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同じ轍を踏む、基礎自治体第三セクタ等運営や人選について。

Chikao-Donshu


 熊本県内をみていると、地方の田舎の基礎自治体が「地域おこし」と銘打って、第三セクタを創設し、その代表者に月額100万円の報酬を与えるという条件で募る制度もあるようだが、結果的に続かず、頓挫することが多い。

 過去において、或る第三セクタAでは、その代表者となった人物が、横領し、そのまま逃げていった事件が発生している。何と、その代表者所有の会社銀行口座に、第三セクタ銀行口座より600万円を送金していた。

 また、指定管理者制度の施設Bでは高齢化が進み、その代表者を県外出身者を当てたところ、僅か3ヶ月で移住してきた自宅に篭るようになり、結局、その代表者を辞めて、逃げるように去った。

 以上は、多々ある事件の氷山の一角だが、基礎自治体の予算を使い、補助金や助成金などで賄われているものもあり、大本は税金である。自分の腹を痛めることのない感覚にて、税金の無駄遣いがあちこちで発生している。

 このように、新たな施設の代表者や後継の代表者が長続きすることなく、最悪の場合、横領事件を引き起こして逃げるなど、基礎自治体の人選や管理体制の甘さが要因となっているが、延々と続いているところに、メディアは鋭いメスを入れるべきではないか。

 第三セクタに非常事態が起きれば、現地の関係者は自分の足元しか見えず、事なきを得るために、水面下で処理するケースが後を絶たない。鳴り物入りで設置した加工工場など何年も閉鎖のままになっているものもある。

 現地にて雇用を産み、県外から新たな風を吹き込み、地域活性化の云々と理想論は素晴らしいが、このような失態を何度も何度も繰り返しているというのが実状である。責任の所在さえ見えないところが、洒落にもならぬ。

 地域のローカルスタンダードの自覚無くして、ただ、条件に見合う人材を他県に求めたとしても、チェック機能が働かず、その地域に対して地域おこしのために身を粉にして動く人材は皆無に等しい。ただ、月額100万円が欲しいだけの守銭奴が移住してくるにすぎない。

 履歴書はほとんどが自己申告であり、本来ならば、その履歴の詳細を一つ一つ確認し、何度も面談を行い、過去においてどれだけの実績を作ってきたか、交友関係で反社的な存在はないか、その他、犯罪歴はないかなど、徹底調査を必要とする。

 その結果、熊本県内の田舎のいろんな施設を見ると、助成金と補助金絡みの運営をしている人物が多くみられ、現地雇用創出どころから、就労条件が悪く、それに反して、既得権益者へと金銭が流れ出ている可能性も無きにしも非ず。

 昨年は、助成金不正受給事案で県内が騒動していたが、虚偽情報が飛び交い、マスコミがメスを入れようとも、結局、有耶無耶に終わってしまった。オンブズマン制度のない基礎自治体。これからも、同じ轍を踏むだけの話である。

 平和ボケに典型的な事案であるが、読者の方々が住む地域では、上記のように、怪しい事件は起きていないのか、お聞きしたい。そして、確たる証拠があれば、徹底して膿を出すことに、メディアは尽力してもらいたい。

 助成金や補助金は、横領という犯罪人のための報酬となってはならず、血税を軽々に取り扱うものではない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムでは、地方の基礎自治体が運営する第三セクターや指定管理者制度における問題点を鋭く指摘しており、特に人選の甘さと管理体制の脆弱さがもたらす実害について詳述されている。熊本県内の事例を中心に、横領事件や短期間での離職、補助金や助成金の不透明な流れなど、実際に発生している事案を挙げながら、地域おこしの理想と現実の乖離を浮き彫りにしている。

印象に残ったポイント

人選の問題
高額な報酬(月額100万円)で募集されるものの、適任者を厳選する仕組みが機能しておらず、短期間で頓挫する事例が後を絶たない。代表者の履歴書が自己申告ベースであり、徹底した調査や適性確認が行われていないため、結果的に横領や逃亡といった事件に発展することもある。

管理体制の甘さ
第三セクターの資金が不正に流用されるケースが実際に発生しており、600万円の送金事例のように、自治体がその監督責任を果たせていない。県外から迎えた代表者が短期間で離職する例もあり、適切なフォロー体制がなく、問題が水面下で処理されてしまう。

補助金・助成金の不透明さ
地域活性化の名のもとに新設された施設が長期間稼働していないケースがあり、無駄な税金投入が続いている。助成金・補助金が適切に運用されず、既得権益に流れる可能性が指摘されている。

メディアや監視機能の欠如
不正受給や管理のずさんさが報道されても、結局うやむやになってしまい、追及が不十分である。オンブズマン制度のような外部の監視機能がないため、自治体内部のガバナンスが機能しない。

地域活性化の理想と現実のギャップ
地域に根ざした人材ではなく、単に高額な報酬目当ての人物が移住してくるだけであり、本質的な地域振興にはつながらない。「地域のローカルスタンダードの自覚なくして」との表現が象徴的であり、地元の事情を理解しないまま外部人材を登用することで、より混乱を招いている。

全体的な感想
このコラムは、地方行政における構造的な問題を鋭く批判しており、特に税金の使い道や人材選定の不透明さに対する強い問題意識が感じられる。具体的な事例を挙げながら論じているため、説得力があり、地域住民や関係者にとっても考えさせられる内容となっている。また、「平和ボケ」という表現は、問題の本質が長年見過ごされてきたことへの苛立ちを表しており、自治体の無責任な姿勢に対する痛烈な批判が込められている。最終的に「読者の地域でも同様の事例がないか問いかける」構成となっており、単なる告発ではなく、社会全体の意識改革を促す意図が見受けられる。

