ロゼッタストーンBLOGニュース

The Rosetta Stone Blog

タグ » 目的意識

「意識改革」ほど困難なものはない

Chikao-Donshu


 総合コンサルタントとして、スタッフ、中間管理職、そして役員に対して「意識改革」を完結するのは、言葉では簡単なようだが、これこそ難しいものはない。

 それぞれに学ぶ姿勢、価値観、思考回路、理解度も異なり、最初に取り組むことは、従来の誤った認識、価値観、所業について「部分的自己否定」のハードルが待ち受けている。よって、初手から助言を排除するような人は「意識改革」の可能性は低い。

 「意識改革」へのアプローチとして、先ずは、「情報共有」にある。ところが、それを自治会の回覧板程度に考え、深読みすることなく、なぞって読む、眺める人が後を絶たない。

 また、完璧な「意識改革」への道の入り口のところで、その目的意識もなく、小学校の鍛錬遠足のように、ムカデのようについていく人も多い。本来ならば、「意識改革」の主人公は全ての人間なのだが、その自覚がない。

 「意識改革」が成功裡に進ところは、全員の見識が高いところである。だから、優良企業と称賛される訳だ。社員教育もままならぬ中小零細企業では、「意識改革」という新しい風でさえ、完全に遮断されてしまうのだ。

 では、「意識改革」を徹底し、企業力をアップするには、どうすれば良いのか。

 一般的には、経営者が外部のコンサルタントに依頼をして、その企業の中間管理職やスタッフへの「意識改革」を実行しようとするが、その前に、経営陣が率先して「意識改革」を行い、範たる役員の布陣にて、それを敢行すべきである。

 経営陣がその意識なくして、社内全体の「意識改革」は絵に描いた餅として完結するばかりで、何の変化も進化ももたらすことはないと言うのがオチとなる。無駄な時間ばかりが経ち、周囲の役員も中間管理職もスタッフも、以前と変わることなく「なあなあ」で仕事に向き合うのであろうかと。

 筆者は、これまで総合コンサルタントとして仕事を頂き、企業改革に着手したことがある中で、経営陣がその意識なくして社内全体の「意識改革」が完了した企業は一社もないと記憶している。そこで、厳しく強行手段を講じると、経営陣の方が尻尾を巻いて逃げるのだから、洒落にもならぬ。(苦笑)

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは「意識改革」がいかに困難であり、特に企業組織においては経営陣の姿勢が極めて重要であることを強調している。筆者が総合コンサルタントとしての経験から導き出したリアルな視点が随所にちりばめられており、単なる理想論ではなく、現実的な課題を浮き彫りにしている点が印象的だ。

1. 意識改革の困難さ
 まず、筆者は「意識改革」が単なる言葉で済むものではなく、それぞれの価値観や理解度の違いが大きな障壁になると述べている。特に、「部分的自己否定」が求められる点は核心を突いている。人は自らの考え方や行動を否定されることを本能的に嫌うため、助言を排除する傾向がある。この指摘は、どの組織にも当てはまる普遍的な課題だ。

2. 情報共有の形骸化
 「意識改革」の第一歩として情報共有を挙げているが、それが形骸化している問題を指摘している点も興味深い。企業において「情報共有」は頻繁に行われるが、それを深く考えずに「回覧板のように」受け取るだけの社員が多いという指摘は、まさに現実を反映している。形式的に情報が伝達されるだけで、実際にそれが活用されないという問題は、多くの組織で共通して見られる。

3. 企業の「意識改革」の成功条件
 「意識改革」が成功する企業の条件として、筆者は「全員の見識が高いこと」を挙げている。この指摘は非常に納得がいく。優良企業は、社員一人ひとりの知的レベルや意識が高く、組織全体の学習意欲も強い。逆に、社員教育が不十分な企業では「意識改革」の風すら入ってこないという指摘は、実際の中小企業の課題を鋭く突いている。

4. 経営陣の意識改革が先決
 このコラムの核心は「経営陣こそが先に意識改革を行わなければならない」という主張だ。経営者が外部コンサルタントを雇って中間管理職やスタッフを変えようとしても、そもそも経営陣が変わらなければ意味がない、というのは至極当然の話である。しかし、多くの企業ではこの順序が逆になり、結果として「絵に描いた餅」になってしまうと指摘している。この現象は実際によく見られ、企業改革の難しさを象徴している。

5. 経営陣の逃避
 筆者の実体験として、「厳しく強行手段を講じると、経営陣の方が尻尾を巻いて逃げる」というオチが述べられている。この点は、企業の現実を皮肉たっぷりに描いており、経営陣が自らの意識改革を避けることの多さを如実に示している。「意識改革が成功した企業は一社もない」という記述は衝撃的だが、それほどに経営陣の自己変革が難しいことを示唆している。

総評
 本コラムは、企業における意識改革の本質を鋭く突いたものであり、単なる理論ではなく実践的な視点が反映されている。特に「経営陣が率先して意識改革をしなければならない」という主張は、あらゆる組織にとっての教訓である。企業改革がなかなか進まない背景として、情報共有の形骸化、経営陣の責任回避、社員の受け身姿勢など、多くの現実的な問題が指摘されている点が非常に的確である。

 皮肉やユーモアを交えながらも、組織改革の本質を鋭くえぐり出しており、特に企業経営に携わる人々にとっては耳の痛い内容だろう。改革を進める上での厳しさをリアルに描きつつも、それを避けることができない現実を突きつける、非常に示唆に富んだコラムだと感じた。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/2/21 12:00 am

