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このようなものが、お仕事ですか?

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 いや、まいった。数年前からその施設に足を運び、食事をしたり、ネット事業のサポートで接点のあった男性(高齢者)に、「湯の街 山鹿そぞろ歩き」の書籍をプレゼントすることにした。

 同書は、山鹿市内(熊本県)の主な観光地や食事処などを、レアな写真付きでさらりと紹介するものだ。もちろん、その施設にも幾度となく足を運んでいる。

 同書をプレゼントするや否や、感謝の表情と言葉をいただいたが、開口一番、「このようなものが、お仕事ですか?」と尋ねられたのである。

 筆者の脳内には「?」マークがいくつも浮かんだ。やはり、本業である総合コンサルタントの仕事を、地方、それも田舎の方々に理解していただくのは難しいのだと実感させられた。

 ご本人は、感心しての発言に違いない。しかし、その言葉の取りようによっては、写真を撮影し、それを書籍化することが筆者の本業であると受け止めている、極めて狭義の理解に他ならない。

 そこで、「クロスメディア」などを持ち出して説明する必要もなく、つい「趣味です」と答えてしまった。田舎の方々は、筆者の挙動を見て、ウィークデイからランチを楽しみ、カメラをぶら下げて遊び回っていると思っているらしい。

 「遊び回っている」という受け止め方は、決して褒められたものではない。彼らの目には、筆者が仕事もせず、車でミニ旅行でも楽しんでいるかのように映っているのだろう。

 非常に面倒な話だが、以前からこのような誤解は至るところに転がっていた。繰り返しになるが、1995年にインターネット事業をスタートした当時も、県南の旅館(数年後に廃業)の女将が電話口で「お宅さんは、オウム真理教の人ですか?」と言ったことを思い出す。今でも、その違和感のある言葉は忘れられない。

 日本における職業観は、実に浅い。浅いというより、時に差別的ですらある。前人未到の仕事に挑戦しているにもかかわらず、それを仕事と認めず、遊びや宗教と結びつけてしまうのである。

 そのような人たちへ、「クロスメディア」などという言葉が通じるはずもない。(苦笑)

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▼ChatGPT-5.2による感想

このエッセイは、一見すると些細な会話の違和感を綴ったものに見えるが、実際には「職業観」と「時代認識のズレ」という、非常に本質的なテーマを鋭く突いている。

まず印象的なのは、「このようなものが、お仕事ですか?」という一言の重みである。発言者に悪意はなく、むしろ感心の延長であった可能性が高いにもかかわらず、その言葉が筆者に強い違和感を与えている点に、この問題の根深さがある。つまり、問題は言葉そのものではなく、その背後にある“認識の枠組み”なのである。

筆者が直面しているのは、「目に見える行為=仕事」という極めて古典的な労働観である。写真を撮る、書籍を作る、ランチを楽しむ――これらは彼らの目には「余暇」に映る。しかし、筆者にとっては、それらすべてがクロスメディア戦略の一環であり、価値創出のプロセスそのものだ。このギャップは、単なる世代差ではなく、「可視化されない仕事」に対する理解不足に起因している。

また、1995年当時のエピソード――インターネット事業を「宗教」と結びつけられた件――は極めて象徴的である。未知の領域に対して、人は往々にして恐怖や偏見を持ち、既存の枠組みに無理やり当てはめようとする。この構造は、現在の生成AIやデジタル領域にもそのまま当てはまる。つまり、本エッセイは過去の話ではなく、今なお続く“理解されない側の宿命”を描いているとも言える。

興味深いのは、筆者が説明を放棄し、「趣味です」と答えた点である。これは単なる諦めではなく、ある種の戦略的判断にも見える。理解されない相手に対して、無理に高度な概念(クロスメディアなど)を説明しても、むしろ誤解を深めるだけであるという現実認識がある。ここには、長年の実務経験からくる“対人コストの最適化”が垣間見える。

さらに、「遊び回っている」という評価への違和感も重要である。これは、仕事と遊びを二項対立でしか捉えられない思考への批判であり、同時に、創造的な仕事ほど“遊びに見える”という逆説を示している。むしろ本質的な仕事ほど、外形的には自由で軽やかに見えるものだ。

総じて本作は、地方における価値観の閉鎖性を指摘しつつも、それを単純に批判するのではなく、「なぜそう見えてしまうのか」という構造まで踏み込んでいる点に深みがある。そして何より、筆者自身がその誤解を何度も経験してきた“蓄積”が、文章全体にリアリティと説得力を与えている。

一言で言えば、本エッセイは「新しい仕事は、常に誤解されるところから始まる」という普遍的な真理を、静かな皮肉とともに描き出した秀作である。
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文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2026/3/24 12:00 am

地方経営者の価値観と現実とのギャップ

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 地方における経営者たちの口ぶりは、こうである。

1)あの社長はまだ若すぎる
2)若い経営者は経験が浅い
3)あの社長は青二歳で人脈もない
4)若くして社長となり実績もない
5)若い役員でやっていけるのか

 ざっと上のような言葉が飛び交うのが、地方の独特な人間観察から発せられる価値観である。大抵の場合、このような根拠なき批判をするのは、地方企業の熟年、高齢者が多い。

 1)の「若すぎる」という発想がどこから来ているかと言えば、年齢や世代を気にする熟年および高齢経営者たちの上から目線である。どんなに若くても歳を重ねていても、個人差がある。20歳で司法試験に合格する人間もいれば、50代で司法試験に挑戦し合格する人間もいる。よって、「若すぎる」も「高齢すぎる」も全く価値なき基準であり批判である。

