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光の魔術師になれるものなら・・・

▼水前寺東濱屋前にある公園(旧東濱屋跡地) NIKON D800+SIGMA 50mm 1.4

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 最近撮影した写真を見るだけで、段々と嫌気がさしてくるようになった。レンズ交換で悩んだり、画角で悩んだり、更にはf値でさえもどれが最適なのか、自分の気持ちを入れ込めば入れ込むほど・・・迷いが生じて、撮影した稚拙な写真ばかりがテラバイトの外部ディスクから溢れ出て来る始末。

 写真は、日頃からフットワーク良く、被写体に近づかない限り、納得の行くものは撮れないと分かっているものの、日頃の写真への執着心が高まるほど、嫌気が増して行くといった具合である。・・・ネガティブなブラックホールに入り込んでしまったのだろうか!?

 光と影を追い求め、更には水面(みなも)の映り込みや逆光の透過など・・・そして風や温度を感じ、追い求めればどんどんと遠ざかって行く写真の世界。・・・単純に奥が深いと言い切ってしまうものではなさそうだ。

 レンズは確かに命だろうけれども、カメラ本体との組み合わせ(設定を含めて)の選択肢が無限に有るために、そのチョイスにも苛立ちを持ってしまう。・・・超広角レンズ、マクロレンズ、望遠ズームレンズ、単焦点標準レンズなどを一日中弄くり回しては、結局は、標準レンズに行き着いてしまう。

 それも「この画角で50mmより、35mmだよな!」とか、「24mmと28mmとの微妙な違いで、どちらを選ぶべきなのか!?」とか・・・「ISO固定が良いのか、素早く撮るには・・・ある程度ISO AUTOの方が、取材が円滑に進むのだろうか!?」などなど・・・際限のない悩みと戸惑いばかりの毎日になってしまった感がある。

 この一年を振り返っても、納得の行く写真は2〜3枚ほどしかない。もっとリアルな世界を撮りたいのだが、某メーカーの機関誌などのフォトコンテストの受賞者の写真を見ても、正直なところ、感動を覚え、じっと見入ってしまうような作品は、実に少ない。これは高飛車にもの申しているのではなく、やらせ的なものや塗り絵のような真似た写真に興味がないのだ。

 芸術は、上手、下手は全く関係はないと思い込んでいる自分が居るのだが、ドラマチックで腰を抜かすような写真とは何だろうかと、自問自答してしまう。・・・ストーリー性、風刺、希望、活力、疑問、創造、喜怒哀楽、大自然・・・と、ありのままを撮りたい気持ちが強いものの、結構、ハード的なエフェクトやパソコンを使用したソフト的なエフェクトに走っているスペシャリストが居る。

 油絵や日本画を描く事を考えてみた。・・・光の魔術師と言われる巨匠レンブラントが描いた絵画は、人の心をぐっと抉り取るほど、繊細且つ大胆な構図と光の照射である。しかし、リアルな写真を撮影するのに、フィルタを用いたり、その他道具を用いてエフェクトを掛けて、どれだけの芸術的な価値があるのか否かが分からない自分が居る。

 光学的で意識的な収差や色調の変化は素敵だと思う反面、何でもかんでもフィルタやフォトエディタでの加工をする事には、全く興味がないのだが・・・自分の考えが歪んでいるのかどうかの再検証をしてみようかと・・・。

 いやはや、写真は大人の女性と同様に難しい。・・・されど、止められぬ。(苦笑)


▼水前寺東濱屋前にある公園(旧東濱屋跡地) NIKON D800+SIGMA 50mm 1.4
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  • posted by Chikao Nishida at 2013/12/12 04:06 am

人生の明暗

▼人生の明

mei



 我が半生を振り返ると、人生の明暗というものが浮き彫りとなってくる。

 僭越ながら自らを例に挙げれば、人生の浮き沈み。・・・新聞社を経て独立、起業、最先端事業の着手、全国テレビ局との業務展開など・・・無我夢中で鯉の滝登りのような時もあれば、家族との死別、親友の急死、契約先の脱税による想定外の契約反故、悪意に満ちた債務不履行の逃亡者、思いも寄らぬ人からの裏切りなど・・・一時期、人も世の中も一切信用できない時期があった。

 しかし、自分自身が真っ直ぐに生き続け、人を騙したり落とし込めたりしない限り、知らぬ間に周囲に纏わり付いていたネガティブなものは全て払拭されて行く事が、色んな体験を通して理解できたのだった。

 筆者も含めて、人は出生から死に至る短い人生において、100%嘘をつかないと豪語できる人は皆無に近い。地球上で胡麻粒程度であろうかと思われる。よって、世の中には「嘘も方便」という、己を正当化するには実に都合の良い言葉が残っている訳だ。屁理屈だけをこねて、自己防御に専念し、協調性が無く溶け込めない人も沢山居る。

 人という動物は、虚栄を張り、賑々しいところへ集まり、煌びやかな人生を望む人が多いように感じるが、その実体はと言えば、人の心の表裏は全く逆の場合が多く、例えば、お祭り野郎がけたたましく活動しているように見える場合、その心は何も満たされること無く、心の底まで空の状態。常に空だから、のべつ幕無しに秒刻みに訳の分からぬ毒をSNS上で吐いているのだろうと。

 それが醜態であろうが、人格欠損と言われようがお構いなしに動いている人も、巷で良く見掛ける。たぶん、自分を世間に認めて貰いたいという浅はかな気持ちだけが先行し、周囲に派手派手な大道芸のようなアクションを起こすのだろうと推察する次第。

 写真は筆者なりに感じた、人生の明暗である。真っ直ぐ人生を歩めば写真上のように、散り際まで夢幻の美しさを放つというもの。・・・しかし、水面下で低空飛行をしている心無い人は、写真下のように、人生すべてがどんよりと暗くすさんだものになるのだろうと・・・。

 叶うことならば、人生「明」を掴みたいものである。・・・それが「平穏無事」に繋がって行くのである。


▼人生の暗
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  • posted by Chikao Nishida at 2013/12/11 02:24 pm

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