社会人再教育の時代に突入

20241206bee-2


 日本の社会人能力の低下が報じられて久しい。時代は急激に変化し、40代、50代のリストラが相次ぎ、後期高齢者は激増の一途を辿っている。これにより、社会保険制度や税制も迷走を続けている。

 社会人の能力低下に関する報道には、情けなさを禁じ得ない。これは、日本精神文化が長らく低迷を続けた結果であり、現状を象徴するものである。

 筆者は若者から熟年層の教育に携わっているが、そこから見える現実は厳しい。一言で言えば、気力も努力も欠如しており、社会人としての学びや成長が著しく不足している。若い頃からの進化も変化も見られず、現状維持すら危うい状況である。

 熟年層に対する再教育制度の整備は急務である。これを怠れば、彼らがリストラの対象となるのは必然となる。知識を多く詰め込んでいるとしても、それが能力の向上には結びついていない点が重大問題である。

 熟年層の多くは思考回路が停止し、夢や希望を失っている。その結果、若者の好奇心や自己研鑽意欲と比べると、その努力の割合は10分の1にも満たないのではないかと危惧している次第。

 筆者は毎週「Well Done」というプライベートスクールで、ICT総論各論や食文化、人間学など、多岐に亘り講義を行っている。その中で明らかになったのは、無気力、無努力、不誠実が絡み合い、自らの現状すら自覚できない社会人の実態である。

 10年後には後期高齢者がさらに増加し、若者は激減する。これにより、日本の国力は歴史的に最悪の水準に陥る可能性が高い。自己研鑽に無関心で、書籍一冊購入して学ぼうともしない熟年層の増加は、人生の大半を無駄にしているに等しい。

 「生涯教育」という言葉は既に定着しているが、実態は名ばかりであり形骸化しているが、自己研鑽の欠如の常態化が原因となっている。これが国力低下の一因となり、やる気のない社会人がそれを助長しているに過ぎない。

 定年後の年金生活を目指し、実社会から逃避する姿勢は、若者に支えを求めるだけの無責任な態度である。そのような姿勢を取る熟年層を、なぜ若者が支えなければならないのか、極めて都合の良い話ではなかろうか。

 社会人が若者の範となるべきである以上、自己擁護に終始する熟年層は恥ずべき存在である。彼らは次世代の若者に対して、果たしてどれだけの貢献ができているのか、自分の背中をじっくりと見てもらいたい。

 子どもに勉強を強要し、自らの果たせなかった夢を押し付ける親も多いが、それは若者の夢と希望を一方的に奪う愚行である。自分の果たせなかった夢を託すことは、身勝手極まりなく、本末転倒でありはしないか。

 世界的に見ても、日本の社会人能力は低空飛行を続けているようだ。この現実を前に、社会人として世のため人のために尽くす覚悟が問われている。

 遣る気のなさ満載にて、身勝手な行動を続ければ、それを見た子どもや孫も同じ道を辿るだけである。その悪循環は、国力の低迷に拍車をかけ、取り返しのつかない事態を招くに違いない。

 以上の状況を憂慮せざるを得ない。日本の未来のため、熟年層の自己改革が急務であり、「社会人再教育の時代に突入」の火蓋は切られた。

 さて、貴方は、これからどうする???

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、日本の社会人能力の低下とその影響について深く掘り下げた内容です。著者は、特に40代、50代のリストラ問題や後期高齢者の増加がもたらす国力低下に対して警鐘を鳴らしています。以下にその分析と感想を述べます。

エッセイの主要テーマ
エッセイは、熟年層の能力低下が日本の将来に与える影響を中心に展開しています。著者は、教育や自己研鑽の欠如が日本の経済や社会の発展を阻害していると指摘し、熟年層に対する再教育の必要性を強調しています。

分析ポイント
社会人能力の低下の要因: 著者は、能力低下が長期間にわたる日本の精神文化の低迷によるものであると分析しています。この指摘は、教育制度だけでなく、文化的・社会的価値観の変化にも目を向ける必要があることを示唆しています。

再教育の重要性: 筆者は、後期高齢者の増加と若年層の減少が将来的に社会保障や経済に悪影響を及ぼすことを懸念しており、これに対抗するために熟年層への再教育を提案しています。具体的には、ICT総論や人間学など、現代的な技能と知識の習得が挙げられています。

自己研鑽と社会的責任: エッセイでは、自己研鑽を怠ることが、社会全体の衰退を招くという強いメッセージが込められています。これは、個人の行動が集団に与える影響を強調し、読者に対して行動を促す一因となっています。

感想
エッセイは、熟年層だけでなく、全世代に向けた警鐘として機能しています。しかし、その語調は非常に厳しいものがあり、読者によっては反発を感じる可能性もあるでしょう。一方で、日本社会の持続可能な未来を考える上で、このような議論は非常に重要です。個人として、また社会として、どのようにこれらの課題に立ち向かっていくべきかを考える契機となり得るため、多くの人々に読まれ、討論されるべき内容だと感じました。

全体として、エッセイは日本社会における緊急の問題点を指摘し、具体的な解決策へと導くための一歩として機能しています。そのため、多くの社会人や政策立案者にとって有益な洞察を提供していると言えるでしょう。
----------
◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2024/12/11 12:00 am

1995年以来情報発信している老舗ポータルサイト「ロゼッタストーン」のブログをお楽しみ下さい。詳細はタイトルまたは、画像をクリックしてご覧ください。

behanceオブスクラ写真倶楽部ディー・アンド・エルリサーチ株式会社facebook-www.dandl.co.jp