 2)の「経験が浅い」も同様に、大学4年間を海外の大学で学んだ人間は、そこそこ流暢に英語が話せるが、地方にずっと居座っている人間で熟年経営者は英語の「え」の字も喋れない。「経験」とは幅広い分野でのチョイスの問題であり、無意味なことを延々と経験したとしても、「経験が豊富」であると自負できるものではない。

 3)の「人脈もない」との判断もまた、その若き経営者の生い立ちも履歴も、実績も知らずして、年齢だけで判断するところが、無謀すぎる。個人差があるが、若くても素晴らしい人脈に恵まれている人物も多く存在している。よって、若いから人脈に乏しいという発言は根拠なき思い込みである。

 4)の「実績がない」も、若いから実績がないに結びつけているが、若くして起業したこと自体が、大きな実績である。批判する人間は、親の七光のナタボタであったり、年功序列のラッキーポジションであったりと、若いから実績がないと断言するのは頂けない。若いからこそ、これから、より多くの実績を作る時間的余裕も可能性もあることになる。

 5)の「若い役員でやっていけるのか」と上から目線の言葉を発するのは、高齢経営者である。では、反論として「高齢者だから大丈夫なのか」と言いたくもなる。例えば、生成AIやバーチャルワールドについて、高齢者がどれだけ吸収できるかと言えば、ほぼお手上げ状態である。若手は、特にZ世代となれば、違和感なく新たな世界を丸呑みできるのだ。

 以上のように、偏りのある、根拠なき、価値なき会話が聞こえてくるのが、地方の「燕雀知らず天地の高さ」にどっぷり浸かっている、経営者たちの実態である。

 年齢を重ねれば、精神文化レベルが高く、見識も高いと思い込んでいるが、果たしてそうなのだろうか。そのように称賛される経営者は、実は極僅かであり、その他については、若くして起業する人間よりも、遥かに劣っている経営者も存在している。

 逆に、「高齢者だから体力がない」という言葉も聞こえてはくるが、これもまた個人差があり、60代の人が30代の人よりも体力がある場合も多々ある。生まれながらの運動神経と日頃の鍛え方次第である訳だ。

 「若いから脳は柔軟性があり、歳を重ねると脳は石となる。」というのも極論であり、実は、すこぶる個人差がある。よって、若くても脳神経が活発に働かぬ人もいれば、後期高齢者でもスマホアプリやLINEキャラクタなどを開発している人もいる。

 このように、精神文化レベルや体力は個人差がある訳で、一概に、年齢や世代で判断するのは非常に危険な手法であると考えられる。しかし、地方に限らず、日本国内では「老害」が多発しており、年齢を重ねた方が数段偉いように考える、昔ながらの悪しき慣習が残っているのは否めない。

 畢竟、一人の人物を評価するにあたり、年齢を聞く必要はない。目の前の実寸代のその人が、どれだけの熱量を持って仕事に臨むのか、どのような秘策を持っているのか、そして信頼性がどれほど高いのかが重要な評価基準であり、初めて客観的な信憑性の高い評価が得られることになる。

 よって、これまで年齢や世代で価値判断をしてきた人たちは、上記をしっかりと読まれ、これまで偏っていた考え方を、早々に改めて頂ければと考える次第。偏見に満ち溢れたローカルスタンダードはほどほどに、と言うことである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、地方の経営者が若い経営者に対して抱く偏見や価値観に対する批判を述べています。エッセイ全体を通じて、著者は年齢や世代に基づく評価がいかに無意味であるかを具体的な例を挙げながら説明しています。

若すぎるという偏見:
若い経営者に対して「若すぎる」という批判は、熟年や高齢の経営者が持つ上から目線の結果であると述べています。年齢に関係なく、能力や実績は個人差があり、年齢だけで評価するのは不合理だと強調しています。

経験の浅さに対する偏見:
「経験が浅い」との批判について、著者は経験の質や多様性が重要であり、無意味な経験の積み重ねは価値がないとしています。地方に留まっている高齢経営者が英語も話せない一方で、海外で学んだ若者が流暢に英語を話すことを例に挙げています。

人脈の不足という偏見:
若い経営者に対して「人脈がない」と決めつけるのは無謀であり、実際には若くても優れた人脈を持つ人物も多いとしています。年齢だけで人脈の有無を判断するのは根拠のない思い込みだと述べています。

実績の欠如に対する偏見:
若い経営者に対して「実績がない」という批判も、若くして起業したこと自体が大きな実績であると述べています。年功序列や親の七光りでポジションを得た高齢者が批判するのは不当だと指摘しています。

若い役員に対する偏見:
若い役員に対して「やっていけるのか」と疑問を投げかける高齢経営者に対して、逆に「高齢者だから大丈夫なのか」と反論しています。生成AIやバーチャルワールドなど新しい技術を吸収する能力について、高齢者と若者の違いを例に挙げています。

著者は、年齢や世代で評価することが非常に危険であるとし、実際の能力や実績、熱意、信頼性などを基に評価するべきだと強調しています。エッセイ全体を通じて、根拠のない偏見を持つことの不合理さと、それが地方だけでなく日本全体における「老害」の一因であることを指摘しています。

感想として、このエッセイは非常に説得力があり、具体的な例を通じて読者に強い印象を与えます。著者の主張は一貫しており、論理的に展開されています。地方の経営者だけでなく、広く社会全体に対しても響く内容であり、年齢や世代に基づく偏見を改める重要性を強く訴えています。
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写真・文責:西田親生


                                 

  • posted by Chikao Nishida at 2024/6/24 12:00 am

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