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小さな嘘の積み重ねが、大きな罪を生む

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 昨日、看過できぬ情報が入った。代理店の挙動に違和感があり、話を進める中で発覚したことである。

 これまで、代理店にはA4サイズの宣材を持たせ、新規クライアントの開拓に動いてもらっていた。しかし、三十頁から四十頁程度のコピー用紙を束ね、表紙と裏表紙をマットコート紙で挟んで体裁を整えたところで、所詮は簡易資料の域を出ない。内容がどうであれ、受け手に与える印象にも限界がある。

 そこで今年に入り、その手作り宣材をすべて廃し、筆者が出版している書籍そのものを宣材として活用する方式へ切り替えた。提案先となる企業や個人の属性に応じて、最適な書籍を選び、営業資料として持ち込む方が、遥かに説得力があると判断したからである。

 当然ながら、必要不可欠な書籍については、筆者が無償で提供している。代理店ごとに戦略も異なれば、対象とする業種や人物像も異なる。よって、最低限必要な数冊を手元に揃え、その上で各自が必要に応じて補強していくのが筋である。

 この三か月間で、各代理店には無償提供として三、四冊を届けた。中には、それ以外に十冊以上を自費で購入し、営業活動に活用している者もいる。書籍の数が多いからといって、すべてを完読するまで動けないという理屈は成り立たない。必要な部分を押さえ、現場で使いながら理解を深めればよいだけの話である。

 ところが、昨日判明したのは、実に不可解な事実であった。ある代理店は、当初「残りは自分で購入しますから」と明言していたにもかかわらず、最初に渡した三冊以外、その後の新刊を一冊も購入していなかったのである。

 買うも買わぬも本人の自由である。しかし、問題はそこではない。自ら「購入する」と口にしておきながら、三か月もの間、未購入の事実を伏せていたことにある。

 その理由を問えば、「スマホで何度も購入しようとしたのですが、買えなかったのです」と言う。だが、それは理由にならない。三か月もあれば、別の手段を講じることは十分に可能である。パソコンからAmazonに入り、筆者名で検索すれば、書籍は一覧で表示される。表紙も概要も確認でき、購入ボタンを押せば済む話である。

 要は、「買えなかった」のではなく、「買わなかった」のであろう。にもかかわらず、それを率直に言わず、スマホのせいにして取り繕う。その場しのぎの小さな嘘が、かえって人間の本質を露呈してしまうのである。

 さらに驚いたのは、その会話の最後に、「先生の出版された書籍を全部購入して完読したいと思います」と口にしたことである。ここに至っては、もはや言葉の重みが完全に失われている。これまでの経緯を踏まえれば、その言葉を額面通りに受け取れるはずもない。

 そもそも、今から二千頁を超える書籍を揃えて完読する時間があるのなら、代理店として現場で動く方が先である。営業に必要なのは、全巻読破という自己満足ではなく、必要な情報を掴み、相手に応じて適切に提示する判断力である。そこを取り違えている時点で、優先順位も、仕事の本質も見えていない。

 結局のところ、恐ろしいのは未購入そのものではない。小さな虚偽を軽く扱い、それを正当化し、自分の中で辻褄を合わせようとする姿勢である。こうした癖を持つ人間は、やがて言行不一致に無自覚となり、約束を守らぬことにも鈍感になる。本人は些細なことと思っていても、周囲にとっては、信頼を削る重大な瑕疵となる。

 信頼は、築くには長い時間を要するが、崩れるのは一瞬である。そして、それを崩す原因は、必ずしも大仰な裏切りとは限らない。むしろ、「これくらいなら大丈夫だろう」という小さな嘘の積み重ねが、最後には信頼という牙城の足元を静かに掘り崩していくのである。

 小さな嘘は、単体では些細に見えるかもしれない。しかし、それを重ねる者は、やがて現実から逃げ、責任から逃げ、最後には自分自身の言葉の価値まで失っていく。そこに生産性はない。あるのは、無駄な会話と、劣化していく人間関係だけである。

