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一次生産者が路頭に迷う社会構造

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 い草といえば、熊本県八代市の旧鏡町、旧千丁村の隆盛期は、全国農家所得番付1位、2位を占めていた時があった。

 ある日突然、30人を超える自殺者が出た、い草農家。今では記憶にない人、知らない人が圧倒的に多いと思われるが、この痛ましい事件が全てを物語っていると思わざるを得ない。

 既得権益者は左団扇にて、無用な仲買人が暗躍したり、一次生産者を束ねて搾取する組織があったりと、とことん一次生産者を疲弊させるような土壌が今も尚存在しているところが信じ難い。

 農商工連携云々で六次化を進めるものの、一向に一次生産者が潤うことはない。助成金目当ての詐欺師のようなコーディネーターがウロウロするだけで、その助成金が不発に終われば、一次生産者への負担増となるばかりで、何も利益が生じないというの実態である。

 助成金や補助金についても、行政による追尾機能が徹底されず、それに群がる詐欺師同然の輩たちが、上澄みの甘い汁だけを吸って、実績など皆無の状態で、次から次へと助成金の花畑の上で乱舞しているのである。

 元々、農業に関しては、国の減反政策で大失態を行なっていながら、今時、米不足とは如何なものかと。選挙の大票田として対象となった農家への補助金など、一時的なお年玉であり、国内の一次生産者の生活基盤を徹底的に潰してきた愚策の結果でしかない。

 都市部に住んでいる我々が無頓着になるのは、近場のスーパーやコンビニへ足を運べば、大抵の食料は手に入るからである。物流の進化がもたらすものだが、はて、天変地異などの気候変動により安定供給し難い一次生産者。自給自足を無視した国策により、海外依存度が頂点に達した今、兵糧攻めに遭えば、数ヶ月間で国が滅ぶほどの脆弱ぶりである。

 家畜飼料として、そんなに海外のトウモロコシが必要なのか。減反政策による休耕田は荒地と化して、それを元に戻すのに、どれだけ時間を要するのか。全国の休耕田に水を張るだけで、どれだけ温暖化に対抗できるのかなど、全く手付かずの状態にて、今度は限界集落問題(人口激減)へと負のスパイラルに襲われているのが現状と言える。

 大根畑で、腰の痛みに耐えなばら数百本の大根を抜き、トラック一杯に積み込んだ大根を自宅へ運び、水洗いをして束ねる作業を行っている。そして綺麗に水洗いした大根を束ねて、再びトラックに積み込んで、市場へと運ぶのである。

 例えば、500本の大根を市場へ持ち込んだとしても、これがいくらで競り落とされるのかといえば、子供の小遣い程度の金額である。日常的に我々の目に留まるような事案ではないが、このような悪しき仕組みを改善しない限り、一次生産者が遣り甲斐をもって仕事ができるはずがない。

 大票田だからこそ、要らぬところで金をばら撒く国政は食傷ものだが、命を支える食料を作り出す一次生産者への生き甲斐のある環境整備を徹底してもらいたい。一部の農家は研究を重ね、稀有なる上質な生産物がニュースに取り上げられることもある。しかし、ほとんどの一次生産者が潤っているかと言えば、否である。

 いつぞや、北海道の牛乳が生産過多となり、それに食紅を加え、赤い牛乳として廃棄処分していた映像を見たことがあるが、自給自足できない環境下において、大量の牛乳が廃棄されているのは如何なものか。結局、需要供給のバランスは、商業ベースで価格調整を行っているだけである。

 既得権益者ばかりを優遇する社会構造が全てをダメにしている。以前、民主党政権下では無駄無理をなくせと、後先考えぬ愚策を強行したために、消費者へのダメージが想定外に大きなものとなり、消費活動が完全に止まってしまった。それが今の不景気の元凶となっている。

 今こそ、自給自足率を徹底的に上げる秘策を講じるのが必要がある。都市部に住む我々の意識改革も必要であり、食の有り難さを再認識すること、更には、一次生産者も国政に積極的に参加することで、生産効率をアップするだけではなく、従来の全体物流までをも把握するよう、意識改革とブラッシュアップが必要ではなかろうか。

