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提案、苦言を難癖と決めつける人たち・・・

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 本日は、或る会社(サービス業)の人たち(役員)との接点にて、以前、日頃から提案、苦言を呈していた時の茶番劇をお話ししたい。

 勿論、提案、苦言は会社の不備な点を改善することで、顧客満足度が一気に上がるを目的として行なっていたものだ。

 長きに亘りその会社を見てきたので、緻密なシミュレートの元に、最善と思われるものを提案し、目に余るものについては苦言を呈した。

 ところが、その人たちは、提案、苦言を難癖にすり換え、コミュニケーションを遮断し、都合の悪いことを隠蔽するベクトルへと動いた。今思い起こせば、以前から常態化していたようだ。

 驚いたことに、提案、苦言を呈する筆者と、早々に対峙の関係をつくり、極力接点を持たぬように、逃げ回るようになった。

 郵送した書簡を開封せずして受け取り拒否をしたり、目の前で手渡した提案書を「私のところで留めて良いですか?」と、頓珍漢な言葉を残した役員もいた。

 上の書簡内容は、その施設のスタッフを称賛する内容と不備な点の指摘と改善案であったが、内容を読みもせずして、子供のような戯言を呟いた。

 実は、以前にこの会社代表者から頼まれ、後に総合コンサル契約を交わすを前提に、提案なり苦言を呈していたものだが、想定外の周囲のリアクションに首を傾げるばかりとなった。

 そうしている内に、或る顧客(女性)から、突然その会社へ激しいクレームの電話が入り、社内が俄かに騒ついた。原因は、予約した一部施設について、予約内容とは異なるという指摘である。

 案の定、この人たちは苦言を難癖と受け止め、クレームを放つ顧客に対して、即座に敵対ベクトルにて動き出した。指摘を改善するを最優先すべきことを、難癖として処理するだけに傾注して行く。

 サービス業としてはあってはならぬことだが、標題のように、提案、苦言を難癖と決めつける人たちなので、小さな問題であっても、自らの愚行により、想定外に大問題にしてしまう。自業自得としか言いようがない。

 その対応が最悪なので、指摘を行い改善を願った顧客は、当然に苛立ち、激昂することになる。その顧客の発言にも問題はありはするが、指摘と改善を求めたはずが、激昂と難癖へと雲行きが変わった。

 初動の段階にて、会社側が敵対心を持ち、対峙の関係を選んだが故の成り行きだが、その代表者が盾となり、理想的なトラブルシューティングを部下に見せるつけるといったステージに移った。

 その顧客名やメールアドレスを社内全体に公開し、個人情報が漏洩する。顧客に対する謝罪文を共有し、顧客が返送した書簡には赤線で添削してある。しかし、その経営者は顧客の言動を難癖であると決めつけ、小馬鹿にしている。部下には仰々しさを強調するばかり。

 社内役員やスタッフに対して、「こんな難癖をつける客への対応を、社長である私がやっている。しっかりと見ておけ!」と言わんがばかりの田舎芝居である。

 ここで問題なのは、提案、苦言を難癖と決めつけるので、顧客の誤解が解消しないまま、トラブルシューティングも完結せず、挙げ句の果てには顧客を犯人扱いしている。また、顧客へ渡した菓子折りが返却されたものを社員に見せつけ、「この菓子折りを見るたびに、お前たちのボンクラ所業を思い出せ!」と言い放つ。

 書き綴ればキリがないが、顧客から舞い込んでくる提案、苦言を全て難癖と決めつけ、自らを正当化するために事実を歪めるという蛮行に走っていると、日が経てば経つほど、その会社のブラック化が加速するだけだ。

 この会社に欠落しているのは、「真摯さ」と「誠実さ」と「正直さ」である。自らの職位や管掌に溺れ、社外の不特定多数の人々を愚弄している。社内の職位や管掌はどうでもよく、社外の方々へ横柄な態度をとっていると、「勘違い野郎」と揶揄されるだけの話となる。

 流石に、上記のように民度が低く、「真摯さ」と「誠実さ」と「正直さ」が欠落し、自分の背中も足元も見えない人たちは、サービス業を行う資格はないと言っても過言ではなさそうだ。
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書・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2023/6/6 03:30 am

「真意」を深読みできねば、「誤解」と「諍い」のオンパレード。

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 心配している人が、相手に対して「苦言」を呈す時に、耳打ちしながら優しい言葉を遣って指摘できるだろうか!?例え、優しく問題点を紐解いて話をしたとしても、危機感も伝わらず、その場で「苦言」はサラリと溶けて流れてしまう。

 筆者は、時折、ダイレクトに遠慮なく「苦言」を呈すことがある。「苦言」を聞く人は、決して心地良くはないはずだ。しかし、その「苦言」には「真意」がある。その「真意」を深読みして貰わねば、全て正確には伝わらない。

 勿論、気にも掛けない人であれば、「苦言」など呈すはずもない。「提言」など与えるはずもない。無視して、苦笑いして、舌を出して歩いて去るのみ。そこで、「苦言」を呈すのは、勿論、自分自身もまた心地良いものではない。

 何故ならば、「苦言」を呈すことは「憎まれ役」や「恨まれ役」になるという覚悟を持っての「苦言」であるからだ。その「苦言」を平べったく受け止められてしまうと、そこで生じるのは「誤解」となる。

 「苦言」の「真意」は「とても心配している」、「期待値は大なり」、「どうにか頑張って貰いたい」、「一丸となって進みたい」、「今を乗り切るには断腸の思いで」など、多くの意味合いが含まれている。

 そこで、神輿を担ぐように、ニヤニヤしながら饒舌にも「誉め殺し」のような発言をする阿呆な人間もいるが、それじゃ、何事も改善されず、先々何も良いことは無い。「苦言」こそ「相手に対する愛情である」と、筆者は考える。逆に、筆者が第三者から「苦言」があれば、しっかりと耳を傾けるように心掛けている。

 何故なら、周囲の多くの人の中で、筆者に堂々と「苦言」を呈してくれる人は、最愛の人や心友、信頼のおける仲間のみである。心配しているからこそ、「苦言」を呈す。しかし、そこで身勝手にも一方的な「誤解」で「苦言」に蓋をしてしまうと、後々、取り返しのつかない処に、ただ独り立つことになる。

 人との会話で重要なことは、「表層的な美辞麗句」にあらず。その言葉の「真意」を深読みして、真摯に人様のサジェッションに耳を傾ければ、九分九厘物事は上手く行く。そのメカニズムさえ理解できれば、人生において、常態化しつつあった「誤解」や「諍い」は激減することになる。

 物事を解決するには、常に自分が決め込んだ方程式が唯一のものでは無いことも、承知しておかねばならない。何故なら、物事を解決する方程式には、当然の如く「別解」というものが多く存在しているからだ。それも、意表を突くような、素敵な「別解」が。
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写真・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2023/3/15 12:00 am

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