
当時、セーラー服姿の女子生徒を見ると、どこかしなやかで、上品な印象を受けた。襟の形、リボン、スカートの揺れ方。男兄弟ばかりの家で育った筆者には、それらがひとまとめになって、まぶしい別世界に見えていたのだろう。
中学校、高等学校と、セーラー服の基本形は似ていても、学校ごとに配色や刺繍、リボンの色や結び方が違った。
今なら「制服のデザインの違い」で済む話だが、当時の男子にとっては、なかなかの重要事項である。校章は覚えなくても、リボンの色は覚えている。勉強にも、その観察力を回せばよかった。
筆者の時代は、膝が隠れる程度のスカート丈が一般的だった。時折、足首近くまである長いスカートの他校生を見かけると、同じセーラー服でも、ずいぶん雰囲気が違うものだと思った。
こちらの頭の中では、すでに「理想のセーラー服」が完成していたのである。頼まれてもいないのに、勝手に制服審査委員長を務めていたわけだ。
そんな筆者の思い込みが、見事にひっくり返る出来事があった。
起業した頃、ある女子高校の校長先生から、文化祭の一教室で3D CGのプレゼンテーションをしてもらえないか、という依頼を受けた。
喜んで引き受け、学校を訪ねた。校長室で話をした後、先生が校内を案内してくださることになり、二人で並んで歩いていた。
隣の校舎へ向かうため、中庭を通る。
休み時間だったのだろう。通路の両側には女子生徒たちが集まり、思い思いにくつろいでいた。
ところが、こちらに向けられる視線が、やけに多い。
無理もない。校長先生の隣を、見慣れないスーツ姿の若い男が歩いている。「誰だろう」と思われて当然である。しかし、初めて女子校に足を踏み入れた筆者は、それだけで落ち着かなくなった。
仕事の話をしに来たはずなのに、急に歩き方まで怪しくなる。右足の次は左足でよかったか。普段は無意識にできることを、いちいち確認したくなる始末である。(冗談)
生徒たちは、そんなこちらの緊張などお構いなしだった。あぐらをかいて談笑する生徒もいれば、暑いのか、スカートをぱたぱたとあおぐ生徒もいる。腰のところでスカートを折り返し、丈を短くしている生徒もいた。
筆者の記憶にある、しなやかで上品なセーラー服姿とは、かなり違う。
だが、考えてみれば、彼女たちにとって学校は毎日通う場所である。休み時間ぐらい、楽な姿勢にもなりたいだろう。
こちらは勝手に青春映画の一場面を期待していたが、向こうは普通に休憩中だった。背景に流れるはずの爽やかな音楽もない。あるのは、ワイワイガヤガヤの話し声と、場違いなほど緊張した筆者だけである。
セーラー服への憧れが壊れたというより、筆者の頭の中の演出が、現実に追いつかなかったのだ。
そもそも、セーラー服の原型は海軍の水兵服である。海で働く人の服が、いつの間にか筆者の中では「しなやかさと上品さの象徴」になっていたのだから、思い込みとは大したものだ。
男兄弟ばかりの環境で育ったことも、多少は影響していたのかもしれない。女子の日常をよく知らないまま、制服姿にあれこれ夢を託していたのである。セーラー服の方も、ずいぶん重い役目を背負わされたものだ。
それでも、学ランとセーラー服の組み合わせには、今なお懐かしさを感じる。校門、廊下、放課後の道。あの二つの制服が並ぶだけで、当時の空気まで思い出される。
筆者はやはり、膝が隠れるくらいの丈が好きだ。短すぎるものにも、足首まであるものにも、どうしても違和感が残る。
ただし、それは筆者の好みであって、着ている本人たちには本人たちの都合や楽しみがある。今なら、そうも思える。
あの中庭で一番窮屈だったのは、生徒たちの制服ではなく、筆者の理想だったのだろう。
セーラー服は、当時の男子にとって憧れだった。
そして、憧れというものは、こちらの都合で美しく整えておけるうちは、まことに扱いやすい。
校長先生と一緒に中庭を歩くまでは。
※ヘッダー画像は、記事を読んだChatGPTが生成したもの
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▼ChatGPTによる感想
懐かしい青春の記憶をたどりながら、若い頃の自分の思い込みを笑って振り返る、親しみのあるエッセイだと感じました。セーラー服への憧れが丁寧に描かれているので、女子校の中庭に入った途端の戸惑いがよく伝わってきます。
「校章は覚えなくても、リボンの色は覚えている」というくだりには、少年時代の関心のありかが表れていて、思わず笑いました。「勝手に制服審査委員長を務めていた」という表現も、自分の好みを当然の基準にしていた当時の姿を、愛嬌のある人物像にしています。
特に印象に残ったのは、筆者が青春映画のような光景を期待する横で、生徒たちは普通に休憩している場面です。同じ中庭にいながら、双方が過ごしている時間の感覚がまるで違う。そのずれが、情景として目に浮かび、文章の笑いを支えています。
「あの中庭で一番窮屈だったのは、生徒たちの制服ではなく、筆者の理想だったのだろう」という一文には、年月を経た今だからこその実感があります。昔の憧れを大切にしつつ、その憧れに自分がどれほど注文をつけていたかまで振り返るところに、温かい読後感がありました。
最後の「校長先生と一緒に中庭を歩くまでは。」もよく効いています。憧れについて語っていた文章が、そこで再び具体的な体験に戻り、緊張して歩く若い筆者の姿を思い出させる。くすりと笑いながら読み終えられる、余韻のある締めくくりです。
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文責:西田親生

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