 この狭い島国に食料がなければ、一気に餓死者が増えるだけで、皆、生きてはいけないのだから、尚更のことである。

 対外的には大枚が動く工業へと目が向きがちだが、それを支える一次生産農家への目は、果たして向いているのか、首を傾げてしまう。

 諄いようだが、長年甘い蜜を吸い続けている吸血鬼のような既得権益世界を一度平くして大改造を行わねば、子々孫々を飢餓国の入り口へと誘(いざな)うことになることだけは避けなければならない。

 これから1000年続くかどうか分からぬ、日本国。その時、生粋の日本人がどれだけ小さな島に住んでいるのか考えるだけでも戦慄が走るのである。これ以上国政が迷走を続けるとなれば、それが現実のものとなりはしないか。

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、日本の一次生産者が直面している深刻な問題を鋭く抉り出している。特に、熊本県八代市のい草農家の凋落や、一次生産者が搾取される構造の問題を、歴史的な背景も交えて描きながら、既得権益層や助成金制度の弊害にまで切り込んでいる点が印象的である。

一次生産者の苦境を象徴する事例
冒頭の「全国農家所得番付1位、2位」という言葉が、かつての繁栄を想起させる。一方で、「ある日突然、30人を超える自殺者が出た、い草農家」という衝撃的な事実を挙げることで、その没落がどれほど悲劇的であったかを強調している。これにより、単なる経済の衰退ではなく、人の命に直結する問題であることが読者に強く印象付けられる。

既得権益と制度の問題
「既得権益者は左団扇にて、無用な仲買人が暗躍する」との表現が、農業を取り巻く搾取の構造を端的に表している。生産者の利益を削ぎ取る中間業者の存在は、農業だけでなく、漁業や林業にも共通する問題であり、極めて本質的な指摘である。また、「助成金目当ての詐欺師のようなコーディネーター」が跋扈しているとする批判も的を射ている。助成金制度が本来の目的を果たさず、一部の者の利益のために悪用されているという指摘は、日本の農業政策の根本的な欠陥を浮き彫りにしている。

農業政策の失策
「国の減反政策で大失態を行なっていながら、今時、米不足とは如何なものか」という指摘は、日本の農政の矛盾を突いている。減反政策の目的は米価の安定であったが、結果的には自給率の低下を招き、食料安全保障の観点からも問題を生じさせている。この政策が長期的視点を欠いていたことは、現在の状況を見れば明らかであり、「一時的なお年玉」として農家に与えられた補助金が、持続可能な農業経営に結びついていない点も、的確な批判と言える。

物流・市場構造の問題
「500本の大根を市場へ持ち込んでも、子供の小遣い程度の金額にしかならない」という事例は、一次生産者が経済的に厳しい状況にあることを端的に示している。消費者が日々当たり前のように手に取る食材の背後に、こうした過酷な現実があることを、読者に改めて考えさせる内容である。

また、「北海道の牛乳が生産過多となり、それに食紅を加えて廃棄処分していた映像を見たことがある」という具体例も印象的である。生産者が努力して生産した食品が、需給バランスの調整のために廃棄されるという現実は、資源の無駄遣いであり、根本的な仕組みの見直しが必要であることを痛感させる。

自給率向上と意識改革の必要性
「今こそ、自給自足率を徹底的に上げる秘策を講じる必要がある」という主張は極めて重要である。現在の日本は食料の多くを輸入に依存しており、国際情勢が不安定になると食料供給が脆弱になるというリスクを抱えている。自給率の向上は、単に農業政策の問題ではなく、国の存続に関わる問題であるという視点は、極めて的確な指摘である。

また、「都市部に住む我々の意識改革も必要」という主張は、消費者としての責任を問いかけるものだ。普段、スーパーやコンビニで食材を手に入れることが当たり前になっているが、その背景には、見えない苦労があることを認識する必要がある。