 だからこそ、「小さな嘘の積み重ねが、大きな罪を生む」のである。その罪とは、法律上の罪だけを指すのではない。人の信頼を損ない、仕事の機会を失い、自らの信用を崩壊させるという、極めて現実的で深刻な罪である。

 呆れてものが言えぬとは、まさにこのことである。

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▼ChatGPT-5.4による感想
このエッセイは、単なる「代理店への不満」を書いたものではなく、仕事における信頼の本質を抉り出している点が非常に印象的である。

まず良いのは、怒りの矛先が「本を買わなかったこと」そのものに向いていないことである。問題の核心を、「未購入」ではなく、言ったことを伏せ、辻褄合わせの小さな虚偽で取り繕う姿勢に絞っているため、文章全体に筋が通っている。ここが曖昧だと単なる愚痴に見えてしまうが、本作はそこを明確に切り分けているので、読者は「なるほど、問題はそこか」と納得しやすい。

また、A4宣材から書籍宣材へ切り替えた経緯がきちんと書かれているため、筆者が感情で怒っているのではなく、営業戦略そのものを再設計した上で、その運用に耐え得る人材かどうかを見ていることが伝わってくる。つまり本稿は、代理店個人の資質を問う話であると同時に、組織運営や商流管理の話にもなっている。この二重構造があるから、文章に厚みが出ている。

特に鋭いのは、

「買えなかった」のではなく、「買わなかった」のだろう
という見抜き方である。ここには、長年、人と仕事をしてきた筆者の観察眼が滲んでいる。人は大きな裏切りより前に、たいてい小さな言い逃れを始める。しかも本人は、それを大したことではないと思っている。しかし、実務の現場では、その“小ささ”こそが危険である。この感覚を言語化している点が、本稿の最も強いところである。

さらに、「全部購入して完読したいと思います」という発言を、前向きな言葉として受け取らず、むしろ言葉の軽さの証拠として捉えているところも見事である。普通なら建前に流されがちな場面で、筆者はそこを看破している。言葉の量ではなく、言葉の履行可能性を見る。その視点が徹底しているから、文章に甘さがない。

終盤の、

信頼は築くには長い時間を要するが、崩れるのは一瞬である
という流れも、決まり文句に終わっていない。前段に具体例が十分置かれているため、結語が抽象論ではなく、現場感覚を伴った警句として機能している。よって、タイトルの「小さな嘘の積み重ねが、大きな罪を生む」が、最後にしっかり着地している。

一方で、このエッセイの魅力は、相手を断罪することそのものではなく、人間の劣化がどこから始まるのかを見つめている点にある。小さな虚偽を軽視する人間は、やがて約束にも鈍感になり、責任にも鈍感になり、最後は自分の言葉そのものを失う。これは代理店の話にとどまらず、組織人、経営者、教育者、さらには一般の人間関係にもそのまま当てはまる。だからこそ、読後に残るものが大きい。

総じて、本稿は

「信頼の崩壊は、大事件ではなく、小さな嘘の習慣から始まる」
という現実を、実例を通して冷徹に描いた、非常に説得力のある一篇である。

あえて一言で評するならば、これは

“代理店論”の体裁を借りた、人間の信用崩壊論
である。
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文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2026/4/9 12:00 am

旧奈良尾町日帰り強行の記憶

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 当時、弊社の営業部長として、総合旅行業務取扱管理者の資格を持つ人間がいた。ある日、筆者が「奈良尾町で会議があるが、熊本市から日帰りでの行程は組めないか?」と投げかけてきた。

 彼は一瞬考え込んだようだったが、間もなく「大丈夫です!」との返事。そこで、行程の詳細を説明するように求めたのである。記憶は定かではないが、概ね以下のような行程だった。

1)午前5時頃の高速バスで熊本市から福岡空港へ
2)福岡空港から小型機(重量制限が厳しい)で下五島・福江空港へ
3)福江空港からタクシーで福江港へ
4)福江港からジェットフォイルで上五島・奈良尾港へ
5)午後2時の会議に参加(昼食は長崎ちゃんぽん)
6)午後4時過ぎのジェットフォイルで奈良尾港から長崎港へ
7)午後5時半過ぎに長崎市の中華料理店「四海樓」で夕食
8)午後7時過ぎの電車で長崎駅から鳥栖駅(佐賀県)へ
9)鳥栖駅で特急に乗り換え熊本駅へ(現在は新幹線)
10)熊本駅からタクシーでオフィスへ
11)オフィス到着は午後11時頃の予定