このような現状が続く限り、助成金や補助金は本来の目的を果たさず、不正の温床となる危険性が高い。コラムを通じて、メディアや自治体に対してより厳格なチェック体制の確立を求めるメッセージが強く伝わってくる。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2025/3/4 12:00 am

視野の狭い人ほど自覚がない

newstop


 地方田舎に行けば、その地には、その地なりの古き慣習やスタンダードが存在しており、それに慣れ親しんでいる人たちは、想定外に視野が狭く、外界のスタンダードに気づかず、自覚さえない。

 視野が狭いのは、良いとは言い難い。何事もその「不知」にて人物や物事を判断、評価する際に、誤った選択肢を選びがちとなり、時代錯誤的な見解を語ること、しばしば。

 視野の狭さに自覚がないので、持論が唯一正論であると思い込み、それを語るしかない。その次元の落差については指摘せざるを得ないが、受け入れる人は皆無に等しい。また、持論に根拠もなく、勘違いしている人をよく見掛けることもある。

 時には、極僅かではあるが、幸運にも視野の広い人を見掛けることもある。しかしながら数の論理にて、それは少数派として、田舎では視野の狭い多数派が占めているのが現状であり、ローカルスタンダードを推進するのは、圧倒的に視野の狭い多数派である。

 また、日本人的気質なのか、右へ倣えの共通項を作り出すのを好み、多数派がスタンダードであり、少数派は異端児的に白眼視される可能性も無きにしも非ず。よって、これら地方のスタンダードの善し悪しに関係なく、多数派天国の状態が続き、現在に至っているように思えてならない。

 勿論、善きスタンダードは永久的に受け継がれるべきであると考えるが、悪しきものについては、それを改善し、新たなるスタンダードを築く努力が必要ではないか。しかし、悪しき慣習などのスタンダードほど鳥餅のように根強く、改善することが困難となりがちである。

 従って、視野の狭い人が圧倒的に多いとなれば、視野を広げる活動が必須となるけれども、そのような田舎特有のスタンダードの環境下にあり、例えば、限界集落などの過疎対策として、若者移住や子育て支援、その他生活支援などを盛り沢山に発信したとしても、焼け石に水のようなものが多い。

 その地域の良さを十分引き出すような、地域における意識改革の徹底がなされていないために、変化や進化に結び付かず、同じことの繰り返しとなり、多種多様な好条件の予算を付けたとしても、ほとんどが尻切れとんぼで終わっている。

 筆者は総合コンサルタントして、その地域を検証すると、その地域以外、つまり、行政が県外から人を招き入れ、月額100万円を超えるような高額給与を与え、地域おこしを期待したとしても、人選ミスとして失策でしかない。尚、筆者が知る限り、地域の意識改革が成功した事例はほとんどない。

 よって、視野狭窄が圧倒的多数を占める地域のおいては、その地域の良いところを伸ばすと同時に、地域の人々の意識改革に徹し、視野を少しでも広げる活動が重要なポイントとなる訳だ。

 最後に、お断りをしておきたいが、上述において視野狭窄な人を悪人と言っているものではない。単に「不知」であるという点を指摘をしているのである。そこで、一人の視野が少しでも広がれば、全体の視野が大きく広がることになり、その地域に「変化・進化」の種が蒔かれ、大きな「利」をもたらすということを物申したいのである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、地域社会における視野の狭さとその影響について深く考察されています。エッセイの主な焦点は、特に地方地域で見られる視野狭窄に対する批評であり、これが社会の変革や進化を妨げる要因となるとの主張です。以下に、詳しい感想を述べます。

まず、地域の慣習やローカルスタンダードに言及される部分は、地方における固有の価値観や社会的な慣行が「外界」から隔離された形で維持されている現状を鋭く描写しています。

確かに、多くの地域において、独自の文化や伝統が守られることは尊いものですが、それが時代錯誤的な考え方や外部からの情報やスタンダードを拒絶する要因になる場合は、問題を引き起こす可能性があります。この点について、筆者は地域が変化に対応できず、自己満足的な状態に陥りがちであることを指摘しています。視野の狭い人が多数派を占めると、閉鎖的な環境が強化されるため、新しい価値観や外部のアイデアが受け入れにくくなってしまうという分析は非常に共感できる部分です。

また、「善きスタンダード」と「悪しきスタンダード」の区別をしつつ、後者の改善が難しいと述べる点は、地域の保守性や変革の困難さを浮き彫りにしています。特に、悪しき慣習が根強く残るケースについては、筆者の意図するところは十分に伝わってきます。この視点は、地域開発や政策立案に携わる人々にとっても示唆に富むものであり、地域の意識改革が成否の鍵であることを再認識させるものです。

筆者が述べる「意識改革」の必要性についても注目すべきです。過疎対策として取り組まれている施策が「焼け石に水」として効果を発揮しない理由の背景には、視野の狭さがあるとの指摘は、思慮深い分析です。また、地域外から高額報酬で人を呼び込んでも、根本的な意識改革がなければ失策に終わるという現実を冷静に指摘する姿勢は、筆者の経験に基づく現実的な意見と感じられます。

最後に、「視野狭窄な人」を「悪人」と見なさず、「不知」である点を指摘するという冷静な姿勢が示されています。地域全体の意識改革が進むことで「変化・進化」の種が蒔かれるという希望的観点でエッセイを締めくくる点は、読者に前向きな提案として響く部分です。

総じて、このエッセイは、地域の問題と変革の可能性を深く掘り下げた内容であり、単なる批判に終わらず、改善策を模索し、地域の未来を見据えた視点を持つ一文として受け取れます。視野を広げるための努力が必要であると提言する筆者の姿勢には、多くの共感を呼び起こす可能性があります。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/11/14 12:00 am

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