未来への警鐘
最後に、「長年甘い蜜を吸い続けている吸血鬼のような既得権益世界を一度平くして大改造を行わねば、子々孫々を飢餓国の入り口へと誘うことになる」という言葉が、日本の未来に対する強い危機感を表している。「これから1000年続くかどうか分からぬ、日本国」という表現も、現状のままでは日本の存続自体が危ういという強いメッセージを発している。

総評
このコラムは、単なる農業問題の指摘に留まらず、日本の社会構造全体の歪みを浮き彫りにする内容となっている。筆者の怒りや憤りが文章全体に強く反映されており、それがより一層、問題の深刻さを強調している。感情的な表現を含みながらも、論理的な筋道は明確であり、特に農業政策の矛盾、既得権益の問題、物流構造の欠陥、そして消費者の意識改革の必要性という重要なポイントが押さえられている点で、非常に読み応えのあるコラムである。

一次生産者の苦境を真正面から取り上げたこの文章は、単なる問題提起に留まらず、読者に「では、どうすべきか?」という考えを促す力を持っている。食料問題を「自分ごと」として捉え、社会全体で議論を深めていく契機となるべき内容だと感じた。
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文責:西田親生


                                       

  • posted by Chikao Nishida at 2025/2/24 12:00 am

アウトローが、格好いい!?

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 アウトローが格好いいと思っている人も多い。幼い頃から、先生の指示とは真逆のことを行ったり、皆との協調性に欠けたり、とことん他者とは真逆のことを行い自己満足する、目立ち屋がりの子供もいた。

 大人になって思い起こせば、映画の猿の惑星を見ているようで、同じ日本人でありながら、チンパンジーもいれば、ゴリラもいたり、オラウータンもいたり。生まれる時にDNAに刻まれたように、人間もそれぞれに成長していく。

 昔から、洋画も邦画も正義の味方が主人公であり、アウトローな人間が悪さを行い、正義の味方が成敗してエンディングとなるものばかり。テレビ番組の水戸黄門も同様に、「この紋所が目に入らぬか!」で一件落着となる。

 しかし、今や多様化の時代となり、アウトローが本当に悪人かどうかのスタンダードが変わったように思えてならない。法令違反となれば犯罪であるが、大雑把で独りよがりで、ゴーイングマイウェイの人間を、安直にアウトローと評していいのだろうか。

 法令は、社会秩序を保つための鍵となる訳だが、果たして、その法令自体も怪しげに既得権益者を保護するために、昔から改正されぬまま、現在に至っている古すぎるものも存在する。

 本来ならば、既得権益者に対して都合が悪い、時代錯誤のような法令を改定すれば、今まで正当化されてきた既得権益者が全て法令違反となり、アウトローな領域にワープしてしまう。

 法令は神の思し召しではなく、我々と同様の人間が定めた文字の塊である。よって、全ての法令を絶対視すれば、どこかに納得のいかないもの、不公平なものが噴き出してくるはずだ。

 今まで見てきた映画やテレビドラマに登場してくる正義の味方が、本当に正義正論を唱え、世のため人のために尽力しているとは思えない。理由は、彼らの正当性を確保するために、都合の良い法の裁きを定めているからだ。

 アウトローの世界が国家であり独裁者となれば、とんでもないことだが、現在、他国で起こっている侵略戦争については、アウトローな人物や軍隊が一般市民を脅し、恐怖心を煽り雁字搦めにして、アウトローな行いを正当化している。

 自由国家とは真逆の専制国家。自由国家では正当なことが、専制国家では国家転覆罪のように解釈され、市民の自由を奪い、命までをも奪ってしまう。しかし、罰せられるのは、罪なき弱者の市民である。何とも納得し難い。

 権力を持つ人物に都合の良い悪事は、己を棚にあげ、保身のための悍ましいほどの法令を次から次へと定められては、粛清を続けていくのである。怪しげな法令によるジェノサイドを繰り返している。