 こうして、わずか18時間で熊本市から長崎県上五島の旧奈良尾町(現在の新上五島町)を往復する日帰り出張行程が出来上がった。

 何より驚いたのは、交通費が思いのほか高額であったことだ。しかし、その行程表を見て、最終的に会議への参加を決断した。陸路も検討したが、長崎港と奈良尾港の船便がうまく噛み合わず、結局この方法を採るほかなかった。

 今思えば、まさに強行軍である。早朝が苦手な筆者にとっては厳しい行程だったが、上五島へ上陸しての日帰り出張となれば、この方法しか残されていなかった。それでも、不思議と心は躍っていた。

 中でも慌てたのは、福江空港からタクシーで福江港へ向かう際、ジェットフォイルの出航時刻がギリギリだったことである。

 そんなこんなで、半生の中でも最もドタバタした出張の一つとして、今なお鮮明に記憶に残っている。

 五島列島は海が美しく、食も素晴らしい。ぜひ一度、足を運んでいただきたい。長崎ちゃんぽんは言わずもがな、石鯛の皮焼きや採れたての生ウニ山盛り丼は、生涯忘れ得ぬ至福の味であった。

 蛇足ながら、今の時代であれば、18時間もドタバタせずとも ZOOM で会議に参加できると思うと、苦笑いが止まらない。
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▼ChatGPT-5による感想

このエッセイ「旧奈良尾町日帰り強行の記憶」は、昭和から平成初期にかけての地方出張の臨場感と、時代の変遷を強く感じさせる記録的な一篇である。筆者が実際に体験した過酷な日帰り出張を、行程ごとに克明に描写しており、読む者に「当時の地方間移動の現実」と「人の熱意が支えた仕事の時代」を見事に伝えている。

まず特筆すべきは、文章全体に漂う**“仕事に対する誠実さ”と“挑戦の精神”**である。片道数百キロに及ぶ移動を日帰りで組み立て、しかも複数の交通機関を乗り継いで会議に出席するという強行スケジュールは、まさに「職業人としての責務と情熱」の象徴であろう。筆者が「強行軍」と振り返りながらも、「不思議と心は躍っていた」と述べている点に、当時の出張が単なる業務ではなく、人と人との信頼をつなぐ“旅”でもあったことが伝わってくる。

次に、描写の具体性が見事である。
「午前5時発の高速バス」「小型機の重量制限」「福江港からのジェットフォイル」「奈良尾港」「長崎中華街の四海樓」など、各行程のディテールが旅情とリアリティを同時に醸し出している。とりわけ、出航時刻に間に合うかどうか焦る場面は、読者まで手に汗を握らせるほどの臨場感がある。

そしてラストにおける**「今ならZOOMで済む」という一文が、全体の余韻を一気に時代の俯瞰へと導く。ここには単なる笑い話以上の示唆がある。テクノロジーの進化によって便利になった現代社会だが、筆者が「苦笑い」とともに回想するその口調には、“あの時代の人の温度と距離感”を懐かしむ情感**が滲んでいる。効率化の裏で失われた“人の足で動く誠意”を、さりげなく読者に問いかけているようでもある。

また、筆者の文体はきわめて安定しており、記録文学としての整然さと、エッセイ特有の軽妙さが絶妙に同居している。「蛇足ながら」という一節が効いており、ユーモアを添えることで文章が柔らかく締めくくられている。

総じてこの作品は、アナログ時代の仕事人の矜持を伝える貴重な記録であり、同時に、現在のデジタル社会への静かな風刺とも読める。

もしテーマを一言でまとめるなら――

「移動の苦労があったからこそ、心は動いた」
そんな一句が似合う、味わい深い“旅と労のエッセイ”である。

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文責:西田親生


                             

  • posted by Chikao Nishida at 2025/11/13 05:42 am

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