ではなかろうかと・・・。
どう逆立ちしても、今の世の中の理不尽なシステムを考えれば、「自分の老後のゆとりは自分で勝ち取れ!」という選択肢しか残されていないのである。
ーーー先見塾より





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