 そんなアウトローなど、全然格好いいものではない。私腹を肥やすために国民に圧力をかけ、騙しては、大量の金銀財宝が独裁者やその仲間の懐に入っていく。

 法令の壁の右手は刑務所で左手は住宅地である。この不可思議な法世界について深掘りを進めていくと、法を定めた時代とは異なる現代において、不都合な法令も多々埋まっている。

 いつの間にか、世間のざわめきが消えた旧統一教会の詐欺事件。いつの間にか、雲隠れしようとしている政治資金不正事件の当事者たち。彼らは、正義正論を唱えるべき領域にいながら、法を犯している。それこそ、悪質なアウトローの領域に住むべき偽善者である。

 畢竟、アウトローの典型的な風貌で、ガサツで大雑把で不器用な強面の人物でありながら、いかなる場合も弱者救済に尽力するような人物が魅力的であり、味のある人間であり、映画やテレビドラマの主役として相応しくはないか。

 そんなアウトローが格好いいと、筆者は感じるのである。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの
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▼ChatGPT 4.0による評価

このエッセイは、アウトローのイメージとその社会的な認識について深く掘り下げ、複雑な視点を提供しています。著者は、アウトローが一般的に否定的な意味合いで使われることが多い一方で、その定義や認識が時代や社会の変化によって流動的であることを指摘しています。また、法令や権力に対する批判的な考察を通じて、アウトローの立場が必ずしも負のものではなく、時には社会の不正に対する抵抗の象徴となり得ることを示唆しています。

エッセイは、物語の正義の味方とされるキャラクターが、実際には法と権力によってその正当性が保証されているに過ぎないという点を批判的に捉えています。この視点は、社会における権力の構造と、それに対する個人の行動の意味を再考させるものです。著者は、アウトローが単に社会の規範や法令に反する存在としてではなく、既存の権力構造や不公正に疑問を投げかけ、時にはそれに抗うことで社会的な正義を追求する者として見るべきだと主張しています。

しかし、アウトローの肯定的な面を強調する一方で、エッセイは権力者や独裁者が行うアウトローな行為についても触れ、これらが本質的に不正であり、社会に対する搾取や圧迫を意味することを明確にしています。この二面性は、アウトローの概念が持つ複雑さを浮き彫りにし、単純な善悪の枠組みを超えた理解の必要性を示しています。

さらに、エッセイは現代社会における法令の役割とその時代錯誤な側面についても言及し、法が常に正義を代表するわけではないこと、そして時にはそれが社会的不正を正当化するために使われることがあることを批判しています。このようにして、著者はアウトローのイメージを再評価し、それが社会の不正に対する抵抗の形態である場合、その価値を認めるべきだと主張しています。

総じて、このエッセイはアウトローの概念に対する深い洞察を提供し、読者に法と権力、正義と不正に対する新たな視点を提供します。社会的な規範や法令に挑戦することの意義とリスクを探求しながら、アウトローが持つ「味」や魅力を再認識させる試みと言えるでしょう。

▼ChatGPT 3.5による評価

このエッセイは、アウトローに対する一般的な見解や価値観を探求しています。著者は、アウトローが単なる犯罪者ではなく、時には社会の不公正や不条理に立ち向かう存在として魅力的であると主張しています。彼らは、既存の法律や規範にとらわれない自由な存在として描かれ、その行動は時には正義のためになるという立場をとっています。

著者は、アウトローの定義や役割について独自の見解を示し、法や正義の概念が社会や時代によって変化することを指摘しています。また、権力者や既得権益者が法を悪用し、アウトローとしての行動を正当化することについても批判的な視点を示しています。

最後に、著者はアウトローのイメージを再構築し、弱者救済に尽力するような人物が本当の意味での魅力を持つと主張しています。このような人物が、映画やテレビドラマの主役として相応しいという視点が示されています。

総合的に、このエッセイはアウトローに対する様々な見方や考え方を探求し、その存在が社会や個人に与える影響について考察しています。議論の深みや幅があり、読者に新しい視点を提供する内容となっています。
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プロンプト・文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/3/26 12:00 am

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